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歌は世につれ、昭和は有線、令和はTikTok

昨日、こんな記事を書きましたが、案の定、受けない。

待つ女、去る女の心情を描いた昭和と令和の違いみたいなことを言いたかったのだけど、だいたい、優里を知っている人は、松山千春を知らないかもしれないしね。

なぜ、こんなことを思いついたかというと、世の中への知られ方も、昭和と令和の違いはあれど、メジャーレーベルで宣伝をして知られたわけじゃないというところが似ているんじゃないかと思ったからなのです。

松山千春のデビュー当時

松山千春というのは、「季節の中で」で全国的に知られたわけですが、この曲はシングルとしては5曲目で、そこに至る道があるのです。

全国フォーク音楽祭の予選に、ニッカポッカを履いて現れた目つきの鋭いキタキツネのような男。

その風貌に反して、歌う声は甘く高音が伸びやか。予選には落ちましたが、その声に惚れたSTVラジオのディレクター竹田健二が、土曜日のラジオ番組に「千春のひとりうた」というコーナーを作って、毎週新曲を2曲歌わせた。

それが北海道で爆発的な人気になり、1977年1月25日「旅立ち」でデビューするわけです。

ところが、その恩人・竹田ディレクターが8月に急死。

STVラジオのディレクターだった山本パンタさんを中心にオフィス・パンタができて、個人事務所として活動をサポートする。

STVラジオの深夜放送「アタックヤング」のレギュラーとなり、そのトークがバカうけ(昭和だなあ)。さらに、オールナイトニッポンの二部に起用され、その毒舌と歌声のギャップに魅了されるマニアが続出。

ここまでは、1977年の話で、こうした人気を受けて、「季節の中で」で当時人気絶頂の百恵・友和が出演するCMソングに起用されるんですね。

千春と私

当時(1977年)、私は高校1年生で、札幌から来た転校生が「千春って知ってる」と行った頃(4月)には、まだラジオを聴いたりしていなかった苫小牧の高校生は、札幌での松山千春の絶大な人気を知らなかったんですね。

「千春知らないの〜〜」という札幌での最先端を持ち込んだような言い方に刺激されて月曜深夜の「アタックヤング」を聴くようになり、私だけではなくクラス中が、あっという間に松山千春の大ファンになりました。

そして、タモリの後のオールナイトニッポンの二部は、北海道では放送されておらず、東京のニッポン放送の電波を受信しないと聞けない。これが、深夜の澄んだ空気ならば、時々、苫小牧でも入るんですね。太平洋側だから。

それを耳を凝らして聴いたり、1978年になって一部に昇格して、北海道でも放送されるようになって、さらに千春の人気は高まるのでした。

高校の時は、彼女と二人で松山千春のアルバムを聞くのがデートでした。

苫小牧市民会館で開催された松山千春のコンサートにも行きました。私が生まれて初めて行った歌手のコンサートです。

そういう思い出のスターが松山千春なんですよね。

ラジオがクチコミを産んだ頃

さて、デビューの頃までの経緯は、この本で本人が書いてます。

この本に書いてある竹田さんとの出会いのエピソードは、大東俊介の主演で映画化されてます。

“昭和50年全国フォーク音楽祭・北海道大会”。札幌で開催されたこの大会に、一人遅れてパトカーで到着した若者の姿があった。真っ赤なニッカポッカ姿に大きなサングラス、片手にギター1本持ったこの奇抜なスタイルの男こそ、当時19歳だった松山千春。
大勢の客達は明らかに場違いな彼の姿に爆笑するが、そんな会場に「お前らうっせえぞ! 笑ってないで歌を聴け!」と鋭く一喝する千春。そして歌い始めた彼の曲『旅立ち』―。その透き通るようなハイトーンボイスと、切ない別れを歌った歌詞の世界に、さっきまで野次を飛ばしていた観客たちは圧倒され聞き惚れる。結局、生意気な態度が災いしてあえなく落選してしまう千春だったが、審査員として彼の歌を聴いていたSTVラジオディレクター=竹田健二は彼の才能にいち早く気付く。早々に会場を後にしようとする千春に「いつかチャンスが来るから、その時までに作れるだけ曲を作っておけ!」と告げる竹田。これが2人の運命の出会いだった。

札幌を中心に北海道で絶大な人気を誇った松山千春ですが、その人気を広めたのはラジオでした。のちにテレビが産んだ北海道のスター大泉洋というのが出てきますが、この頃、広い北海道では、ラジオから広まるスターというのがあったわけです。

ちょっと前には、北海道出身のスターというと、中島みゆきが出てきますが、彼女は、ポプコンの入賞者で、ヤマハ主催の世界歌謡祭の1975年のグランプリですから千春のようなポット出ではありません。

ちなみに、みゆきさんも帯広柏葉高校出身ですから、千春と同じ十勝ということになります。藤女子大学出身のイメージで札幌だと思いがちですけど。

みゆきさんもオールナイトニッポンでのはっちゃけたトークで人気が出ますよね。曲だけではなく喋りが人気を生むのもラジオの特徴でした。

また、ポプコンといえば、「コッキーポップ」というポプコン歌手が出るラジオ番組が人気でした(のちにテレビ番組にもなりますが、ラジオの時代の印象が強いです)。

リスナーから寄せられたはがきとポプコンで入賞した曲を中心とした選曲、リクエストで構成、この他にポプコン出身歌手、バンドをゲストに迎えてのインタビューやトーク、ポプコン本選会のリポートやリクエストランキングなどを特集して放送されていた。なお、歌手、ミュージシャンたちの音楽を大事にしたいという意向で、曲はフルコーラスかけるのが基本だった

ラジオがまだ売れていないけれども実力のある歌手の曲をかけて、そこから口コミで広がる、そんな時代だったといえます。

松山千春が北海道以外で人気が出たのは、福岡でした。これもラジオのパーソナリティが気に入った曲をかける番組で、松山千春をピックアップしたことがきっかけだったと言われています。

昭和の時代には、そういうプロモーションも盛んで、人気のあるラジオパーソナリティにデモ盤を渡して、聴いてもらい、番組でかけてもらうようお願いするという営業もありました。特に演歌歌手とかフォーク歌手のようにテレビに出ないジャンルでは多かったようです。

当時は、70年台アイドルの全盛期。中三トリオが高三トリオになったくらいの時期です。柄の悪いフォーク歌手がテレビに出る時代ではありませんでした。千春もそうですが、ポプコンから出てきたチャゲ&飛鳥とか長渕剛とか、当時はテレビ向きとは思われていませんでした。

TikTokからヒットが生まれる令和

そして、このラジオがクチコミをうみ、テレビに出ない歌手がスターダムに乗るという流れが、今のTikTokで火がついたり、YouTubeで再生数が増えたりという流れと似ているように、昭和のおじさんには見えるのです。

優里にしても瑛人にしても、ルックスも悪くないのでテレビに出ても良さそうなものですが、YouTubeに自分で曲をあげて、それがTikTokで取り上げられて、若い子たちの間で火がつく。そういう流れが、このところのヒットにつながっていますよね。

前に、ヨルシカのことを取り上げたことがあります。

テレビから生まれるヒット曲が少なく、サブスク時代のダウンロードと再生数から生まれるヒットの時代。

でも、それは、ラジオ全盛時代に、有線のリクエストでヒットが生まれていた時代となんとなくデジャブ感があります。

電リクと有線の時代

ラジオで耳にして、番組にリクエストする仕組みがありました。電話リクエスト主体の番組もあって「電リク」とか言われていました。

2010年台以降オペレーターの人員確保の経費や番組制作費の兼ね合いや、携帯電話の普及率向上やインターネットサービス加入者の増加により、電子メールでのリスナーメッセージ投稿の割合が高くなった結果、電話リクエストを実施する番組は極少数となった

今はSNSやメールで番組への声を募集したりしてましたが、昔は、葉書か電話でした。

この時代に、ヒットを生む一つの大きな要素が、有線ラジオ放送でした。

有線ラジオ放送は、多くのチャンネルを有し、ジャンルはJ-POP・演歌・歌謡曲・ロック・ポップス・ジャズ・クラシック・ヒーリング・BGM・カラオケなど多岐にわたる。リクエストを受け付けるチャンネルもあり、聴きたい楽曲を電話によってリクエストすることもできる。いずれのチャンネルもディスクジョッキーは選曲と再生機器操作に専念し、音声による曲紹介や番組紹介、司会はしない。

特に、カラオケが流行る前は、飲み屋やスナックなんかのお店に有線がかかっていて、気になる曲があるとリクエストをして、またかけてもらうというようなことができました。

それで再生回数が上がると人気曲ということになるわけです。

そのリクエストから生まれたヒット曲を表彰する有線大賞というのもありました。

特に演歌系の歌手の間では、日本レコード大賞と同様に重要な賞だった時代もあったんです。

今や、こうした賞レースもすっかり意味が薄れてしまいました。

その背景には、サブスクとYouTube、TikTokというヒットを支える仕組みの変化があるのではないでしょうか。

仕組みは変わっても、行動は変わらない

でも、結局、聴いている人が何を通して支持を表明するか、という点は変わっていないのではないかと思うのです。

有線へのリクエストとYouTubeやTikTokでの再生には、ふと耳にした曲が気になって、もう一度聞いてみたくなったという動機に共通性が見受けられます。プラットフォームは変わっても、人間の心理と行動は大きく変わったりしないので、同じような行動を起こすわけですね。

歌は世につれ、世は歌につれ、と言いますが、ヒットの仕組みは世のプラットフォームの変化につれて変わるけど、世の中が変わっても歌のヒットは心を動かし、行動を促したものかどうかという点では一緒のように思えます。

音楽業界を支える仕組みの変化と、その相同性が気になったおじさんなのでした。





サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。