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(続)guitarとの出会い

                          【1850字/写真3】
21歳の時だと思いますが、今度はクラシックギターではなくて、フォークギターを弾いてみたいと思いギターを買いに行きました。
福島市にあった楽器屋さんの名前は「福島楽器店」。今はもうないようです。

ヘッドの裏に福島楽器店の文字が・・ペグのスターマークはカッコいい!
ヘッドの正面・・弦張っていません

当時はフォークギターと言っていて、アコギとは誰も言っていませんでした。
店員さんとどのようなやり取りをしたのか、全く覚えていませんが、ギターケースはソフトカバーでうす緑色でした。
どうやって持ち帰ったのでしょう。ちょうどそのころ車の免許も取った頃だったので、車で持ち帰ったのか、いやバスだったかもしれせん。

ブリッジ浮き上がって修理しようと弦を外したまま、年くらい放置状態。ごめんなさい。



当時はフォークが大全盛で、井上陽水や吉田拓郎が盛んにラジオから流れていました。歌謡界ではキャンディーズとか、とても人気があったころです。ピンクレディーはデビューしたての頃だったかも。

フォークギターは簡単でした。だって演奏しないんですから・・、コードを押さえてジャカジャカ弾くだけですからね💦。
ギター雑誌に載っている陽水の曲などのコードを見て、ジャカジャカ音をならしていました。とくに何も考えることなく・・・。

最初に覚えたコードはAmです。あとEmでしょう。
なぜって、井上陽水の曲が気に入っていたのですが、彼の曲はみなマイナーコードでだいたいどれも暗く、すべての曲で使われていましたからね。
もっともそうでなくてもAmやEmはだれにとっても基本のコードですけどね💦。

当時、ギターは基本、自分の部屋の中でしか弾いていませんでした。人前で歌ったことはありませんでした。というかギター自体、外に運んだことはなかったです。このフォークギターを買って以降、クラシックギターのほうはあまり触らなくなりました。

ジャカジャカ弾いて歌ったりしていましたが、もっとうまくなろうとか、なぜこのコードはここを押さえるだろうとか難しいことは何も考えず、、楽しんではいましたが、進歩はしてなかったと思います。

それも数年です。23歳のときには上京していたので、その後生活が全く変わり、ギターは弾かなくなりました。何年か後に、実家に置いたままのギターを帰省した折に、車にでも運んで持ってきました。でもいつのことか全く思い出せません。
それから何回か引っ越ししたのですが、ギターの思い出はありません。
まぁ捨てるわけにもいかず、とりあえず、運んだのでしょう。

もういちどギターをやってみようかなと思った時は、それから25年以上は経っていました。
押入れの奥にあったギターを取り出した時のことは覚えています。
ちょっと驚いたのはもうその頃は、アコースティックギターとか略してアコギとか呼んでも、もうフォークギターとはだれも呼んでなかったことです。25年のブランクは浦島太郎の状態でした。

それからすこしずつ触るようになってきたのですが、職場にも持っていって、飾っておきました。ちょっと時間があるときなど弾いたりしました。

そして2004年頃だったとおもいますが、仕事の関係の人が二人、僕のところを訪ねてきたのです。そして、その一人の人が僕のギターを見つけ、やおら弾いて見せたのでした。
それをみていたく感動し、単純にあっ凄い!って思いました。

その時はそのあと、仕事のことだけで、ギターの話もしなかったのですが、
彼らが帰った後、後日もう一人の人に、一緒にギターをやりませんかというお誘いの電話をしました。そのひともギターを弾く人だったのです。
すぐOKとなり、3人でバンドを組むことになりました。

バンドの名前は、自分達の住んでいる街の頭文字をとってEazyと名付けました。始めのころは公民館の一室を借りて、週一くらいで練習しました。
みな同じ50過ぎのおっさんバンドだったのですが、夢がありました。

そして最初のお披露目が介護施設での演奏会でした。先に電話した彼の知り合いの方に施設関係の方がいて、ぜひきて演奏してほしいということでした。

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それは今、調べたら2005年2月のことでした。


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つづきまた書けたら書きますね!



読んでいただきありがとうございましたm(__)m。



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前回・・・

2024年1月17日 投稿
■ guitarとの出会い ■
https://note.com/fujita1339/n/n8088a2ce24a5


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