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漫才論| ¹⁴⁶漫才はうまいのにネタを書くのが苦手な漫才師が「ネタ作り」にかける時間と労力の"コスパ"問題

「漫才が得意」とはどういうことかというと,漫才台本を「漫才として演じるのがうまい」ということです。元々漫才師に一番必要とされていたのはこの能力です

昔は「台本は作家が書く」のがあたりまえだったので,漫才師に必要だったのは「台本を読む力」「演じる力」です。ネタを書く能力があっても「演じる力」があまりない人は作家のほうが向いていて,ネタを書く能力はなくても「演じる力」がずば抜けていれば漫才師に向いている,そういう世界でした。その結果,「うまい漫才師」がどんどん輩出されました


「うまいコンビ」が
漫才師として売れる"道"がない

その後,「ネタは自分たちで書く」のがあたりまえになったことで,逆転現状が起こっています。ネタを書く能力があれば「演じる力」はそれほどなくても漫才師に向いていて,「演じる力」はずば抜けていてもネタを書く能力がないと漫才師には向いていない,今はそういう世界です。その結果,「うまい漫才師」は減っています

コンビであれば,どちらか一方が「ネタを書く能力」があれば成立しますが,「演じる力」は"二人とも"ずば抜けていているのに"二人とも"ネタを書く能力がないコンビには,なかなか陽があたりません。こういう「うまいコンビ」が漫才師として売れる"道"がないのは,漫才界にとって大きな損失です

「ネタは自分たちで作らなければいけない」
というルールはどこにも存在していない

作家にネタを書いてもらうことをよく思わない人も結構いますが,そもそも,「ネタは自分たちで作らなければいけない」というルールはどこにも存在していません。M-1などの賞レースにおいてもです

ですから,作家が書いたネタを堂々とやればいいと思います。「作家に書いてもらいました」と堂々と言えばいいんです。「人が書いたネタでもめちゃくちゃうまく演じられる」,これこそが本来の漫才師としての「腕」ですから,誰になんと言われようと,「これが元々の漫才師としてのあるべき姿だ」と,堂々と言えばいいと思います

もちろん,「作家にネタを書いてもらう」となるとお金がかかりますが,これは「どこにお金をかけるのか」という選択の問題です。ネタを書くのがかなり苦手なコンビの場合,ネタ作りにかける時間と労力の"コスパ"は相当低いはずです。時間と労力をどれほど費やしてもそれに見合ったネタを作れない可能性が高いのであれば,その時間と労力を別のことに使って稼ぎ,「そのお金でネタを書いてもらう」という方法も検討したほうがいいと思います

自分たちにぴったりのネタを
書いてもらう方法

作家に書いてもらう場合に一番問題になるのは,「自分たちに合ったネタを書いてもらえるのか」ということです。自分たちの芸風に合った作家を見つけ,信頼関係を築き,ぴったりのネタを書いてもらえるようになるまでには,かなりの時間が必要ですし,そもそも,そういう作家が存在しているのかさえ分かりません

こうした問題を解決するうえで一番いいのは,「普段の会話を漫才にする」という方法だと思います。この方法であれば,その作家に「普段の会話を漫才にする能力」があることが確認できれば,自分たちに合ったネタを書いてもらえる可能性が高いからです(この方法について詳しくは,こちらの記事をご覧ください)

このテーマに関する質問・意見・反論などは
「みんなで作る漫才の教科書」にお寄せください

みんなで作る漫才の教科書とは,テーマ別に分類した「漫才論」にみなさんから「質問」「意見」「反論」などをいただいて,それに答えるという形式で教科書を作っていこうというプロジェクトです

THE MANZAI magazine
❶「自分たちにしかできない漫才スタイル」を確立する方法 ❷しゃべくり漫才のうまさは「相槌」で決まる ❸「漫才台本の書き方」と「オチのつけ方」 ➍ボケやツッコミってどのようにして思いつくものなの? ❺「言い訳-関東芸人はなぜM-1で勝てないのか-」は"現代漫才論"ではない-ナイツ塙さんが何を「言い訳」しているのかが分かれば,関東芸人がしゃべくり漫才でM-1王者になる道が見えてくる- ❻漫才詩集「38」

フィクション漫才『煮豆🌱』-いとこい師匠のテンポで-
作: 藤澤俊輔  出演: おせつときょうた

あらゆるオチを誰よりも先に小噺化するプロジェクト『令和醒睡笑』過去の創作小噺を何回も何回も回すと"古典小噺"になる・・・はず・・・【小噺はフリー台本】