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昨日読んだ本:天才を殺す凡人

noteを書こうとすると、最初にうっすら「何何を書きませんか?」的な文字が書いてあります。

昨日も今日も「読んだ本について書いてみませんか?」だったので、読んだ本の話をします。

本との出会い

昨日、三省堂書店神保町本店の1階で立ち読みしました(すいません)。

最初は、パラパラとめくって中身を確かめる程度にしようと思ったんですが、面白くて30分ほどで一気に立ち読みしてしまいました。

実は同じ筆者の、こっちの本を買おうか悩んでやめたんですが、隣にあった本を読んでしまったという次第です。

私自身は、天才ではなく2流の秀才であることは自覚しているので須賀、2流である所以は天才も凡人もわかるところにあります。

むしろ天才は諦めたのです。

タイトルと構成が気になった

そんな私ですが、実は、以前からタイトルが気になっていました。

「天才を殺す凡人」

穏やかではありませんが、的を射ています。天才を殺すのはいつも凡人だというのは、私の2流センスに合致します。

著者は、この話を、主人公である凡人となぜか渋谷のハチ公が言葉を話すという構成で進めます。

この本の構成と似ています。

家に住みついて関西弁で問題を出していくところとかね。

主人公の成長譚であるとかね。参考にしているかどうかは知りませんが、どうにも引っかかりました。

本の主題

さて、天才と呼ばれる女性社長を秀才CFOから守りたい創業メンバーの凡人という登場人物で、お話が進みます。

そして、天才と秀才と凡人の相関図は、こちら。

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この三者が社会を構成しているとして、この相関図は納得できます。

そして、天才が凡人に殺される理由に「コミュニケーションの断絶」を挙げています。

天才は、凡人によって殺されることがある。そして、その理由の99.9%は「コミュニケーションの断絶」によるものであり、これは「大企業がイノベーションを起こせない理由」と同じ構造である。
凡人は、成果を出す前の天才を認知できないため、「できるだけ、排斥しよう」とする傾向にある。この「天才→←凡人」の間にある、コミュニケーションの断絶こそが、天才を殺す要因である。

そのコミュニケーションの断絶が起きる理由は、軸の相違にあると指摘します。軸が違うから分かり合えないわけです。

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より具体的にいうと、天才は「世界を良くするという意味で、創造的か」で評価をとる。一方で、凡人は「その人や考えが、共感できるか」で評価をとる。

そして、凡人が天才を殺す道具は、「多数決」であると言います。

これは、なるほどと膝を打つ指摘です。

スティーブ・ジョブズがアップルを追い脱されたのは取締役会における多数決でした。秀才スカリーに追い出されたわけですが、それを実行した取締役たちは、凡人だったと言わざるを得ません。

アリストテレスが殺されたのも、キリストが処刑されたのも、なんなら日本が大東亜戦争に乗り出したのも、凡人による多数決です。

これを日本では「空気」と呼びます。

天才を守るのもまた凡人

では、天才を守るにはどうするか。

この三者を結びつけるアンバサダーの存在が重要になります。

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まず、「エリートスーパーマン」と呼ばれる人種は、「高い創造性と、論理性」を兼ね備えている。だが、共感性は1ミリもない。分かりやすいアナロジーでいうと、投資銀行にいるような人だ。

次に「最強の実行者」と呼ばれる人は、何をやってもうまくいく、「めちゃくちゃ要領の良い」人物だ。彼らは、ロジックをただ単に押し付けるだけではなく、人の気持ちも理解できる。結果的に、一番多くの人の気持ちを動かせ、会社ではエースと呼ばれている。(そして、一番モテる)

最後に「病める天才」は、一発屋のクリエイターがわかりやすい。高いクリエイティビティを持ちつつも、共感性も持っているため、凡人の気持ちもわかる。優しさもある。よって、爆発的なヒットを生み出せる。ただし、「再現性」がないため、ムラが激しい。結果的に、自殺したり、病むことが多い。

まず、世界が崩壊していないのは、この「3人のアンバサダー」によるところが多い。

長めの引用ですが、ここが重要なのでお許しください。

共通項に入る人がいて、その人たちが、両方がわかるからコミュニケーションの断絶を防ぎ、世界を保っているということです。

では、第4の存在である「共感の神」とはなんなのか。

凡人と呼ばれる人の中には、「あまりに共感性が高くて、誰が天才かを見極める人」がいるのだ。それを「共感の神」と呼んでいる。

そして、共感の神が天才を見出し、サポートすることで社会は進んでいく。

天才は、共感の神によって支えられ、創作活動ができる。そして、天才が産み出したものは、エリートスーパーマンと秀才によって「再現性」をもたらされ、最強の実行者を通じて、人々に「共感」されていく。こうやって世界は進んでいく。これが人間力学からみた「世界が進化するメカニズム」だ。

想像通り、主人公は、この共感の神であり、そのことに気づき行動を変えて天才を助ける、となると都合が良すぎて面白くないと思ったのか、主人公の行動は会社に受け入れられず、天才社長も主人公も会社を辞め新しい道を選んで行き、そこで成功する、というお話になっています。

私はどこにいるのか

この本を読んで、2流の秀才である私は、どこを目指せば良いのだろうと考えました。

できれば、共感の神になりたいし、さらに言えば、イノベーションをサポートする「根回しおじさん」になりたい。

言わずもがなだが、大企業のほとんどは「根回し」が極めて重要だ。新しいことやるには、様々な部署に根回ししないといけない。だが、天才は「創造性」はあるが、「再現性」や「共感性」は低いため、普通の人々を説得できない。骨が折れる。だから、天才がそれを実現するために必要なのは「若くて才能のある人物を、裏側でサポートする人物」なのだ。つまり「根回しおじさん」と呼ばれる人物である。

今私が会社内で目指しているのは、根回しの必要ない会社づくりを支援する、サポートおじさんです。才能ある若い人たちが働きやすい環境づくりのために、先回りしてぶつからない様に石を避けたり、掃除をしておいたりする様な仕事。もう一歩踏み出して、仕事上でもクライアントとの関係や協力会社との間を整備する様なところまでやりたいのですが、そこは力が足りないかなあ。

でも、ある程度の年齢になったらば、自分が進めるのではなく、根回しおじさんに回る人が増えると、日本もイノベーションが増えるんじゃないですかね。今は、おじさんがイノベーションを標榜するけど、若者の足を引っ張っている様な話が多すぎます。

この役割は、別におじさんじゃなくても良くて、昔から本田宗一郎と藤沢武夫とか、天才を支えるサポート役の存在は知られているわけですが、最近、そういう話を聞かなくなったなと思いますね。

堀江さんという天才は、凡人と断絶した上に秀才を集めすぎて彼らのテクニックが生んだ落とし穴にハマったのだろうし、柳井さんは秀才のやり方が気に入らなくて結局追い出しちゃったし、孫さんは根回しおじさんにならんとして次の天才だと思った人に投資しているのかもしれないけど、根こそぎおじさんだし、永守さんも人材づくりに投資しているけど後継者探しで苦労してるし。

日本に必要なのは、政治も経済も若い人に譲って生きる根回しおじさんなんじゃないですかね。

本の元ネタとなったブログ

実は、この本は著者のブログから生まれたんだそうです。

これらの記事の約一年後に本は発行されています。

この記事に対するコメントもうまく取り込み本は構成されています。

さらに、付録にこれらのコメントも掲載して、本として編集されているところが、現代的だなと思います。

何か思いついて本にしたいと思うことがあったらば、まずブログにしてみて、それに対する反響を取り込みブラッシュアップして、バージョン2に向かう。そういう行為は、以前は、著者と編集者の間だけの往復書簡の様なものでしたが、今は、多くの読者候補や編集者見習いの様の人たちが積極的に無料でコメントをつけてくれます。そして、本当に優れた考え方が含まれているならば、そうしたコメントをつけた人たちは本となって発売されることを願っていることが多いです。

潜在的な市場を掘り起こしたり、読者を発見したりするマーケティング行為としてもブログに書くことは有効な時代になっているということですね。

まさに、そうした場としてあるのが、このnoteですよね。

新しい時代だなあ。

私は、二流でいいです。




サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。