家族葬はシンプルで良い

週末、お葬式がありました。

このご時世なので、家族葬だったんですが、楽でいいですね。

ご会葬御礼に悩まなくて良いし、香典の金額を受付で確認したり、香典泥棒を気にしなくても良い。焼香の列もないし、短時間で終わるし。

近所の人や古い知人やらにどこまで連絡して良いかを悩まなくても良い。

家族で故人を看取るだけ、できればお坊さんのお経もなくても良いくらいだけど、こればかりは個別の信心もあるし、数代前からのお寺とのお付き合いもあるので、そうもいかないのだろうけど。

斎場の方に、何気なく「最近家族葬多いんでしょうね」と聞くと、「もちろんそうなんですが、多くの方が、家族葬でホッとされているようです。今までも近所の付き合いや会社の兼ね合いで葬儀をするのに疲れていたんじゃないでしょうか」という率直なお話が返ってきました。

葬儀会社は、家族葬ばかりだと売り上げが上がらないでしょうし、色々コスト面でも問題があるのかもしれませんが、1年以上この状況なので、すでにそれなりに利益を確保できるような仕組みになっているでしょうし、問題はないのでしょう。

結婚式は中止にできますが、葬式を中止にすることはできないものですしね。コロナで亡くなったのでなければ、普通に取り行えますし。

結局、コロナの中で、必要ではないもの、過剰だったものが炙り出されているうちの一つが、葬儀のあり方なのかもしれません。

もちろん、故人及び喪主の権力誇示とか権威の表明というような意味で、大型の葬式も必要かもしれませんが、それ以外はもっと故人に近い人だけでいいんじゃないですかね。無理に遠くの親族の葬式に出て、誰も知っている人がいないのに精進落としの席の片隅でちんまり座っているよりは、思い出が語れる程度の知人や親戚までにして、本当にシンプルな方がいいんじゃないでしょうか。

家族葬って、人数が少なくて寂しいと思うよりも、余計な人がいなくて清々しいなあと思ってしまいました。

自分の葬式は、もっとシンプルに何もなくていいとは思うんですが、そうは言っても自分ではみられませんし、なんと言っても、葬式は残った人のためにやるものなので、誰が喪主になるかわかりませんが(多分妻でしょうけど)お好きにしていただきたいものです。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。