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偶然という名のシンクロニシティ

先日、義姉とそのパートナー(M)の家へクリスマスディナーに行ってきた。
諸事情により、今年は数日早い集まりとなっている。
集まった人間関係は少しだけ複雑。
まずは義姉の最初の夫との間にできた長男、(30代後半)。長くお付き合いしている彼女(婚約者)はいるが、彼女は出禁されているので家族の集まりには出てこない。
もちろん義姉と二番目の夫との間にできた次女(20代前半)とその彼氏も通常運転で参加。ちなみに長女は海外に移住しており、今年のクリスマスはビザの関係で帰ってきていない。
昨年は流行り病で参加できなかった義姉のパートナーの三女(20代前半、実母とは絶縁状態)とその子の娘二人(5歳と3歳)、そしてその彼氏(子供の父親ではない。)も来ていた。
そして義両親と私たち夫婦(子なし)。
 
裏庭のテラスでディナーをし、デザートの前にクリスマスプレゼントを開ける。
早くプレゼントを開けたい子供達が率先して、エアコンの効いた応接室に全員を集める。
部屋の一角には天井まで届くクリスマスツリーが飾られている。
ツリーの下には色とりどりのラッピングペーパーに包まれたプレゼントの山。
次女が働きに出るようになってからは、家族の新ルールとしてプレゼントは基本無しとなっていた。
ここ何年も豪勢なプレゼントのやりとりをしていない。
しかし、Mの三女がクリスマスディナーに参加するようになり、実質義姉が彼女の子供たちの祖母として振る舞うことにより新ルールは形を変え、この小さな姉妹にクリスマスプレゼントが渡されるようになった。
私たち夫婦は彼女たちとの関係性が薄いのでプレゼントは持っていかないけれど、このプレゼントの儀式には強制参加させられる。
まあ、その場にいればいいだけのこと。特に居心地が悪いと思ったこともない。
向かい合わせのソファに大人たちが座り、少しだけ部外者である私たち夫婦や次女の彼氏などはソファの後ろに立つ。
子供達が次々とプレゼントを開けていき、カーペットが敷かれた床が破られたラッピングペーパーで覆われていくのを笑顔で見守った。
一番初めのプレゼントを開けるのに年齢差が出て面白いと思った。
5歳児は包みの端を見つけそこからビリビリと破いていく。
3歳児はどうしたものかと包みを見つめながら周りが手伝ってくれるのを待っているようだった。
包みから出てくるものを眺めていると、基本二人とも同じものをもらっているようだ。
同じ柄のボディボード。これは速攻で裏庭にある巨大なプールで使われることとなる。(ちなみに義姉宅は豪邸。)
サイズは違うが、同じ柄のTシャツやドレス。
それぞれの名前が印刷されたヘアーブラシに小物入れ。
塗り絵と色鉛筆、色ペンのセットやらシリーズものが全巻セットになった絵本など。
今年はその中に着せ替え人形もあった。
5歳の子に贈られたものはディズニープリンセスの人形で、箱の中には二体も入っており、箱の幅は下の子の背丈ほどある。
加えてドールハウス。このドールハウスは3階建てらしく正方形の外箱はこの子達がすっぽりと収まる大きさだ。
 
余談だが、私もその昔(何十年も昔だが、私にも幼い少女時代があった。)、何年も着せ替え人形に大ハマりし、最多で5体持っていた。
その人形達は髪の長いデフォルトのものがほとんどだったが、一体ずつ微妙に特徴が違っていた。
その中にカールされたミディアムヘアをサイドで結んであるものもあった。
これは確か私の9歳の誕生日プレゼントで、母と祖母と行った百貨店で買ってもらった。
真っ赤なドレスを着ていて、子供ながらに他の人形よりも高かったと記憶している。
自分の中で着せ替え人形の流行が終わり長い時が過ぎても、私はその人形たちを特別な箱に大切に保管して、時々開けては眺めていた。
しかし大学生になった頃、母が歳の離れた私の従姉妹にあげると言い出した。
もちろん、私への確認はあったが、どうやら先方にはもう話がついていたようだった。
心のどこかで手放したくない気持ちがあったけれど、大人になるのに必死だった私は渋々頷いた。
 
話を戻そう。
私は3歳の幼女がラッピングペーパーの中から取り出した着せ替え人形を見て、思わず心がときめいた。
それはピンクのドレスを着た、あの着せ替え人形。
でも理由は懐かしかったからだけじゃない。
現在私は4作目を執筆中だ。
先々週書いていた章に私はピンクのドレスを着た某着せ替え人形の話を書いた。
先ほど話した私の思い出話を少しアレンジしたものを物語の中に組み込んでいたのだ。
思わず目の前にある着せ替え人形の箱に手を伸ばし、私は少し、いやかなり興奮気味に目の前で起きている出来事を夫に報告した。
夫は私の作品を読まないけれど、私が書き物をすることになかなか協力的だ。
『へー、そうなんだぁ。』とニコニコと聞いてくれた。
正直、ピンクのドレスを着た着せ替え人形なんていくらでもある。
これはただの偶然なのかも知れない。
だとしても、私は何かしらの運命を感じた。
そんなことを思っていたからか、翌日に何気なく見た動画配信でシンクロニシティなるものの話をしていた。
この動画は1週間ほど前に時間があったら見てみようとマークしていたものだ。
ただそれは仏教系の動画配信で、タイトルを見る限りまさかシンクロニシティに結びつくとは思ってもみなかった。
私はよく3桁や4桁のぞろ目を見たり(444とか333とか1111とか)、私が発した言葉が同時に、もしくは直後にテレビの中の人物が同じ言葉を言ったりすることがものすごくよくある。
引き寄せの法則も信じているので動画で語られた内容はすんなりと腑に落ちた。
とにかく、この動画をこのタイミングで見るなんて、もうこれは絶対に意味のある偶然の一致でしかない。
私はたぶん何らかのメッセージを受け取っているのだ。
そしてそれはポジティブなメッセージに違いない。(ここは心の保ちようで。)
 
自分には関係ないと思いながら何気無しに居合わせた空間で起こった出来事を通じて興味深く考えさせられた。
近いうちに何か面白いことが起こる予感がする。
 

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