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COP26は「コップの中の嵐」なのか、「COPの外は嵐」なのか

イギリスで開催されているCOP26(第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議)ですが、日本からは岸田総理が0泊2日の強行日程で参加し、もう帰ってきました。なので、すっかり終わった気になっていましたが12日まで開催中です。

実はCOP26はまだまだ絶賛開催中

岸田総理は、この中での首脳級会合だけ出席し、バイデンさんと会って大喜びして帰ってきました。

 総理は、アメリカ合衆国のジョセフ・バイデン大統領と懇談を行った後、インフラ開発と気候変動首脳級イベントに出席しました。続いて、COP26世界リーダーズ・サミットに出席しスピーチを行いました。次に、日本パビリオンを視察した後、国際連合のアントニオ・グテーレス事務総長、英国のボリス・ジョンソン首相、オーストラリア連邦のスコット・モリソン首相、ベトナム社会主義共和国のファム・ミン・チン首相との会談等を行いました。最後に、総理は会見を行いました。

岸田さんが外務大臣を長く務めていますので、バイデンさん以外はある程度顔見知りというか訪問したことがあるでしょうから、その点では、菅前総理のように会議でボッチということはありません。

演説の中でも「ボリス」とか「ローラン」とか親しげです。

でも、さっさと帰ってきてよかったんでしょうか?

COP26もSDGsの重要なファクターですから

私が、このCOP26に注目したのは、この間書いた記事で見たようにSDGsとか新しい資本主義とかに興味が出てきたからなのですが、やはりというか、ちょっと心配になってきました

既存の経済活動の延長戦に、現在、人類が直面している諸問題を解決する方法はない。だからこそ、グレタさんがいうように「今すぐ止める」のか、斉藤さんが言うように「脱成長コミュニズム(コモン主義)」を目指し「コモンの復活」に注力するのか。

SDGsは国連が定めた目標(Goals)なので、国連が開催するCOPは環境問題を考えるにあたって重要な役割を果たしているのは自明の理です。

そこで必要なのは「目標についてどういう行動を起こすか」であり、そのために「目標」で争っている場合ではないはずです。

岸田総理が帰ってきた後のCOP26を報じるメディアが一気に少なくなる日本ですが、重要なのはここからの協定書の締結です。

各国目標の裏に見える微妙な姿

排出削減をいつまでに、どの程度行うことを世界の共通理解とするのか、その国際的枠組みを決めたパリ協定をどのように実現するのか。それを話し合うのがCOP26だからです。しかし表向きの発言では積極的に見えても、その実態は、先進国の目標に対して中間国や途上国が性急すぎると待ったをかける調整の場に過ぎません。

今月末に国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)が控える中、さまざまな国が、気候変動への対処方法に関する重要な科学報告書の内容を変更しようと働きかけていることが明らかになった。BBCが膨大な流出文書で確認した。

事前の調整で既に駆け引きは始まっています。

公には排出削減目標を高く掲げても、その裏ではその方法やプロセスに疑問を呈したり、変更を求めたりしていることが、この記事からわかります。

それでも、公表値をまとめれば2度から1.8度に気温上昇の幅が抑えられるかもしれないと言う見込みが出されています。

国際エネルギー機関(IEA)は4日、各国が公表した最新の温暖化ガス排出削減目標を分析した結果、目標が完全に達成されれば産業革命からの気温上昇を今世紀末時点で1.8度に抑えられるとの見解を公表した。

そこにあるのは経済成長と気温上昇がコントラバーシャルだけれども交換可能な問題だと言う意識です。

日米欧などはIPCCの目安におおむね合致する形で、30年時点の目標を引き上げた。欧州連合(EU)は1990年比40%から55%に、日本は2013年度比26%から46%に、米国は05年比50~52%減と定めた。だが世界最大の排出国である中国は30年目標を据え置いている。
一方、新興・途上国側は先進国が支援の約束を果たしていないと批判する。先進国は09年、20年までに年1000億ドルを支援すると約束したが、経済協力開発機構(OECD)によると達成は23年にずれ込む見通しだ。

でも実際には、どちらかを選ばなければならない事態が差し迫っている。成長か温度上昇かではなく、成長を止めても温度上昇を抑えないと人類の多くが混乱と滅亡に巻き込まれる状況になるだろうと言うことなのです。

金か命かを問うCOP26 

ただし、その滅亡は、多分、途上国や小国から始まる。

 南太平洋に位置し、九つの島・環礁で構成される人口約1万人の小国ツバル。国土の平均海抜は2~3メートル程度と海面上昇の被害を受けやすい。温暖化で「最初に沈む国」になる危険性があると言われている。首都フナフティは既に4割が海面下にあるという。

気候変動や異常気象に伴う旱魃や水害で大きな被害を被った結果、復旧が遅れたり、死亡者が多かったりするのは、やはり先進国ではなく途上国でしょう。被害はあらゆる国で起こるとしても、その対応は国によって異なるからです。

先ほどあげた岸田総理の演説の中身は、ほとんどが金の話です。

アジアにおける再エネ導入は、太陽光が主体となることが多く、周波数の安定管理のため、既存の火力発電をゼロエミッション化し、活用することも必要です。日本は、「アジア・エネルギー・トランジション・イニシアティブ」を通じ、化石火力を、アンモニア、水素などのゼロエミ火力に転換するため、1億ドル規模の先導的な事業を展開します。先進国全体で年間1,000億ドルの資金目標の不足分を率先して補うべく、日本は、6月に表明した、向こう5年間で、官民合わせて600億ドル規模の支援に加え、アジア開発銀行などと協力し、アジアなどの脱炭素化支援のための革新的な資金協力の枠組みの立ち上げなどに貢献し、新たに5年間で、最大100億ドルの追加支援を行う用意があることを表明いたします。

しかし、その評価は「化石賞」だったわけです。

英国の都市・グラスゴーで開かれている第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)で、環境NGOでつくる「気候行動ネットワーク」(CAN)は日本時間の11月2日、岸田文雄首相の演説に対し、日本に「化石賞」を贈ると発表した。化石賞は温暖化など気候変動対策に後ろ向きと認められた国が選ばれる不名誉な賞で、日本は2020年のCOP25に続き、2年連続の受賞となった。

セクシー発言でもないのに。

これから出す金の話よりも、すぐに石炭発電をやめて、今ある命を救えと言うことなのでしょう。他国への貢献を全面に出した結果、どこか他人事に聞こえたのではないでしょうか

COPの中で戦っている場合ではない

さらに言えるのは、日本政府の姿勢は、実は世界のNGOだけではなく自国内でも違和感を持って受け止められていると言うことです。今や、産業転換やエネルギー転換は、決して他国の命ではなく、自国の命にも関わる問題だと言う意識を持っているかどうかが問われるのです。

100万人の雇用と、15兆円もの貿易黒字が失われかねない――。
脱炭素の遅れで自動車は輸出できなくなり、最大の輸出産業で雇用が失われる。トヨタ自動車の豊田章男社長が“必死の警告”を続けている。

この記事は、豊田章男社長の発言を強調しつつも、日経BPの主張を全面に出した記事でした。その結論はここにあります。

 2050年までの30年という時間をかけて、消費のすべてを組み立て直す。そう言い換えてもいいだろう。そして、30年後の未来に勝者となっているのは、現在のサプライヤーとは限らない。ゼロカーボンという転換期は、すべての者のチャンスである一方、すべての者の危機なのだ。

必要なのは、「排出量の引き下げ」ではなく「排出しない仕組みの構築」であり、そのために全てを組み替える覚悟と行動なのだと言うことのようです。

カーボンゼロが2050年に実現するだろうと言うのはその時生きているかどうかわからない高齢者のセリフではないでしょうか。彼らにとって2050年は「遠い未来」なのです。バイデンさんも岸田さんも30年後に生きているとは思えません。そんな人たちは責任も取れませんよね。でも、そこから逆算すれば、今何をするべきかは、かなり差し迫った問題になってきます。

だからこそ、2050年に生きていることが確実な人たちは、「今すぐに変えろ」と叫んでいます。

彼女は「今、世界のリーダーたちは歴史的な気候変動の交渉のための会合を開いている。しかし行動することなく誓約だけしても効果はない」「私たちは今、気温上昇を1.5度以内に抑えるという重要な目標とは壊滅的に離れた場所にいる。それでもなお世界中の政府は化石燃料に数十億ドルを費やし危機を加速させている」と批判。そして「これは訓練ではない。地球への厳戒警報だ。私たちの地球が荒廃するにつれ何百万もの人が苦しむ。その恐ろしい未来がやってくるか、回避できるかはあなたたちが下す決断にかかっている。あなたには決定する力がある」とリーダーたちに訴えている。この書簡にはすでに100万人以上が賛同している。

さて、COP26でどのようなことが決まるのでしょう。

重要なのは、ここで話し合われているのは、COPの会議の中での問題ではなく、その外に吹き荒れる嵐の問題なのだと言うことなのです。

外部には大した影響を与えない。仲間うちだけの些細(ささい)なもめ事。内輪もめ。
ちなみに、1931年に結成し当局からの激しい弾圧を受けた文化運動団体「日本プロレタリア文化連盟」は、略称をエスペラント語から取って「コップ(KOPF)」としていた。自身もプロレタリア系の文化運動に参加し投獄を経験した女優・沢村貞子は自書『貝のうた』の中で、この頃の弾圧が「コップの嵐」と呼ばれたと書いている。

サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。