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23.07.28 信仰心

子どものころ、正月お盆は親戚たちが集まっていました。
僕はかろうじて親戚が多い年代で、子供の頃は20人近くの人が集まっていました。

平成の大合併で町名がなくなってしまいましたが、三日月町の山奥にあるお墓で墓参りをしていました。お墓の近くには小川があり、馬や牛にみたてたナスやキュウリに割り箸をさしたものを紙の船に置いて、小川に流して先祖の霊を癒していました。

年を経て、世代が変わり、昔にやっていたことをしなくなりました。

ひどく世俗的で科学的に説明できるものではないのかもしれないけれど、親戚縁者が集まって、みんなでご飯をたべ、先祖の墓を参り、世俗的な振舞いをすることが、実は自分自身の源になっているように思えます。

母親が毎日、般若心経を唱えていました。
盲目的に唱える宗教心に対して子供の頃はいささか反抗心がありましたが、毎日聞くとは恐ろしいもので、頭の中に般若心経がこびりついています。

歳がそうさせているのでしょうか?ここ最近は毎日、朝に般若心経を唱えています。盲目的にならず思考するぞと考えるたびに、僕の宗派である真言宗の弘法大師は「そんなに意味を求めて生活するな」と言っているようにも思えます。

何となく、金剛峯寺に行きたいなと思っている日々でございます。

日日是好日

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