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故・金田正一氏の記録を調べて驚いた

今朝のスポーツ新聞は、昨日開催された金田正一氏のお別れの会の記事ばかりでした。

1969年引退なので、さすがに現役時代は覚えていません。印象に残っているのは、ロッテの監督で仙台とか川崎で頑張っていたこととか、名球会を作ったことくらいです。

それでも、不滅の400勝投手、通算4490奪三振とか、すごい人だったという記憶はあります。

今回、改めてその記録を見ていて驚いたのは、そうしたこれまで喧伝されてきたことではなく、その裏側にある数字でした。

金田正一 - Wikipediaja.wikipedia.org


FireShot Capture 145 - 金田正一 通算成績 - プロ野球記録_ - https___nipponbaseball.web.fc2.com

これが、あるサイトから持ってきた成績表です。

17歳で享栄高校を中退して入団したので、1年目こそ8勝ですが、2年目から14年連続20勝を記録します。

その入団2年目から14年連続20勝の裏で、14年連続二桁敗戦。しかも、勝率が5割に満たない年もあります。弱小国鉄ですから投げても勝てない日があったわけですね。通算敗北数298敗も日本記録です。

先発だけではなく、勝てそうだとリリーフに行ったという話もあるので、登板数もさることながら、投球回数に注目してみると、この14年連続20勝の間は連続300イニング以上投げています。

最近は200イニング投げる人も珍しくなっているわけで、400勝とともに5526回3分の2という投球回数は、不滅の記録といえるでしょう。

それと奪三振の裏で与四球の多さも卓抜しています。

1年目の164イニングで127というのも相当ひどいですが、2年目の190、3年目の197、4年目の135と、300イニング以上投げているとはいえ、桁違いの数字です。この197は戦後最多ですね。

昨年のセリーグトップは山口俊の60、パリーグは千賀の75ですから、その多さがわかります。

通算1808与四球も日本記録です。

金田の凄さは、速球とカーブだけで勝ったことで、コントロールが悪くても空振りさせるだけの球の速さがあったそうです。本人は、170キロとも180キロも言いますが、それはさておき、今の大谷よりも早かったという人は多いですね。

ブルゾンちえみがデビュー前のバイト先によくきていたのが金田さんで、お客さんだったけど仲良くなったとか、いろんな逸話がありました(そこかい!)。

ご冥福をお祈りいたします。

NPB記録
通算400勝
通算4490奪三振
通算5526.2投球回
通算365完投
通算298敗
通算1808与四球
シーズン20勝以上:14年連続14度(1951年 - 1964年、回数・連続回数ともにNPB記録)
64.1イニング連続無失点(1958年4月30日 - 1958年5月27日)
最年少200勝達成:24歳309日
公式戦開幕投手:14度(国鉄10度・巨人4度)
連続シーズン100奪三振以上:16年(1950年 - 1965年)[116]
セ・リーグ記録
通算569先発登板
通算82完封
通算4120被安打
通算1706失点
通算1434自責点
シーズン34完投(1955年)
シーズン197与四球(1952年)
1試合16奪三振(1967年6月7日)
1試合10与四球(1950年11月4日)




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