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東京都美術館の企画展「デ・キリコ展」について

長生きするコツってあるのかなー?

東京上野の東京都美術館の企画展「デ・キリコ展」へ行ってきました。

ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)はイタリア人両親の元ギリシャで生まれ、17歳で父が亡くなったのを機にギリシャを離れ、ミュンヘンの美術学校へ進学、

1910年頃から遠近法をゆがめてみたり、幻想的な絵画を描き「形而上絵画」といわれるようになり、1919年以降は古典へ回帰したり、新形而上絵画という新たな作風を模索したり、独自の路線を歩みます。

一時期シュルレアリストたちから高く評価され、初期の作品が多数買い取られます。その後、シュルレアリストたちがデ・キリコの初期の作品を多数所有していたからなのか(諸説あるようですが)、当時のメディアが「デ・キリコは芸術的にも知性的にも1917年に死んだ」という理不尽な偏見を広め、デ・キリコの初期の作品ほど高値となり、その後の作品は評価が低く安値となります。

この状況に業を煮やしたデ・キリコは、初期の作品のレプリカを描きまくり販売、さらに、作品それ自体よりもサインや日付を重視する収集家たちをまどわせてやろうという皮肉を込めて日付を変えて描くこともあったそうです。

だから、団体に融合しない孤高の画家なのです。

「デ・キリコ展」公式サイトのプロモーション動画をリンクします。30秒でデ・キリコの絵には「謎」があり、絵の中に「不思議の世界」を繰り出し、20世紀美術に衝撃を与えた「孤高の画家」ということがよくわかります。

動画の最初のほうに現れる絵は1914-15年頃に描かれた「予言者」という作品。

デ・キリコ自身がこの絵について「絵の中の目と悪魔を探せ」と言っているので、絵の中の予言者が見ていそうなあたりを目で追うと・・・

・・・そこにはたぶん、なんらかの像が立っていて、その影が黒いキャンバスの後ろへ延びています。

像の人物が悪魔ってことでしょう。

デ・キリコは案外長生きで、90歳の長寿を全うしました。その長生きした要因について、デ・キリコを私淑ししゅくするグラフィックデザイナーの横尾忠則さんが本の中で語っています。

デ・キリコは、自己の名誉も成功もその作品に対しても未練がなかった。
 ~中略~
世間的に大成功した画家が再び画学生に戻って、一から出発したのである。ぼくがデ・キリコを最も尊敬するのは、この潔さと勇気である。

横尾忠則さんの著書「絵画の向こう側・ぼくの内側 未完への旅」より

反対に、画家の中には「苦悩に対する執着」を捨てきれない人がいて、そういう人は長く生きられないそうです。例としてジャクソン・ポロック(1912-1956)を挙げていました。


そして、こうも語っています。

大半の美術評論家からはいまだに形而上絵画以降の作品に対する評価は低い。しかし、あのデュシャンは、かの評論家諸氏がいずれデ・キリコの評価を変えるときが来ることを予言している。

横尾忠則さんの著書「絵画の向こう側・ぼくの内側 未完への旅」より

今後、初期の作品以外も評価が高まりそうな気配です。


(「デ・キリコ展」公式サイトもリンクしておきます、みどころはこちら、山田五郎さんの解説動画はこちら


最後に、

そういえば、老人問題に詳しい精神科医の和田秀樹さんが「60歳からはやりたい放題」という本を出版していました。

内容は、

いやなことはやらない、
いやな人とは付き合わない、
孤独だとしても問題ない、
人生は壮大な実験、
やりたいことをやる、
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まるで、90歳の長寿を全うした、
デ・キリコの生き方のようです。



読んでいただき、ありがとうございます。

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