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根拠のない自信は不安のない過信ではないから、自信がなくても信じてみようという話

根拠のある自信と根拠のない自信という話を以前、書いたことがあります。

そんな中、この言葉が刺さりました。

自信があると言っていても、それは確実なことではなく、不安を覆い隠した上で言うもので、それがなければ、過信だと言う話です。

「それは過信でしょ。不安をともなわない自信は、偽物だ」

というのが、元の台詞で、そこから、さとなおさんの中で醸成して、「不安をともなわない自信は、過信だ」となったそうです。

自信たっぷりに見えても不安はある。だから、自信がつくのを待つのではなく、不安を見せても良い、という、さとなおさんの優しさ溢れる言葉なのでした。

根拠のない自信は、過信なのか

じゃ、根拠のない自信は、不安を伴わない自信なのでしょうか。

根拠のない自信は、実は、不安を裏側に隠し持っています。

だって、根拠がないんだもの。怖いに決まってますよ。

でも、なぜか確信しているんですよね。自分の正しさを。

怖さを押しつぶすくらいに。

怖いけど、言わずにいられないくらいに。

そして、根拠を後から作るために調べます。理論武装します。後付けでも知識を増やして、根拠のない自信だったものを、根拠のある確信にかえていきます。

それが、根拠のない自信を持つ人なんじゃないでしょうか。

だから、根拠のない自信を持っていても、それは過信だとは言えないと思います。

根拠のない自信と根拠のある自信、どっちがいいの

さらに言えば、根拠の有無と自信は、本来関係のないことなのかもしれません。

過信ではなく、適正な自信を持つと言うことができれば、それはすばらしいことでしょうけど。難しいですよね。今よりも広い世界に出れば、そこに必ず、自分より出来る人が出てくるし、そうなると自分の自信は過信だったと思いがちです。

でもそうなんでしょうか?

根拠のない自信は、予感や信念のようなものです。理由はないけれど、なんかうまくいくような気がする。いいことがあるような気がする。そんな感覚です。

それは、楽観性だと、この筆者は指摘します。

根拠のない楽観性。根拠のない自信。これらは、子どもが大人になったとき、うつや自殺からも守ってくれる、とても大切なものです。

それを作るには、親がどう言う言葉をかけるべきか、と言うことが書いてある本の宣伝ですけどね。

何者でもない自分だから持てない自信

ただ、何かができなければいけないとか、全てに意味がなければいけないとか、いや、生きているだけで意味があるとか、いろんな言い方に振り回されないには、やはり、ある種の全能感を子供の時に持っていた方がいいし、人間も生き物として楽観的であっていいんじゃないでしょうか。

このところ、アドラー心理学と山田ルイ53世から学ぶところが多く、そこで到達したのが、「何者でもない自分は、自分以外の何者でもない」と言う言葉でした。

ところが、子供に自信を与えたいと考える親とか、自分に自信がないと考える子供とかが巻き込まれているのは、「何者かでなければならない」と言う強迫観念なのではないでしょうか。

まだ、何者でもない自分は、自信を持っていられない。自信を持てれば何者かになれるかもしれない。

それって、卵と鶏です。どっちが先なのか。

いつか訪れる自信を持った何者かである自分になる日。その日を待ち焦がれながら、いつまでも自信が持てない自分に対するやりきれない思い。それが若者の焦燥というものなのでしょうか。

でも、そんな日はこないんです。

根拠とはなんだろう

私は、勇気二部作を読んで、こんなことを書いています。

自己肯定ではなく自己受容が必要で、そのためには「肯定的な諦め」を持って、「ありのままのわたし」を受け入れ、変えられるものを変えていく勇気を持つこと、だと「嫌われる勇気」の中にあります。

自己受容の結果、自分の人生を生きていくために必要なのが、根拠のない自信なのかもしれません。根拠はないけど、大丈夫だと思うこと。根拠はないけど、出来そうだと思うこと。根拠はないけど、正しいと思うこと。

それを、根拠ができるまで先延ばしにするのではなく、まず根拠のない自信でやってみる。失敗したらば、出来なかったという「根拠」が生まれます。それを明らかにして身につける。

そして、次の「根拠のない自信を持った旅」に出てみる。

それは、過信ではない。そう思います。

不安は常にうちに抱えながら、でも、根拠のない自信を持って飛んでみる。

それが、自分の人生の主人公として、自分の人生を生きる、と言うことなのではないかと考えています。

不安をともなわない自信は、偽物だ

そう考えると、元の台詞「不安をともなわない自信は、偽物だ」という方が、しっくりきます。

過信と言うよりも、偽物なんです。

偽物の自信。

根拠があろうと、なかろうと、偽物じゃダメですね。でも、偽物というか、嘘まみれの話を自信たっぷりに口にしたり、判断材料にしたりする大人のなんと多いことでしょう。

不安をともなわない自信は、欺瞞であり、社会悪を引き起こすかもしれません。昨今の政治家みたいに。誰とは言いませんが。

何の話でしたっけ。

そうそう、根拠のない自信でした。

根拠はなくても、不安はともなう、そういう自信は持ってみるといいと思います。少なくても若いうちは。人生が上り坂のうちは。

そんな気がします。

「不安をともなわない自信は、偽物だ」が載っている小説。





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