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漫才論| ¹⁴⁵日常会話に"ツッコミ"はいらない❓

「会って、話すこと」の著者 田中泰延さんは,「日常会話にツッコミはいらない」と言っていますが,ここでいうツッコミというは「漫才のツッコミ」のことではなく,「漫才やボケというものがよく分かっていない人が行なう"ツッコミ"のような反応」のことを指しているのだと思います

ツッコミの役割は「訂正」ではない

例として挙げられていた"ツッコミ"がこちらです

傘のことを指差して「これバナナちゃう?」と言うのがボケで,即座に「それはバナナではない」などとあたりまえのことを指摘するのがツッコミ

ボケを訂正するのが「ツッコミ」と思っている方もいますが,漫才におけるツッコミの役割は「訂正」ではなく,「ボケのおもしろさを引き立てたり広げたりすること」です。訂正したほうがおもしろければ「訂正」し,説明したほうがおもしろければ「説明」し,一回乗っかったほうがおもしろければ乗っかります

この例でいうと,「それはバナナではない」と言うことが,文脈や言い方によって「ボケのおもしろさを引き立てたり広げたりする」のであれば,それはりっぱな「ツッコミ」であり,日常会話においても意味のあるものだと思います。しかしこれが,「あたりまえのことを指摘しているだけ」でその場をしらけさせるものなら「いらない」ものです

それは偽物の"ツッコミ"

上記の記事にはこのようなことも書いてありました

ツッコミの正体は「マウンティング」なのである

これも,「漫才のツッコミ」のことではなく,「漫才やボケというものがよく分かっていない人が行なう"ツッコミ"のような反応」という偽物の"ツッコミ"のことを言っているのだと思います

日常生活で厄介なのは,マウントをとりたいだけの人が自分の発言を「ツッコミだと思い込んでいる」場合です。人の間違いやボケさえもいちいち「訂正」し,それによって話がおもしろくなるどころかみんな不快感を覚えているにもかかわらず,「自分はツッコミがうまい」と思い込んで意気揚々とそんなことを続けられたら,まわりはかなり困ります。ですから,「それは偽物の"ツッコミ"」という共通認識を広めていったほうがいいと思います

「本物のツッコミ」なら日常会話でも役に立つ

さらに,このようなことも書いてありました

「ボケ」には「ボケ」を重ねる。会話の楽しさはこれに尽きる

著者の田中さんは「生粋の大阪人」と紹介されていましたが,「ボケにボケを重ねる」というのは大阪(もしくは関西)の感覚ではないかと思います。私がこれまでに住んだことがある東京,千葉,北海道での印象では,ボケにボケを重ねて会話を楽しむ人の割合はそれほど多くはありませんでした。どこにおいても,「会話を楽しむ」という感覚は多くの人が持っていますが,それは,わざと「ボケる」という感覚とはちょっと違うような気がします

このような環境で「笑い」を作る場合には,「ボケ」よりも「ツッコミ」のほうが役に立ちます。もちろん,「本物のツッコミ」です。この場合の"日常会話"に普通にある笑いの種といえば,「言い間違い」や「天然ボケ」や「結果的にボケっぽくなっている発言」などです。それらをやさしく拾い上げて笑いに変えていく「本物のツッコミ」は,日常会話に必要なものだと思います(わざとボケる人があまりいない中で「ガンガンボケていく」という方法もありますが,それを見て困惑する人も結構いるので・・・)

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