廣田恵介さんのこと。

ライターの廣田恵介さんが亡くなった。福岡市美術館の「日本の巨大ロボット群像」が発表になったばかりで、さぞかし心残りなんではないかと思う。

雑誌『グレートメカニック』で廣田さんとの対談連載「オヤヂ酒場」をやっていたのは、2000年代の前半の数年間こと。
事前にテーマを2つぐらいに絞ったら、昼間からカラオケボックスに入って(昼間なのは僕の子供がまだ小さくて、夕方には帰ったほうがよかったから)、酒を飲みながら3時間ぐらい、ダラダラと話をした。いちおう録音はしていたが、2人とも、録音なんか聞き返しもせずに、記憶だけで対談原稿を仕上げていた。それでもそう違う感じにはなってなかったから、お互いに「いいたいところ」「今回のトークのおいしいところ」は自然と共有できていたのだろう。
廣田さんとは、ものの見方が違うようで似ているというか、似ているようで違うというか、そういう距離感だったので、話をするのは楽しかった。そういえば、マチアソビに赴いた2013年にはボードウォークで「オヤヂ酒場 徳島旅情篇」もやったのだった。

最初の出会いはおそらくムック『千尋と不思議の街―千と千尋の神隠し徹底攻略ガイド』に参加してもらった時。その前からお互いに名前はなんとなく知っていた。僕の場合でいうと、SPA!で時々アニメの原稿を書いてる人として廣田さんの名前を知っていた。そして、最後に会ったのは昨年末に『金の国 水の国』の試写ですれ違った時だと思う。この時、後ろの席に座った廣田さんとアイコンタクトして挨拶したきりとなった。

一昨年の夏頃『ゲッターロボアーク』のBlu-rayブックレットで本橋秀之さんを取材した。僕らの後の取材が『グレメカ』で、インタビュアーが廣田さんだった。入れ違いになったので、すれ違う時に「廣田さんが来ると思った」と言ったら、「俺がやらなきゃ、誰がやるんだよ」と軽く笑って取材に向かっていった。
怖そうな顔のひとが笑うと妙に愛嬌が生まれる時がある。廣田さんはそういう人だった。

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