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「漫才は教えるものではない」とよく言われます。漫才のベースは会話であり,コンビによってスタイルは様々で,それを教えたところでそのままやれるわけでもなく,仮にそのままやれたとしてもただのモノマネかパクリになってしまいます。そういう事情もあり,漫才のスタイルは教えてもらうものではなく,「自分たちで見つけるもの。それしか方法はない」というのが一般的な考え方です でも実は,「うまい漫才」であれば教えることができます。なぜなら,うまい漫才には「共通点」や「型」があるからです。ただ,う
漫才の最大の強みは,「二人だからこそ生まれる無限の可能性」だと思いますが,同時に,漫才の最大の弱みは,「一人ではできないからこそ生じる相方問題」だと思います 最近は仲がいいコンビも多いですが,相方とうまくいかずに解散するコンビは今でもたくさんいます。「相方」にかぎらず人間関係全般に言えることかもしれませんが,「本音で話せる関係か」という点はとても重要です。本音で話せないと,遅かれ早かれ解散することになると思います 「みんなで作る漫才の教科書」内の100円記事68本全部をお
「古典漫才」の時代が来ることを想定して,今から取り組むべき課題は次の2つです ①についてはこちらの記事で書きましたので,今回は②についてです いつか,ネタの「発想」や「アイデア」や「パターン」が出尽くしてしまう日が来たら,古典落語のように過去の名作漫才をカバーするようになるかもしれません。それを見据えて,今のうちから自分のネタをフリー台本として公開しておいてほうがいいと思います 「みんなで作る漫才の教科書」内の100円記事68本全部をお読みになりたい場合は,マガジンで購
落語の場合は,必ずしも声に出して笑うような種類の「笑い」をとらなくても成立します。「人情噺」ではなくてもです。なぜならみている人は,声に出して笑ってはいなくても「おもしろい」と感じているからです。つまり,声に出して笑わなくても十分満足できるほどの「笑い」が存在しているということです 現在の漫才は,「爆笑」がおもな評価の対象となっていて,"爆笑至上主義"的なところがあります。爆笑する漫才は私ももちろん大好きですが,落語の世界のように「爆笑はしなくてもおもしろいネタももっと評価
漫才は基本アドリブを入れたほうがおもしろくなります。にもかかわらず,M-1などの賞レースでガンガンアドリブを入れるコンビがほとんどいないのはなぜなのでしょうか? 「みんなで作る漫才の教科書」内の100円記事68本全部をお読みになりたい場合は,マガジンで購入したほうがお得です [(100円記事×68本)+(教科書20テーマ×¥100)=¥8,800→¥3,800]
M-1などの賞レース向けのネタを作るときには特に,「ボケ数を増やしたい」と思うものです。ボケ数を増やす工夫をするのは基本的にはいいことだと思いますが,それが裏目に出るパターンもあります 以前,チュートリアルの「バーベキュー」とかまいたちの「タイムマシンがあったら」というネタが,発想はものすごくおもしろいのにM-1であまり評価されなかったのは,「本ネタとは関係のないギャグのようなボケが結構入っていて,それが本ネタの邪魔をしていたからではないか」という記事を書きましたが,これが
M-1では,マヂカルラブリーやミルクボーイや霜降り明星のように,「同じタイプのネタ2本で勝負したほうが優勝しやすい」というイメージがあるかもしれませんが,これは間違いだと思います 一番優勝しやすいのは,「まったく違うタイプの爆笑ネタ2本」です。同じタイプのネタだと,「またこのパターンか」という印象を与える分,1本目より笑いの量が減ることが多いからです。ただ,これをそろえるのは至難の業なので,結果的に同じタイプの爆笑ネタ2本を持っているコンビが優勝しているだけだと思います