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ドキドキ文芸部!を最後までやってみてのネタバレ感想&考察!第四の壁を描くということ

前回の配信は例によってフルアーカイブから切り抜きダイジェスト版までご用意しているので、お好きなものを見てね!!

フルアーカイブ版

切り抜きダイジェスト 12分52秒版

切り抜きダイジェスト 2分11秒版

スペシャルエンドまでは見られてないものの、シナリオは一通り全て見終わりました!!
なんかユリのハイな感じに当てられたのか、途中からは怖さを振り切ってなんだかおもしろくなってしまいましたね…。
やっぱ人間訳がわからず意味不明な恐怖が襲ってくる時が一番怖くて、そうなる背景や理由が見えてくると怖くなくなってくるんだな~と。

DDLCで描かれる第四の壁について

第四の壁を超えることを目的なのであれば、第四の壁自体を描く必要は全くないと思ってます。というかむしろ描けば描くほど顕在化するのが第四の壁なので、本気で第四の壁を越えたいんだったらたぶん第四の壁そのものは描くべきじゃないです。
そこでなぜ敢えてDDLCは第四の壁を描いたのかということを考えた時に、それは越えたいからじゃなく、逆にむしろ「決して第四の壁は越えられない」ということを描くために第四の壁を描いたんだろうと考えました。


DDLCは現代版ロミオとジュリエット?

"二人の間に大きな障壁があること"が恋愛ドラマを形づくる大きな要素のひとつだと思うのですが、昔のようにわかりやすい身分差や遠距離恋愛における物理的距離の壁みたいなものがどんどん希薄になっていく現代で、今なお決して越えられないのが第四の壁だということを考えると、これは現代で最も切実でピュアなラブストーリーなのかもしれないです。もしかしたらDDLCの作者は画面の奥にいる誰かに本気で恋焦がれた経験があるのかもしれない。
そういう経験の全くない人が、「画面の奥にいる女の子が、主人公じゃなくて、画面の向こうにいる自分のことを本気で好きになる」ってことを作品にしようという発想と熱意を持てるかなあ、と思うので。

この世界で私以外の誰も意思を持っていないかもしれない。でもそう思う私自身でさえ、誰かに作られた存在なのかもしれない

モニカは「この世界で私だけが意思を持っている。他の登場人物達はどうやっても主人公を好きになるように作られた存在である」ということを話します。でもそれはこのゲームの中の話だけでなく、現実でも本当の本当の意味で、自分以外の他人が意思を持っているということを確認する術はありません。生身の人と人の間にさえ、第四の壁に似た、大きな隔たりがあります。

モニカは画面の向こうにいる本当のあなたのことが好きだと言う。でも私のどこをどうして好きになったのかは教えてくれない。モニカ自身も「あなたのことを何も知らない」と言う。なのにどうしてモニカは"あなた"のことを好きになったのかと言えば、それはモニカ自身も「画面の向こうにいるあなたが好き」と言うキャラクターとして第三者に作られた存在だから。

そして画面の向こうにいる"あなた"自身も、誰かに作られた存在ではないという保証はない、という示唆をモニカからは感じます。

でも「自分以外の誰も意思を持っていないかもしれない」という孤独に寄り添い得るのが、作中で取り上げられる詩作を始めとした表現や芸術だったりするんだよなということを思ったり。「この世界のどこかに、私と同じように意思を持った私以外の誰かがいる」という事実がいつも孤独をほんの少しだけマシにするから。

キャラクターと人間の境界

ヤンデレ、ツンデレ、優等生、ドジっ子、古典的な二次元女性キャラクターとして描かれる4人は、ストーリーを読み進めると、うつに苦しんでいたり、父親との関係性に苦しんでいたり、己の異常性癖に(たぶん)苦しんでいたり、現実と虚構の狭間で苦しんでいたり、それぞれの孤独の中で苦しんでいる。それが彼女達がキャラではなく人間なんだと私に認識させる理由。愛されるためには不要な感情や要素を削ぎ落せば削ぎ落すほどそれは「キャラ」になっていくし、でも「愛されるためだけならいらない感情だった」だらけの中でどんどん孤独になっていくのが人間だし、だからこそ愛おしいのが人間。ということを感じるゲームでした。


DDLC実況最終回!!スペシャルエンドを見に行くぞ&ネタバレ感想大解禁スペシャルやります!!

(↑タップすると配信予約ページに飛べます!)

DDLCのシナリオを一通り見たので、最後にスペシャルエンドを見に行きます!!ここまで私が初見プレイなことに気を使ってネタバレ控えてくれてた人も、気兼ねなくこの配信で感想を語り合おう~!
4/10(土)21時より生配信予定!お楽しみに~!