100分の1って大変だなあと改めて思った
まさに100分の1ってこういうことだから、という話。
昨日、さとなおさんの100分の1を作るという話に触発されて、いかに自分がなり損なったかを書きました。
まあ、お前のごとき偽物と比べんなよということなのですが、次の日に書かれた冒頭の記事を読んでいただければ、さとなおさんがいう100分の1の志の高さ、レベルの高さがわかっていただけると思います。
1000日努力してたどり着けるかどうかというレベルが、100分の1に入れるかどうかという「本物」の人たちが住む世界。それもニッチではなく本流の中での100分の1を目指すということの凄みです。
100人に一人を目指すという言葉の難しさ、凄さを体現している、さとなおさんの世界がわかったところで、じゃ、普通の人はどうすればいいのか。みんながみんな100分の1を目指していくのかどうかという疑問が、昨日から頭の中を巡っている私です。
100分の1理論ってなんだろう
例えば、100人しかいない分野で100分の1を目指すにはトップにならなければならないわけです。でも、100人しかいない分野に誰が興味を持って、他の分野との掛け算を求めるのか、というと、それも難しい。
やはり、10万人とか100万人とかのレベルで参加者がいる分野で、100分の1になれれば、他の分野との掛け算も効いてくるでしょう。でも10万人の中の100分の一というと千人の中の一人、100万人の中の100人に一人というと、1万人の人が、そのレベルにあるということになります。その同じレベルの1万人との戦いでさらに100分の1になるというのはなかなかリソースが必要になる。でも、別の分野でも100分の1のレベルを持つと、複数のサークルの合成になるから、その人の価値が増していく、というのが100分の1を複数持つことの大切さという理論になります。
会社を超えた100分の1の存在になれるか
改めて言うと100分の1というのは、100番以内ということではなくて、その分野の100人に一人のレベルということです。どんな分野でも上から100番以内にいるというのは、なかなか大変だし、ましてや1番はそうなれるものではない。100人の会社のトップというと社長ですが、1万人の会社ならば、100人くらいいる課長になれるかどうか、ということです。でも、その課長が、その課の専門分野だけの人だと、それまでで、他の分野でも課長になれるくらいじゃないと、次の役員候補にはなれない。会社の中だけならね。
でも、会社というスケールを外して、同業他社も含めて、その分野の100人に一人であるかどうか、というのは別の話です。課長になれなくても、どのくらいの実力はつけられる。さらに、会社以外の活動で100分の1の価値をつけて、趣味も極めていくと、さらに価値は増していく。
以前書いた「人材コンサルタントに聞いた社長さんが聞きたい話」の中で、自分の成功体験とストレングスポイントに加えて、個人的な体験が入っているのも、会社という枠を超えた実力を見たいからということでした。
つまり、会社の中での成功というような意味で100分の1なのではなく、広い社会の中で、自分はこの専門が100分の1だと言い切れるのか、その上で、別の活動でも100分の1だと言えるのか、そう問い続けていかないと、100分の1理論の本当の顔は見えてこないのではないかと思います。
修羅の道を進む人ばかりが世界に必要なのか
そこで思うのは、99人の側でよくないか、ということです。いや、若者に未来を目指すなというのではなくて、意識高く生きていくばかりが人生ではないという話です。
100分の1を勝ち取っていく生き方があれば、99人の側でいる生き方もある。いや、あっていい。
人生のピークは80歳というさとなおさんを目指して、社会を変える側に立つ人がいるように、自分の人生にピークはもう過ぎたなあ、と感じつつ、どう社会と折り合いをつけて老いていくのかを考える人もいて良い。
そんなことを考えて、自分を納得させているのは、なんだかしみったれているなと思いつつも、結局、口にするのは、もう無理だなあ、という正直な感想だったりするわけです。だからこそ、ほぼ同じ年齢のさとなおさんの行動や発言に注目し、首肯するわけですね。わかる、でも無理、ってやつです。
昨日、久しぶりに友人と飯を食べて、お互いの環境の変化などを報告しつつ、自らの老いや会社人生の次に来るものをどう考えるかなどを話している中で、考えたことを書きたくなった次第です。
サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。