[短編小説]やりのこし

 ここは喫茶店。15時集合。卓上にグラスは六つ。3人分の水と僕のたっぷりサイズアイスコーヒー・彼女のカフェオレ・斜向かいの男のコメダブレンドホット。席順は彼女の隣に知らない男。僕の隣には3人分のカバンと上着。


「藤本くん。別れて欲しいです」
 なんとなく雰囲気は察していたので驚かなかった。その時が来ただけだ。
「あの…こちらの方は…」
「トビくん。同じGEOで働いていて…」
「あっそうなんだ…実はなんとなく知ってて、サイちゃんと二人がそういう関係ってのも学科の人に聞いてて…」
「だよね、まあその…そういうことです」
 
 サイちゃんの隣にいた男、気まずそうではあるがそれを押し込むように堂々するよう努めているのが伝わる。覚悟をしたのか、トビが真っ直ぐにこっちを見て口を開く。
「藤本さんとちゃんと別れてから、それから付き合おうって話していて…別れを切り出すのってメチャクチャストレスだと思うんです。だから、それをサイちゃん一人に任せるなんてできなくて…一緒に言いに行こうって話し合って決めたんです」

 真っ直ぐこちらを見ながら「これが僕の誠実さです!」と言った感じで話しやがる。人の彼女寝取っておいて誠実もクソもあるか。サイちゃんはというとそんなトビとかいう男をすっかり信じきった様子で見つめている。心なしか体の角度が5度くらいトビの方に傾いている様に見える。コレがかっこいいのか?ああ、よく見ると色素が薄くてサイちゃんが好きそうな見た目してるな。

 もうここからサイちゃんの気持ちを取り戻そうとか、そう言った考えは全く無かった。それでもこれまで大体丸2年付き合って来て、サイちゃんが僕の生活から居なくなるのは片腕がもげるような、そんな感覚があった。でももうこの片腕は私のものでは無く、切り落とすしかないことを冷静に、理解していた。

 あとは少しこの二人がこれからうまくいかない様にしてやろうとか、サイちゃんをすこし傷つけてやろうとか、そんな情けない考えと自分の紳士性との戦いだった。二人の態度次第では僕が紳士であれなくなってしまうかもしれない。僕としてもそんなことはしたくない。ダサいから。

「サイちゃんと、トビさん?はいつからそういう関係だったの?」
 トビが真っ直ぐこっちを見て堂々とした態度で口を開く。
「大体2ヶ月くらい前です。ただ、きっかけとかはなく、ね?」
「うん。バイト帰り一緒帰ったりするうちにお互いの家を行き来するようになって」
「二股してたってこと?」
 意地悪な聞き方をしてしまった。
「いや!そんなことはなくて、だって付き合ってないし、トビくんには藤本くんのこと伝えてたし…」
「そうです。藤本さんのことは聞いていたので二人堂々と付き合うためにも今日こうして話し合いをしに来たんです」

 二人はさぞかし盛り上がってるんだろうな。僕は二人の恋愛ドラマを盛り上げる障害でしかないんだろう。僕が悪者であれば悪者であるほど二人の共通の敵になっていく。そして僕を乗り越えることで二人はより深い絆で…。クソが。さぞかし気持ち良かろう。客観的に見たら誰がどう見ても彼女を寝取られた僕が被害者で、この2人が加害者なのに。この3人の世界では多数決で僕が加害者になっている。ダメだ。何をしてもダメだ。

 サイちゃんは今にも泣き出しそうな顔で話し出す。
「藤本くん。いままでありがとう」
 なんだ?思い出話でもして思い出を美化すればいいのか?ここ二、三ヶ月はほとんど口も聞いてなかっただろう。
「うん。ありがとう。楽しかったです」
「うん、楽しかったね。こんなことになっちゃってごめんね。授業とかで一緒になったらまた普通に話しかけていいかな」
「いいよ。付き合う前に戻るだけだよ」
「ありがとう」

 そういってサイちゃんは泣き出してしまった。トビが「大丈夫?」「よかったね」と言いながら背中をさすっている。もはやなんの感情も無くなっていた。僕の頭がサイちゃんが自分のものでないことを受け入れたのだろう。まあ、初めから僕のものなんかではなかったのだろうが。
 
 サイちゃんの涙をもってこの予定調和の修羅場はカタルシスを迎えている。羨ましい。
 ただ僕はそんな二人にどうしても聞きたいことがあった。聞こうか聞くまいかずっと悩んでいたのだが、これで最後だし、いいか。

「あの、二人に聞きたいことがあって…ちょっと聞きにくいことなんだけど…」
 二人がこっちを見る。
「はい、今日は隠し事はしないって、全部正直に話そうって二人で話し合って決めていたので、なんでも」
「はぁ、二人って、もうその、ヤってますよね?」

 少しだけ空気が止まる。しかしすぐにトビは心を持ち直して

「はい、このことは本当に申し訳ないと思っています。ごめんなさい」
 想定内の質問だったのだろう。
「あ、いや、いいんです。もうそれは仕方ないというか、ね、よくあることだと思うので」
「ありがとうございます。本当にそのことは責められても仕方ないことをしたと思っていますので、ありがとうございます。すいませんした」
「あ、あの、大丈夫です。それは別にいいんですけど」
「はい」
「いいんですけど、あのこれはトビさんがサークルで話してたって話を又聞きしまして」
「はい」
「あのー…お尻でしたって本当ですか?」
「え?」
「あっ…その…サイちゃんと、ア…お尻でしたって聞きまして…」
 完全に空気が止まった。さっきまでギラギラとしていたトビの目が光を失っている。脳内危機対応マニュアルのページをすごい速さで捲ってる音が聞こえてくる。サイちゃんはというとさっきまでの涙は引っ込んだ様子でただ気まずそうにテーブルのグラスを見ている。
「しました」
 トビが意を決した様子でそう言った。サイちゃんは驚いた様子でトビの方を見る。二人がアイコンタクトを取っている。「大丈夫」とトビが目で言っている様子。
「あのーそう、僕の学科の友達がトビさんとサークルが同じで、GEOの子とお尻でしたって話を聞いていたので、だから二人がそういう関係なんだってのもなんとなくわかっていたんです」
「はい」
「サイちゃん、サイちゃんってお尻大丈夫だったの?」
 5秒沈黙
「うん」
「付き合う前から?」
「うん」
「そうなんだ…」

「なんで教えてくれなかったの?」
「だって聞かれなかったから」
「え?じゃあトビさんには聞かれたの?」
「いや聞かれてないけど…」
「どうやったんですか?」
 トビの方を見て尋ねる。
「どうやったらお尻でできたんですか?」
「え…?それは、雰囲気で…」
「お尻でしたいって言ったんですか?」
「言ってないですけど…」

「サイちゃん、僕はどうやったらお尻でできたの?できるなら言ってよ」
「だってしたいって言わなかったじゃん」
「え、サイちゃんはできるけどできればやりたくないって感じ?それとも別にやりたくないわけじゃないの?」
「…別にできるしやりたくないわけじゃないよ」
「…じゃあ言ってよ!」
「やだよ恥ずかしい!!変態みたいじゃん」
「じゃあ僕が変態にならなきゃいけなかったってこと?」
「そういうわけじゃないけど、ずっとしたかったの?お尻で」
「いや、そういうわけじゃないけど…」
「じゃあいいじゃん、別にしなくたって」
「いや…せっかくならしたかったなって」
「何それ、せっかくならとかでしたくないし」
「じゃあトビさんはどんな態度だったの?絶対したいって感じだったの?僕とトビさんの違いはなんだったの??なんでトビさんは良くて僕じゃダメだったの?」
「知らないよ!!」

 白熱して声のボリュームが大きくなってしまっていた。白昼の喫茶店でする話じゃない。周りの席からの視線を感じる。
 2週間前にトビとかいう男がサイちゃんとお尻でしたという話を聞いた時にはもう僕とサイちゃんの関係は冷めきっていたし、とてもじゃないが「お尻でさせて欲しい」なんで言える雰囲気じゃなかった。その話を聞いたとき、もうサイちゃんとの別れが近々来ることは悟っていたのだ。

 しかしこれからの人生お尻でできる人と出会えるのだろうか、僕はこのままお尻ですることなく人生を終えるのだろうか、なんてことを考え出してしまい、悶々とする日々を送っていた。別に特別女性のその、後ろの穴に執着があったわけではなかった。自慰をするに当たってのお供としても、特段その嗜好があったわけではなかった。しかしいざそれが目の前にあって、それがこれからの人生手に入らなくなると思うとなんだか急に悔しくなってきてここ2週間そういう系統のAVばかり見ていた。

「トビさん」
「え?」
 黙ってこの言い合いが終わるのを待っていたのか、少し驚いた様子。
「どうしたらお尻でできたんですか?」
「えっ…それは…」
「女の人とする時いつも聞くんですか?」
「いや、そんなことはしないですけど…」
「じゃあどうやって」
「それは、そのそれとなく…」
「もういいよ、行こう」
 サイちゃんが立ち上がりトビの袖を引っ張る。
「サイテー」

 二人は立ち上がり喫茶店を出て行く。サイちゃんは僕の隣に置いたカバンを乱暴にぶんどって行く。トビは小さな声で「すみません」と言い伝票を持っていった。
 僕は薄くなったたっぷりサイズのアイスコーヒーを時間をかけて飲み、店を出た。外はすっかり暗くなっており日の短さを感じた。少し遠くのTUTAYAに向かいレンタルDVDを5枚借りた。何度も借りているが、なんとなく食指が動かずいつも観ないで返してしまう『ユージュアルサスペクツ』をまた借りた。途中コンビニに寄り、缶ビールとチャーハンを買った。
 家に着き『ユージュアルサスペクツ』を見ながら缶ビールを飲み、そして寝た。
 

 2年後僕は大学を卒業した。
 就職し、お尻でできない女性2人と付き合った。その後26歳の冬、自分より大切にしたいと思えるお尻でできない女性と出会い、結婚した。お尻でできない妻以上の人なんて今後出会える気がしないし、お尻でできない妻もそう言ってくれた。

 お尻でできない妻は来月第一子の出産を予定している。今はソファーに座り、生まれてくる子供の名前を考えている。あーでもないこーでもないと言いながら二人で案を出し合っている。これからもずっと、どちらかが死ぬまでは、一緒に歩んでいきたいなんてことを本気で考えている。

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