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街裏ぴんくのおかげでぼくは、オーディオブックが読めるように、なったんですよーッッ(叫び)

 R-1グランプリの前にちゃんと聴いとかなくちゃと思っていた街裏ぴんくの『虚史平成』。あっという間に最新回まで追いついて、それからは毎週の楽しみのひとつになっています。

 平成史に残る数々の事件、それらすべてに関与していた街裏ぴんくが、毎週ひとつずつ事の裏側を明らかにしていくポッドキャスト。おなじみ嘘漫談のスタジオテイクといった趣で、もちろんワハワハ笑いながら聴く。でも、客席からの返りがない分、彼のホラ話に静かに向き合うことにもなり、さらに時々、もはや怪奇/幻想/〝奇妙な味〟の短編として完全に成立してるような回も挟まっていて、してみるとこの声・この喋りというのは唯一無二・とんでもない強度の文体でもあるわけですね、と気づく。そうなったらもう止められなくなって、短編集を一気読みするようにワッと全話聴いてしまった。上記の意味では「タマちゃん」とか「ナタデココ」とか「ファービー」あたりが好みだけど、どれも超面白かったな。

 で、そのままAudibleに会員登録をした。
 なんでだよ。

 オーディオブックを読んでみたいという意識は、何年も前に電子書籍をおそるおそる生活に導入し、心の中に〝紙以外を用いた書物〟の置き所ができたときからずーっとあって、実際これまでにも何度か試してみて、でもあんまりピンとこず、習慣化できずにいたのですが。
 しかし、ひょっとして、虚史平成を聴き倒し、街裏ぴんくの語りにある種文芸的な視線を向けている今なら、いけるのではないか? 
 月額1,500円、オラァッとポチった。

 はたして予感は的中し、今回ついに、その勘所をつかんでしまった気がする。聴き取れている。聴き取れているというか、読めている。自分の頭が〝読む〟に該当する働きをしてくれているのを感じる。以下は読書が好きな人には伝わると信じて書くけれども、各位頭の中に、〝観る〟だといまいち届かない、〝読む〟でしか満たせない領域があるでしょう。あの場所へ、耳から入った言葉/文字がちゃんと流れ込んでいく感覚がある。これがあるから読むのをやめられない、例の感覚が。
 耳を傾ける。たちまち没頭する。
 おお。できるようになってきたじゃない、耳で読書。

伊坂幸太郎『グラスホッパー』を20年近くぶりに再読し、さらに『マリアビートル』も読んだ。まずはオーディオブックに慣れるため、馴染み深い作家の作品から……というつもりが、ちょうどいい具合に細部を忘れていて、というか『マリアビートル』に至っては新幹線が舞台なことと、王子というキャラクターの邪悪な印象以外はほぼ完全に忘却していて、まんまとジェットコースターを楽しんでしまう。

 だったら完全初読の本でもいけるかなと、続けて阿津川辰海『午後のチャイムが鳴るまでは』を読む。わりと最近出た本だと思っていたけれど、もうオーディオ化されているんですね。ロジックの強い作品は耳で拾っていくのが大変そうだなあと思ったが、よくよく考えてみればそういうミステリは目で読むときも相当集中して臨むわけで、それはたいした問題ではなかった。まだ途中ながら、連作短編各作のつながり方がとても上品で、聴き取るにつれうっすら相関図が浮かび上がってくるさまにはグルーヴがあり、存外耳心地が良い。おもしろーい。
 ただし、途中で図版がいくつか入るエピソードがあって、これはAudible上でもちゃんとPDFで見られるようにしてくれてるものの、聴き取った情報と図版とを結びつけていくのは、それらすべてを目で読み取るよりもやや難しいかもなとは思った。何度も何度もスキップ巻き戻しをする。慣れが必要だ。

 まあ、そもそも集中が途切れがちな性格なので、こういう局面に限らず、ひたすらスキップ巻き戻しは多用するのだけど……ああそうだ、これもちゃんと書いておかなくちゃいけない。状況に応じて、テンポの上げ下げもしています。はいそうです。フィクションを愛する私たちの最新のパブリックエネミー: 倍速です。

 ただ、自分の場合はここに時短の意図はなくて、集中したいからこそ倍速にするときもあるし、もちろん等倍の朗読で脳に染み渡らせたいときもあるし、コンディションによっちゃその両方を経ないとちゃんと文章が入ってこないことすらあるので、結局等倍で1回通すのと同じか、それ以上の時間をかけて1冊を読むことになる。目で読むときだってそんな感じだし、自分のテンポで楽しめるのが読書の素晴らしいところではないでしょうか。どうでしょうか。

(ぼくは映画ファンじゃないので、映画の倍速視聴のほうについては云々するアレはないですが、でも、ひとりで楽しむときくらい好きにさせてあげればいいじゃない、それもその人の映画体験なんじゃなかったっけ? と思っています、ちょっとだけ。)

 そして、日頃やっている〝目での読書〟。
 これも実は数年来フォームを崩し気味で、「読めるには読めるがどうもスラスラ進められない」という状態が長らく続いていたのだけども、なんとAudibleの思わぬ副産物、オーディオブックを〝読む〟感覚を得たことが矯正というか補助輪のようになって、こっちも調子を取り戻しつつあります。読むことそのものの基本に立ち返れた感じ。『マリアビートル』からの流れで、長年Kindleライブラリに沈んでいた伊坂幸太郎『AX』を掘り返して、いま楽しく読んでるところ。
 しかし目での読書って表現はなんかいやなので即刻やめにしたいな。オーディオブックを読むことを指す名詞はあるのかしら。

 ちなみに、街裏ぴんく『虚史平成』はAudibleでも聴ける。街裏さん、私の読書を救ってくれて本当にありがとうございました。R-1頑張って。ひとりに絞れなくて申し訳ないけれど、今日はルシファー吉岡とどくさいスイッチ企画と街裏ぴんくを応援しています。

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