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日本文化が「遠い」のは、現代日本が段階的に「日本」じゃなくなったからなのだろうけど、それっていつなんだろう?

問いに答えてなかった。

この文章で、文化の担い手が変わったからではないか、という疑問を立てておいて、それに応えるところまで書いてませんでしたね。

江戸文化とは、武家文化と庶民文化の融合で、その後ろには公家文化がいて、という日本文化の流れまではなんとなく書いていました。

江戸はいいんです。この文化の成熟が日本文化と言えるものをもたらしたというところで、明治です。

明治時代は、日本文化などに興味がない無骨な田舎者が、それまでの前提条件を取っ払って先進国になりたがった時代です。

文化に通じる粋なお人は、幕末にみんな死んじゃいました。その上、まだ江戸の残り香の中でお侍がやりたかった人たちは、西郷さんが引き連れて自爆しました。

武家文化が文字通り死んでいく一方で、庶民は散切り頭にはなっても江戸の延長線上にしばらく暮らしていたし、大きく庶民の暮らしが変わるのは、もっと後なので、地方にはまだまだ「日本文化」を継承するものが残っています。そして、東京になった江戸と、天皇を失った京都では、江戸期に完成した「日本文化」は失われていきます。

そこを踏みとどまったのは、外国から来た慧眼の諸氏による提言なのですが、その辺りは、色々な本に書かれているので割愛。

ただ言えるのは、今、日本文化とか伝統文化と言っているものの多くは、明治時代に始まっていることが多い、というあたりでしょうか。

さらに戦後に、いろんな江戸回帰が起きる中で、日本の伝統と称されるものが、作り上げられていくのですが、まあ一番のトンデモは、江戸しぐさですね。その辺りは本筋じゃないので、書きませんけど。

日本の文化資産、文化遺産の保持、というのは、明治政府がどういう意図で行ったかというのを考えておかないと、単なる賞賛に止まるのもどうかと。

もう一つ考えておかないといけないのは、明治期に日本文化はさらに発展するということです。

落語は明治に完成しますし、歌舞伎も明治期に現在につながる演出が生まれたものが多いかと思います。着物についても、技術的な革新と織物の発展という意味では、明治期に西洋では織物が着物だけではなく絨毯や壁掛けなどの装飾に使われていることを知った川島織物の2代目あたりから、新たな発展を遂げるわけです。

ただ、それは江戸文化の延長ではなく、やはり新しい時代の機運と、新たな担い手の誕生があったのではないかと思います。それは、新支配階級の登場です。

明治期に新たな支配階級とも言える皇族・華族・士族が生まれ、鹿鳴館文化などが発展します。西洋風になるわけですが、それでもここに、昔ながらの日本文化の担い手である職人の仕事が生まれます。これが実は、日本文化の継承にとって重要だったのではないかと考えます。

文化の継承には、職人が必要で、それには仕事が大事です。

この話も別の項目で書かなきゃいけない話ですね。

でもまず、この明治期に日本文化が一旦、担い手が変わったこと。つまり、江戸庶民のものから、一旦、新支配階級のものになったことは重要な変化だと考えます。つまり、守られるものになってしまったということなのです。

明治期の社会変革と文化変容は、重要な課題だと思うので、もう少し考えてみたいです。


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