昭和の常識は令和の非常識、昭和の非日常が令和の日常
昭和について思い出したり考えたりしている。
そんな矢先に、筒美京平さんが亡くなって悲嘆に暮れていた。
それでも、昭和について何か書けないかと考えていた。
週休2日は、平成から
そしたらば、Twitterでこんなことを書く羽目になった。
週5働いた疲れが、週2の休みで取れないだの、週6働いたらば、尚更週1の休みでは疲れが取れないだのという嘆きがトレンドになったという。
そんなことを言ったらば、週7勤務のような育児とかどうするんだ、というような意見もあった。
という中で、考えてみれば、昭和の時代には、多くの労働者は週休5日制ではなかった。
企業における週休二日制には法的根拠がある。1988年改正・1997年に完全施行となった労働基準法第32条で定められている法定労働時間により、1日の最大労働時間である8時間×5日間の労働をさせると、1週の最大労働時間である40時間に達する。このため、労働基準法第36条に基づくいわゆる「三六協定」を締結し、割増賃金を労働者に支払わない限りは週休二日制とせざるを得なくなった。
この労働基準法の改正で多くの企業に週休完全2日制が導入され、土日は休みという風潮が普通のものとなった。
さらに、銀行が休みになり、公務員が週休2日になり、小中学校での土曜休校になって、拡大する。
1989年2月4日から銀行など金融機関が土曜日の窓口業務を中止(1983年8月から1989年1月までは第二土曜日のみ(1986年8月からは第三土曜日も)窓口業務を中止、他の土曜日は午前中のみ窓口業務を行っていた)。1992年5月1日から国家公務員も完全週休二日制を実施した。
つまり、平成に入ってから一般化したと考えていい。
昭和のお父さんはなぜ週6でもがんばれたのか
昭和のお父さんたちは土曜日も働き、日曜だけが休みだった。
その休みも、どこかに連れてけと騒ぐ子供たちに抗しきれず、家族で出かけることになるのが常だった。
家族サービスというやつである。
昭和のパパ像は“会社に忠誠を尽くし家族を養っていく”が典型だったが、ここに“家族サービスすればなおよし”と加点要素が追加され、だんだんと“会社より家族・プライベートを重視すべし”という風潮になってきた。
モーレツ社員から家族が大切なマイホームパパへ、そして友達親子へと変わっていく、昭和から平成、令和。
令和の家族愛のあり方は「家族を愛する」という点でややアメリカ的だが、そこに日本文化なりの“控えめさ”が加わったような按配である。
でも、本当なんでしょうかね?
令和になって、そんな感じなんでしょうかね?
昭和のお父さんたちは、仕事も頑張り、家族サービスも頑張り、その頑張る俺が素敵という価値観で高度成長経済を突っ走りバブルに至ったのだと思う。全力が価値だったから、手を抜かない生き方をしているという自尊心が自分を励まし、生かして、週6働いても、まだがんばれたんじゃないですかね。
バブル時代の、24時間働けますか?というコピーに象徴される、一流の人は生命力が溢れているというマッチョ主義が、時代を動かしていたように思います。
でも、バブルがはじけ、低成長経済になり、週休2日となって、自分が大事だったり、趣味に邁進する人が評価されるようになると、仕事と家族の両輪で頑張るモーレツタイプはどんどん立場がなくなり、前世紀の遺物という扱われ方になっていく。
そして、本当に世紀が変わり、20世紀が前世紀となる中で、20世紀を全盛期として生きた昭和のお父さんたちは、モーレツ社員時代の価値観が抜けず、社会のぬるさにだんだんイライラしてきて、押さえが効かない暴走老人と化しているのではないだろうか。
仕事も休みも全力で駆け抜けた昭和のお父さんたちにとって、仕事も家族もほどほどの令和時代はなんだか腑抜けて見えることでしょう。
還暦越えてもビキニ着たっていいじゃない
お父さんたちの戸惑いとは別に、お母さんたちは生き生きと人生を謳歌していますよねえ。
宮崎美子さんといえば、今から40年前に、熊本大学の女子大生として週刊朝日の表紙になり、その後、ミノルタカメラのCMで水着になったので一躍メジャーになった方です。
今では、クイズの女王として知られますが、元祖才女というか、女子大生アイドルからの女優転進的な人だったわけです。
それが、61歳でビキニでカレンダーですよ。
19日に宮崎が水色や黒のビキニ姿の写真が公開されると、瞬く間にツイッターやヤフーリアルタイムのトレンド入り。大きな反響を呼び「奇跡の61歳」「若い頃よりスタイルが良くなってて驚いた!!」「年齢なんて関係ない美しさだね」「宮崎美子さんのビキニ姿が衝撃すぎて頭からはなれない あれはすごい…」など絶賛の声が続出している。
いろいろな方が年齢が立ってから水着になったりヌードになったりしていますが、宮崎さんのビキニ姿は衝撃的だと思います。私なんかは、宮崎さんはきっと、デビュー当時の水着姿に黒歴史を感じていて、封印したかったんじゃないか、と勝手に思ってしまっていました。
知性で売っている人が、還暦すぎて赤いちゃんちゃんこどころか、また水着になる、しかもビキニになる。
さらに、若い時よりもスタイル良くなっている。
いろんな意味で衝撃です。
この強さ。
お父さんたちは週休5日で疲れている場合ではないのではないか。そう思わざるを得ません。
昭和の常識は、令和の非常識というのか、昭和の非日常は、令和の日常とでもいうのか、そんなことを考えた一日でした。
この記事を書いた中川さんは、ビキニになった宮崎さんをみずに書いたようなので、タイトルを変えただけの再編集記事みたいです。
でも、昭和ののほほんとした時代の宮崎さんのCMから40年たって、こんなことになろうとは、時代の変化に打ちのめされて、そりゃミノルタカメラも無くなろうというものです。
サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。