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中高年の引きこもり問題から考える「見守り社会」の可能性

今朝の日経ビジネス電子版から。

ちなみに、この調査で定義するひきこもりは「自室からほとんど出ない」「自室からは出るが家からは出ない」「ふだんは家にいるが近所のコンビニなどには出かける」という“狭義のひきこもり”に加えて「ふだんは家にいるが、自分の趣味に関する用事のときだけ外出する」という“広義のひきこもり”も含みます。ただし「現在、なんらかの仕事をしている」「身体的な病気がキッカケで現在の状態になった」「専業主婦・主夫だけど、最近6カ月間に家族以外とよく会話した・ときどき会話した」人たちは除かれます。

この連載はデータから読み解くものなので、調査の厳密性について説明しています。こうした抽出データから推論して、60万人というのがどの程度確からしいのかを教えてくれます。

調査結果は、こちら。(結果だけのPDF

でも、まあ、母集団とか確率とか、その辺は飛ばして、何が問題なのかを見てみましょう。

まず、この調査は、中年の引きこもり支援のためになされたものではないということに、筆者は驚きます。調査目的の一文を紹介し、こう続きます。

私自身、この一文を読んでハッとしました。目的は「子供・若者のため」であり、40歳以上のひきこもり状態にある人たちの支援のためではないのです。

そして、法律は青少年の引きこもりを支援するものはあるけども、中高年の引きこもりを支援するものはないこと、そして、就職氷河期世代支援にもみられる様に、「就労」を支援だとすることに疑問を呈します。

まあ、引きこもりになった人の原因が、会社でのトラブルだったり、就職できなかったことにある場合が多いと推察されるわけですから、それを会社に行けというのは、また症状を悪くする可能性もあります。

必要なのは就労支援ではなく生活支援ではないか。

筆者はそう論を立てます。

そうなると、政治家の出番です。就労支援は経済界の仕事になりますが、生活支援は行政の仕事です。そのための立法というのが政治家の仕事なのです。

この辺りの役割分担が最近はっきりしない、もしくは、よくわかっていない政治家が多い気がしますが、気のせいでしょうか?

生活支援となった時に、実は、引きこもりがいる家庭というのは見えにくいのではないかと、筆者は問います。

"広義のひきこもり"の方たちが暮らし向きをどう思っているかをみると、全員が全員、困窮しているとは言えないのです。困窮していなければ、支援を受けられないということにならないでしょうか? あるいは困窮していないのに支援を受けていると、周囲から批判にさらされないでしょうか?

親に収入があることで子供が引きこもっていられるという側面は否めません。貧乏で引きこもると、そこにあるのは死です。最近、そういうニュースが増えてきている様に感じます。

筆者は、ここから親が死んでも死亡届を出さずに年金を不正受給している人の話に展開しています。さらに増加する可能性も指摘します。

私は、そのあたりよりも、本調査の、この結果が気になります。

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引きこもり期間の長期化と高齢化は切っても切り離せない問題なのではないかと感じていたのですが、それが裏付けられた気がします。

50代くらいまでは、20年から30年引きこもっている人が3割くらいいるわけです。人生で引きこもっている年数の方が多い人たちです。

では、なぜそれができたか。親が食わせてくれているからです。そして、その親が長生きしているからでしょう。

さらに、この図で気になるのが、60代の引きこもりは、最近始まった人たちが多いことです。これは、定年で行き場所がなくなった人たちなのではないかと思います。

そうなると、この人たちには、全く違う支援が必要で、それこそ地域活動や再就職が有効かもしれません。

それにしても、きっぱりと世代が分かれる様な調査結果です。

就職氷河期世代は、20代からが多く、その上のバブル世代は独立しようとか転職したとか、会社が行き詰まってリストラにあったのか、30代が多いけど、大体が人数が少ない。母集団の問題ではない様なので、比較的恵まれていたのか。50代後半の新人類世代は、最近始まった様なので、やはり仕事を奪われたか無くしたか。60代は定年だろうな、と。

仕事をなくしたり奪われたりした場合は、職業安定所で手続きして手当がもらえますが、それも半年がせいぜい。再就職などなく、引きこもるしかないというのが、身に覚えがあって、胸が詰まります。

さらに、こうした調査の結果と連動しているのが、相対的貧困問題。

セーフティネットのない社会では、底が抜けてしまって、救いようがない。

引きこもっている人が直面するのが8050問題。引きこもれない人たちが社会に出ても貧困でしかいられない。そして、高齢者が社会の過半数を占めそうな社会動態。

こうした時代にどういう社会形成を目指すのか、そういうことを考えるのが政治家であり社会運動家なのでしょう。

桜を見る会とかやっている場合ではなく、貧困と引きこもりを見ろと言いたくなるところですが、中央の政治家の皆様は、社会より政界が大事で、地方政治家はなんだかよくわからない事件ばかり。

誰に期待すれば良いのか。

こうなれば自分で、それと自分たちと言える地域とか仲間とか集団とか、そういうものを作ってなんとかするしかないんでしょうかね。

この記事の筆者も次の様に締めています。

あの家にはひきこもりがいるらしい。子どもさん、なかなか顔を見ないよね。そんな噂話一つが、社会復帰を困難にすることもあるでしょう。そんな彼らに付き添い、盾になって守る行政、政治家、市民がいれば、8050問題はここまで深刻にならなかったのではないかとも考えています。

ムラ社会独特の監視行動、いわゆる「監視社会」を良い方向に転じて、家と社会が連続する様な「見守り社会」にすることで、引きこもりを緩やかに世に出し、独居老人の孤独死を防ぐ、そういう行動を考えていくのが良いのでしょうが、そんなうまくいかないかなあ。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。