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日本は「安いだけの国」になってしまうのだろうか

先週書いた、この記事の続きのようなものになります。

もう日本以外は安くない

これまでの「人情経営」とか「家族的経営」とか「企業努力」というだけでは対応できない時代がやってきているのです。

この記事では、人件費、原材料などの高騰とデジタル化などへの対応から、「個人商店」では対応しきれない時代になったという話を書きました。

でも、日本の「安さ」は国内にいるとわかりにくいですが、突出しています。もう東南アジアだって、日本ほど「安く」は無いのです。

近年は、ホーチミンや首都ハノイの経済発展が著しく、日本とベトナムで収入に大きな差はない。クオンさんにとって、慣れ親しんだ母国に帰るのは自然な流れだった。

優秀なベトナム人技術者を高く買ってくれる国はいくらでもあります。このクオンさんはイギリスに3倍以上の給与で転職したそうです。

日本に蔓延る「安い方が良い」幻想

日本が昭和時代に世界に伍して戦えたのは、国内労働力が「安い、早い、うまい」だったからです。

安い給与で働いて、高度な技術を発揮し、海外製品にいち早く適応していたことで、最初は模倣製品を、さらにその問題点を改良し、改善した独自製品を、そして小型化、高性能化で突出した製品を開発・製造・販売し、世界と並ぶ実力をつけて、購買力平価の差を有利にして世界を買いまくっていたのがバブルまで。

バブルが弾けて、1ドル100円が大体基準になって、それより円高だと輸出企業が大変と言われても「企業努力」で吸収して、円安になった方が国内が潤うというアベノミクスで、結局、潤わなかったのが、平成日本。

「日本国の経済が立ち直り、国民の努力が認められることだから、良いことではないか」
 ニクソン・ショックが起きた1971年、日本円を1ドル=360円から308円に切り上げることが決まった。そのことを報告した閣僚に昭和天皇が述べられた言葉と伝えられている。

昭和天皇はやはり素晴らしい。よくわかっていらっしゃいます。

さらに言えば、日銀はじめ今の政府は、それがわかっていない。

円高は国力の向上であり、円安は国力の低下なはずなのに、円安誘導で日本をさらに「安く」「買いやすく」したのがアベノミクスだったという言い方もできます。

日本はすっかり「安い国」になり、そのため海外の製品を買っても、国内で販売できる金額にならないから買えない。さらに、国内で利益を上げても、その金額は、外国で使うには足らない。つまり買う金がないという状況になっています。

円安誘導の10年は、日本国内では物価値上げ、日本国外では競争力低下を招いただけだったのかもしれません。

「買い負ける」と「売れなくなる」

日本には資源が乏しいわけですから海外から買わなければいけません。

食料の輸入とは、食べ物を海外から買うということです。命に関わる問題を海外に依存するとどうなるか。食べられなくなるわけです。

 マルハニチロの池見賢社長は「海外の消費者は高い値段を払ってでも食べようとするが、日本人はデフレで安いモノしか求めていない。魚離れもあって消費者に買ってもらえないことで、国際相場で買い付けられなくなっている」と説明する。

資源が乏しい日本の生命線は、安い原材料を加工して高い製品に変え、その差額で利益を上げることでした。それが、原材料を買い負けるようになったらば、加工することもできなくなるわけで、日本の産業が成り立たなくなるということです。

「いくら技術があっても、優秀な人材がいても原料や部品がなくちゃ勝てませんよ。資源のない国が買い負けるってことは恐ろしいことだと思います」

安い労働力で安い原料を加工して、利益が薄くても大量に捌いていればなんとかなるという大量生産時代の成功体験が抜けられない昭和世代が日本をリードしていては、この先、日本はますます低迷するでしょう。

高いものを売る国にならなければ、加工貿易国の日本は立ち行かないのです。

どこで間違えたのでしょう。

そのヒントは、台湾のTSMCにあるのではないかと思いました。

なぜTSMCは「ファウンドリー」でも強いのか

日本は、長年「下請けから脱する」ことを心がけてきました。世界の下請け工場としてメイドインジャパンが安かろう悪かろうだった昭和20年代から、欧米に追いつけ追い越せで受注しまくりメイドインジャパンは高品質の代名詞になった昭和40年代、50年代。そしてメイドインジャパンはオリジナル商品なのだという昭和から平成にかけてのバブル期。

そこから低迷して30年。下請け製造は東南アジアや中国に移転して、日本は開発に集中すると言っているうちに、なんだかどんどん負けている気がします。

そんな「下請け製造」「受託生産」の雄が台湾のTSMCです。

世界のライバルはTSMCの技術力に太刀打ちできない。ファウンドリーというと、大手メーカーの序列の下位にあると思う向きがあるかもしれないが、その認識は誤りだ。難度が高いチップになると、メーカーはTSMCに頼まないと作ることができない。TSMCの顧客は自社の工場を持たない世界のファブレス企業だが、顧客であるファブレス企業よりTSMCの立場の方が強いかもしれない。

製造に特化した会社=ファウンドリーなのに、日本を代表する企業であるトヨタの2倍以上の企業価値(時価総額)を誇るのがTSMCです。

では、なぜ、日本企業はこういうファウンドリーになれなかったのでしょうか。製造技術では世界に負けなかったはずなのに。

単純にいうと技術の高度化のために技術と人に投資し続ける姿勢を持たなかったからでしょう。

稼いでは投資し、投資しては稼ぐ。時には借りて投資する。そして、もっと稼いでもっと投資する――。2020年の売上高は5兆円を超えるが、2021年の設備投資額も3兆円の規模を想定し、同年から3年間に予定する投資額は合計11兆円に上る。

研究投資、技術投資の金額と規模が桁外れなのがTSMCだとすれば、ジャパンアズナンバーワンと言われた時代に、技術から土地と金融にシフトして金儲けに走った挙句バブルが崩壊し、その金融も傷んでしまい、投資から撤退したのが日本ではなかったでしょうか。

台湾・中国の産業に詳しいアジア経済研究所の川上桃子は、競争力の源泉の一つが技術人材の厚みだとみる。たしかにいくら資金があっても、技術がなければ成長はできない。TSMCは技術者を大切にする会社で、エンジニアが得る報酬は、日本企業の3倍とも4倍とも言われる。

エンジニアに払う報酬も桁外れ。それはGAFAと言われる世界を席巻する企業も同様です。

日本企業は、この30年、人材に支払う金額を渋ってはいないでしょうか。

そして世界をリードしたはずの半導体製造、液晶も有機パネルも日本では死屍累々となってしまいました。

日本は下請けにすらなれない国

そしてTSMCを国をあげて誘致することになったわけです。

「石油が出ないことが、地政学的な日本の立場を決定的に弱くしてきました。戦略物資である半導体を生産するファウンドリーは、現代の油井です。最先端の技術を追いかけても、日本企業が育つには100年かかるでしょう。足りないものは外国からインプラント(移植)するしかない。TSMCの工場を国内に置くことが、日本にとり死活的に重要だと考えています」

経産省が必死に誘致するのが半導体製造会社とは皮肉なものです。国が主導して日本が世界をリードする技術の一つだったのですから。

――半導体産業振興のために国によるプロジェクト(国プロ)が数多くありました。初期の国プロは成功しましたが、それ以降はうまくいったものはありません。
国プロでは1970年代の超LSI技術研究組合はうまくいった。しかし、その後のさまざまな国プロが成功したとは思えない。その理由はいくつもある。たとえば、国プロに参加した人材は研究者としてはトップクラスも多かったが、成果を持ち帰って事業を興そうと考えた人材はほとんどいなかった。一方、欧米の国プロでは関わった技術者がその後に会社を作った。

国プロの失敗だけではなく、企業の経営についても示唆に富む記事でした。

昨年から経済産業省が関係企業を集めては非公式の「オフ会合」をあちこちで開催し、再編や新プロジェクトの「構想」メニューをいろいろと用意しているようだが、それに乗ったら、また負けるのは火を見るよりも明らかだ。
これまでの日本の動きを見ていると,日本政府の要人は日本の重要な産業を切り売りすることを進めてきたように見える。同時に産業のトップも自分の会社を良くしようとは考えないで,自分の給料,退職金をどう大きくしようかとしか考えなくなった。その結果日本は,安倍・菅内閣が推進してきた「インバウンドをあてにする観光立国」になってしまった。

そして、コロナ禍でインバウンドどころではなくなり、海外から金が入ってくるのは不動産の買い漁りだけです。

とにかく、このままでは、日本は、世界の下請けにもなれず、原材料は買えず、食べ物も満足に入ってこない「安いだけの国」になってしまいそうです。

どうすれば良いのか。

本でも読んで考えてみましょう。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。