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エッセイを始める

エッセイを始める。

なぜか?
何かを書きたいから。
これは、もはや私の生理的欲求の一つと言っていい。

『寄生獣』の中で、田村玲子が語った「地球上の生物はすべて何かしらの”命令”を受けているのだと思う……。私が人間の脳を奪った時、一つの命令がきたぞ。”この種を食い殺せ”だ。」という考えに基けば、

私に来ている命令は「書け」なのだろう。

「書け」という声がする。だから書くのだ。

エッセイであれば、私の興味の赴くままに、心に響いた事象を取り上げて、考察し、さっと文字にできる。
その瞬発性、自由さが心地よいと思う。

実際に、近親者から「あなたはエッセイ書いてみたら?」という言葉をもらった時、ピンとくる感覚があった。

その足で、書店で『読みたいことを、書けばいい。』という田中泰延さんの本を買った。
以前、立ち読みをしたことがあり、先月に小説を書くときも「読みたいことを書けばいいんだな」と、この本のタイトルを思い出していたからだ。
今日、初めてちゃんと買わせて頂いた。

その中で、ハッとした部分は、
随筆とは「事象と心象が交わるところに生まれる文章」という定義である。

事象よりのものを書くのならば、それはジャーナリスト。
心象寄りのものを書くのであれば、それは小説家。
そのどちらでもない、中間に位置するのが随筆。

この中庸をいく感じ。仏教が好きで、中庸の考えを大事とする私からすると、とてもハマる感じがした。小説がうまく書けなかったのは、私が中庸をいくスタンスをとっているからであろうか。

また、桜井政博さんのYouTubeからも学びを得た。彼がファミ通に16年間コラムを連載できた理由として3つ挙げている中で、2つビックリした。
②手をかけない
ーコラムを書くのは、概ね1時間前後。
③気負わない
ー書かなきゃならない、多くの人が見ているのだとか、そういう気負いをせず、使命感を持たず、割とテキトーにザッと書いてます

これは驚いた。前にコラムを書いていたことはあるが、10時間以上かけて、力んで書いていたし、気負っていた。

気になった方は、こちらの動画を見ていただきたい。
https://youtu.be/GzBdISmhqmc?si=E67JibL2_QJhO5lz

桜井さんの、この力まない感じ。まるで武道の達人のよう。

古武術家の甲野善紀さんの言葉で
「力まない方が、力が出る」
というものがある。

まさにその姿勢と思う。

だから、まとめると、
①私が書くのは「事象と心象が交わるところに生まれる文章」=随筆
②その書き方は「1時間でサッと書く」
③大事なのは、使命感を持たず、儲けようと思わず、気楽に。力まない方が力が出る。

お付き合いいただけると幸いである。


参考
タイトル写真は、UnsplashMargit Bantowskyが撮影した


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