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エモい文章は苦手なのです

文体の話とか、編集の話とかを書いてますが、このnoteを60日以上書いてみて、だいぶ、自分の中ではっきりしてきたことがあります。

それは、エモい文章が苦手だということ。

エモいとは、エモーショナルから来ていて、感情が動かされるような状態のことらしい。詳しくはこちらをどうぞ。

要は、感傷的な、涙腺刺激系だったり、過去思い出し系だったり、情緒的な文章です。

読むのは嫌いじゃないのですが、最近、年のせいか涙腺がゆるく、すぐ泣いてしまうので、電車の中では読まないようにしています。

嫌いじゃないけど、苦手。ということですかね。

書くのはもっとダメで、大体が構成を決めて、きっちり書くのが苦手。

エモい文章は、落とし所があるので、そこまで持っていくフリが必要です。いろんなフリとフックを回収していかないといけません。その上で、ドーンと落とすわけです。ダーッと泣かせる訳です。

そういう、オチがある文章にならないから、アクセスが上がらないのでしょうね。

私が書くと、なるべくなんか一つでも持って帰っていただきたくなるので、いろんなリンクを貼ったり、人の文章を引用したり、画面がうるさくなりがちです。話をする時も端的に進まず、なんか挟んでしまい、わかりにくくなってしまうことがあります。性格なのでしょうか。

そういう回りくどい文章は、エモくなりません。

ただ、どういう場で書くか、何に書くか、で文章が変わるくらいには技術が戻ってきたように思います。

例えば、同じものを対象にしてもnoteだと、ネットですからリンクが大事。

一方で、編集教室の課題で、同じものについて書くと以下のようになります。

課題1:コンテンツと批評
コンテンツ:プロフェッショナル 仕事の流儀:吉永小百合
課題を提示/解決する:番組が問うて来た「プロフェッショナルとは何か」と言う命題に対して、「プロではありたくないアマチュアでありたい」と語る日本で最も有名な映画女優。それは「人間は何のために生きるか」という課題を提示し、その本質を見せるものだった。
 
それについての批評:
この作品は、吉永小百合という映画俳優の主演映画撮影現場とその合間のプライベートに10カ月密着したものだ。彼女にとって初めての密着ドキュメンタリーだという。
吉永小百合ほどのベテラン俳優が、本番前に震える。それは上手く出来るかでは無く、その人になれるか・無になれるかと自分に問うから。彼女は「演技ではダメ」と言う。そして「プロフェッショナルという番組を断ってきたのは、私はアマチュアだから」と言う。
彼女の言う「プロ」とは何か、「アマ」とは何か。そこが作品の鍵となる。
「役の中に入る」(という言葉を彼女は使う)ために、設定であっても役の故郷に行き、その場所で景色を見て、その人の記憶を自分の中に蓄える。台詞を読み込み、納得できなければ訂正を提案する。そうした準備をしないと、その場で相手のセリフに心が反応し、体が動くことができないと語る。そのやり方は手間がかかる。しかし、それしか出来ない不器用な俳優で同時に複数の作品は受けられない。必然的に、出演作品は主演作、数年に1本となる。
そこに、吉永小百合の「プロフェッショナル」を見ると、普通は考える。しかし、彼女は、「プロだと思ったらば終わってしまう」と呪文の様に繰り返す。多分、彼女も一時はプロになろうとしたのだろう。彼女が出会った数多くの映画スターのように。どんな日常を過ごそうとも、銀幕の中だけは別の存在。それが映画の世界のプロ。しかし彼女はその世界で疲弊した。その頃、彼女は映画の中だけではない俳優に出会う。高倉健だ。そして彼女は変わる。
吉永は、努力という言葉を使わない。準備だという。体を鍛え、心を整えるのも、次の役ができる様に準備しているのだと。言葉で言うと、努力は外在的で、準備は内在的だ。
そこにあるのは、仕事のために常に備える演技のプロ=努力する存在では無く、映画を愛する存在=アマチュアが映画のために人生の全てを捧げている姿だ。
吉永小百合は映画の神様から愛された存在=映画のプロフェッショナルだと誰もが言うだろう。しかし、彼女だけはそれを信じていない。彼女は必死で映画にすがりつき、大好きな映画と共にありたいと願っている。だから、自分をプロだと認めない。プロだと認めたらば、魔法が消えて大好きな映画が目の前から消えてしまう。そう信じているかの様に。
人間は仕事のためだけに生きるのではない、と言いつつ、その仕事のプロであることはできる。しかし、アマチュアであると決めた吉永は、映画を愛し人生全てをこの仕事のために費やすと決めた。そこに努力の限界はない、全てが準備だからだ。それは想像を絶して過酷なことであり、一方で没入できる幸せなことなのだろうと、この作品を見て思った。

これでA4一枚。1283字。

noteの方が3034字。

だいぶ削りましたし、話を絞りました。要点はどこかをはっきりさせ、そこに向かって書いていく作業は嫌いじゃありません。元原稿を修正していく感じで、やっぱり編集が好き、ということですかね。

こういう批評でもエモくなるのかもしれませんが、そういう技術は私にはないです。

事実について書くのはできるけど、フィクションとか書けませんね。

そういう頭になってないんでしょうね。

そこで唐突に、この記事なのですが。

この中で、田さんが書いた最後の一文がまさにズバリだったので引用します。

文章にはその人の知性や人間性が現れると思っていて、連ねられた文字からわかるやさしさや丁寧さ、あたたかさや細かさや厳しさみたいなところでその人の温度を感じているのだと思います。

文章は人ですよね。

エモさが、知性なのかどうかが分かってませんが、その文章力は、きっと知性なんだろうなとは思ってます。

でも、エモい文章は苦手なのです。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。