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漫才論| ¹⁸M-1は本当に新しい"システム"を求めている❓

M-1ではよく「新しさが評価される」と言われています。この場合の「新しさ」というのはおもに,漫才の「新しいシステム」のことを指していると思います。その影響を受けて,漫才の「新しいシステム」を考え出そうとするコンビが増えました

しかし,「システム」と呼ばれる漫才をやっているコンビの多くは,最初から「システムを作ろう」と思っていたわけではありません。自分たちに合ったスタイルをいろいろと模索していく中で,結果的に「システム」と呼ばれるような漫才に辿り着いたというケースのほうが多いと思います

この事実を無視し,「M-1は新しいシステムを求めている」という風潮に流され,ひたすら「新しいシステム」を作ろうとするとどうなるのでしょうか?

大抵, 迷走します

漫才の「新しいシステム」を作ろうとすると,わざわざいじらなくてもいいところをいじることに時間を費やすことになります

例えば,「ボケとツッコミ」というのは普通なので,「ボケるけどツッコまない」とか,「ボケないけどツッコむ」とか,「ボケているふりをしてツッコむ」とか,「ツッコむふりをしてボケる」とか・・・・・・。いろいろと試してみるのはいいんですが,こういう漫才の基本的な部分をいじるのには限界があります。みんながこんなことばかりやり出したら,最後は「ボケないしツッコまない」みたいなことになってきて,だんだん何がしたいのか分からなくなってしまいます

漫才の基本的な部分は,「結果的にいじる」のはありだと思いますが,最初からここをいじって「新しいシステム」を作ろうとすると,大抵迷走します

銀シャリ橋本さんの場合

では,漫才の基本的な部分を「結果的にいじる」というのはどういうことなのでしょうか?

「ツッコむふりをしてボケる」という例を挙げましたが,銀シャリの漫才はこれに近いと思います。ツッコミの橋本さんはツッコミもうまいですが,ツッコんでいるようであれはほぼボケです。橋本さんはおそらく,「『ツッコむふりをしてボケる』というのは新しいからこれをシステムにしよう」と思ってああなったのではないと思います。むしろ,「普通のツッコミに自分の持ち味を加えていったら,結果的にほぼボケになった」というかんじだと思います。そして今ではそこからさらに進化して,「どっちもボケて,どっちもツッコむ」というスタイルになっています

漫才の基本的な部分を「いじろう」という意識はなく,自分の持ち味をどんどん活かしていったら「結果的にいじることになった」良い例です

「自分たちの持ち味」を活かすことが大切

人はみな個性的な存在ですから,その個性を「漫才」という形で最大限活かすことができれば,そこには結果的に何かしらの「新しさ」が生まれます。自分にとってはまったく「新しい」ものではなくても,ほかの人からすればその個性は「新しい」と感じることはよくあります

自分と相方の個性を活かすことを考えず,「新しいシステム」のことばかり考えしまうと,自分たちには合わない奇抜なことをやってみたりして,迷走します

自分たちの無限大ともいえる「個性可能性人間性」に目を向け,それをいかに漫才に活かせるかを追求したほうがいいと思います

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