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「保守と革新」が「右翼と左翼」ではないのが見えてきた

このところ、政治における対立軸を考えるにあたって、右とか左とか、保守とか革新とかを考えております。

保守と革新のねじれ

この記事を書いた時に取り上げた佐々木俊尚さんのnoteでも保守と革新のねじれという話が出てきます。

しかし自民党支持=保守化、と断言しちゃっていいのでしょうか? そもそも自民党が「保守政党」と言い切れるのかどうかは疑問です。これは自民党が言っているのではなく、反自民の中心である立憲民主党の枝野幸男さんがそう言っているのです。

さらに、立憲民主党の枝野さんが自らの立場について次のように著書の中で書いていると指摘します。

「真の保守は、リベラルと称せられる私たち立憲民主党の政治姿勢と実はきわめて近い」

また、保守派と言われる自民党の稲田朋美さんの発言を引いています。

「保守とは何かという問題だと思うのです。私は保守とは多様性を認め寛容であること、そして他者の生き方を認めるあたたかさや謙虚さだと思います」

「保守とは何かという問題」ではなく、保守とは「何を守るか」なのではないかと思いますが、結局、自分たちの優位性を語る際に、今の政治家は「自由と平等」を守るのは自分たちだと主張しがちであるということのように見えます。

しかし本来「保守」とは、政治的にも社会的にも経済的にも統制力が強い、現状を維持しようとする傾向が強く、自由と平等を犠牲にしても「国家としてあるべき姿」を保とうとする勢力ではなかったでしょうか。

保守とは、リベラルとは、という言葉の前提が崩れているのが日本の政治的現状なのだという気がします。

保守=右、革新=左ってホント?

この辺りを考えるために、「右」とか「左」ってなんなのかを浅羽通明さんの「右翼と左翼」から考えたのが、昨日の記事でした。

その中で、結局右とか左は相対的なものでしかなく、それまでの主流を守ろうとすると新しく出てきた価値観を標榜するグループから「右」と言われ、常に新しい側は「左」たらんとするのだ、という歴史的背景と現状を見ました。

だからこそ、主が変わろうと長年政権に居座っている限り自民党は「右」で、その対抗勢力として次々に出てくる新党は「左」なわけです。たまに右の新党も出てきますが、それは国粋主義だったり民族主義だったりします。

しかし、そうした様々な新党が提示する対立軸も、よく見ると、もはや「右とか左」とか「共産主義」とかではなく、基本時には民主主義で、その上で「環境問題」とか「新自由主義経済の打倒」とか、軸が変わってきているのを感じます。

昨日の記事で、私は次のように書きました。

巨大な権力が現にあって、それと戦うという構図があるならば「左翼」にも力があるかもしれませんが、複雑化する力関係と世界企業による搾取の中で、日本で「自由と平等」を求めることが別の国の「自由と平等」を圧迫する可能性がある状況下で、社会改革としてSDGsを持ち出したところで、何が改善するのかわからなくなっているのが、実情ではないでしょうか。

いま、新勢力が立ち向かうべきは、国内既得権力なのか、世界を跋扈するGAFAなのか。その辺りの視点が定まっていないから、わからなくなってしまう。

特に日本では、何を守ろうとしているかも決めずに「保守」を自称する人達がいるからさらに複雑です。

若者は保守化したから自民党に投票するのか

若者が自民党に投票することを右傾化だとか、保守化だとかいう声があります。佐々木さんが引用していたこの記事は典型的で清々しくさえあります。

ここでいう保守とは、いうまでもなく、昔の古き良き伝統や文化を守る、などという、ふやけた考えではない。古い社会体制の根幹を守る、という政治哲学である。
 保守に対峙する政治哲学は、革新である。古い社会体制の根幹を、新しい体制に改革する、という考えである。
 この2つの政治哲学のはざまで、若者たちは保守に傾き、革新から離れてしまったようだ。こんどの参院選で、若者たちは革新党に対する積極的および消極的な不支持を表明したのである。

保守=古い体制社会を守る、という明確な定義で、それに対抗するのが革新だと指摘しています。見事な保守と革新の対立軸。そして、若者は常に既存の社会体制に反発し、革新を担うという安保闘争世代の言説です。でも、そんな闘争世代の皆さんが今や社会の中心から右にいるんじゃ無いでしょうか。

そして、そんな社会に対して、今の若者は「革新から離れた」のではなく「革新など無いと判断した」のではないでしょうか。

その理由は、この方自身が書いている通りなのだと思います。

いまの政権は保守政権である。だから、社会の紊乱は与党である保守党に、その究極的な責任がある。したがって、それを糺すのは、革新政党しかない。だが、いまの野党は、ことに大きな野党は、革新政党を名乗っていない。私は保守主義者だ、と公言する幹部さえいる。
 これでは、若者は野党を支持できない。せいぜい、よりましな保守党に投票するしかない。

野党が革新政党では無い以上、若者も革新を支持することはできません。妥協かもしれないけど、社会を少しでもより良く進めるためには、政権党に頑張ってもらうしかない状況が続いているからこそ、自民党を支持するしかないというのが、そこにある若者の声ではないでしょうか。

そして、今の自民党は、つまり小泉後の自民党は、昭和の自民党では無い(これについてはこちら)。さらに、リベラル政党と言われた民主党政権の後に政権をとった政権交代後の自民党政権な訳です。

こうした状況を、「右翼と左翼」を読んだ結果達した<新しく登場した勢力が常に「左翼」で、その前に中心にいた勢力が右に追いやられて「右翼」になる>という定義に当てはめると、民主党が政権を取った途端、彼らは右翼=旧来勢力になり、その後に出てきた安倍政治は左翼=革新勢力となったのではないか。

そして、中心を占める安倍政治を追いやる新しい勢力(それは自民党の中だろうと外だろうと構わない)がでてくれば、それが「左翼」であり「革新」なのだということなのではないでしょうか。

今や、保守と革新というのは、その程度の振れ幅でしかなく、さらに、左翼勢力の保守性という問題が、立ちはだかります。

左翼化した社会に保守化する左翼

さらに、今の政治状況を見ていると、革新政党と自称する人たちが自分たちが長年築いてきたものを必死に守ろうとしている姿に、若者は「保守」の姿を見てしまうのではないでしょうか。

たとえば共産党の組織硬直性、リーダーが変わらないことは、「保守的」とは言えないでしょうか。常に若者が自由に発言している政党というイメージはあるでしょうか。志位さんの前の不破哲三さんも宮本顕治さんも長かったよね。

立憲民主党と国民民主党でも、前に出てくる人たちは、民主党時代と変わりません。鳩山さんはお辞めになりましたが、菅直人さんはまだ在籍しているし、野田さんもいる。枝野さんの周りにいる人たちも変わり映えしません。

社民党は、もう議員自体がほとんどいないので政党として機能しているのかどうかも怪しい。でも、地方組織があるからやっていけるのです。

彼らの「護憲主義」が、日本の憲法論議をややこしくしています。憲法は国のありよう、国際社会の変化の中で見直していけばいいと私は思います。別に9条だけが憲法じゃないわけですから、全く触らない、改定の議論もできないという状況は真っ当じゃない。何を保守しているのだろうと思います。

そのほかにも色々ありますが、要は、革新勢力だと言われてきた人達が、自分たちの意見を変えないこと=保守的であること、が、社会を進歩させておらず、かえって社会に行き詰まりをもたらしているように見えるのです。

その背景に、日本社会が戦後一貫して左傾化してきたという事実があるだろうと考えています。自民党と社会党が協力して社会体制を推し進めてきた55年体制とは、社会民主主義的な計画経済によって経済に特化した国家運営でした。そこでは、教育が二の次になっていた。

そこに日教組の跋扈と戦前教育への反動がもたらしたのが、日本人の基本的思考の左傾化です。安保闘争で広く教育を受けた人たちに左翼的なものは広がり、さらに社会の指導層にそうした世代が台頭し、マスコミが左翼崩れの巣窟になり、等々、これは長くなりそうなのでやめておきます。

左傾化した日本社会では、愛国心とか祖先を敬うとか天皇尊重とか、そういういわゆる「右傾化」した言説が「新しい」ものに見えてしまう。若者が、こうした「愛国・尊皇」を理解する姿を、おじさんたちは「右傾化」と呼びますが、そうじゃなくて、おじさんたちが左傾化していて、それがマジョリティだから、新しく出てきた「愛国・尊皇」はむしろ左=革新なんです。

つまり右翼的なものが革新で、左翼的なものが保守という構造が、現代日本なのではないかと思うわけです。

ねじれもここまで来ればいっそ清々しいので、やはり、新たな軸を見出すしかないのが現状だなと改めて思う次第です。


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