祝24歳!ハッピーバースデー俺!

この世に生を受けて24年が経ちました。

どうも、フジノシンです。

年齢を伝えると

「え〜!フジノシンさんもっと年上だと思ってました〜!」

と言われることが割とあるのでもう1度言います。

24歳です。

えぇ、24になってしまいました。23歳までは我ながらまだ若いな〜と思っていたんですが、24になると途端に大人になってしまった感があります。

学生の頃に思い描いていた大人の自分は、落ち着いた雰囲気で、お洒落なバーでお酒を飲みながら政治経済について語り散らかすような感じをイメージしていたんですが、いまだに友達と今週のジャンプの感想を言い合ってはしゃいでいます。中学の頃からなんの成長もしていない。成長があったとすれば、ジャンプよりもヤンジャン派になったことくらいでしょうか。

ヤングに、ヤングになったのです俺は。アダルトコーナーに合法的に入れるようになってから6年が経ったのです。そういう点ではかなり大人ですね。

アダルトに、アダルトになったのです俺は。

さて、そんなアダルト6年生の俺には少年時代の忘れられない誕生日の思い出が2つありまして、今回はその思い出語りにお付き合いいただきたいと思います。

そう、あれは確か小学校低学年の頃。

少年時代の俺は今みたいにケーキを貪り食うことはなく、至って標準的な食生活を送っていました。

とはいえ、やはり誕生日ともなればバースデーケーキに胸を踊らせるのが子供というもの。まぁケーキを食べるのなんて年に数回しか機会がありませんから、食いしん坊の俺はそれはそれは大層バースデーケーキを楽しみにしていたのです。

マッマがお昼に近所のケーキ屋さんからチョコレートのショートケーキを買ってきました。俺は食べたくて食べたくて、早く夜にならないかと何回も時計を確認したのを覚えています。

俺には2人の兄がいるんですが、兄たちも同様にケーキを食べるのを心待ちにしてたようで、マッマにケーキは何時から食べるのか、何センチのケーキなのかと質問責めをしていました。

そしてその光景をみて思ったのです。

ん?兄ちゃんたちは俺の誕生日ケーキを食べるつもりなのか?と。

いやまぁ今考えればそりゃ食べるだろうと思うんですが、当時はなんで俺の祝いのためのケーキなのに、こいつら食べる気満々でおんねんと本気で思ったんですね。

俺は兄たちの誕生日ケーキもムシャムシャ食べていたんですが、俺のケーキとなれば話は別。俺のケーキは何人にも食わせん。俺だけのもんや。俺のケーキは俺のもの、お前のケーキも俺のもの。ONE for フジノシン、ALL for フジノシン。

とにかくホールのショートケーキを独り占めしたくて仕方なかった。経済力のない子供にとって、ホールケーキを独り占めできる機会は誕生日のこのタイミング以外にはないのです。

俺は兄たちがいなくなったタイミングを見計ってマッマに誕生日ケーキは俺だけで食べたいという旨を伝えました。

もちろんマッマの解答はNO。

兄弟仲良く食べなさいと言われました。

しかし俺はここで素直に引き下がるような子供ではありませんでした。父親譲りの頑固さと理屈っぽさを兼ね備えた俺はマッマに言い返します。

俺の誕生日ケーキなのだから食べる権利は俺にあるはずだ。兄たちの誕生日ケーキも俺は食べたが、それは兄たちが食べるのを許可したからであって、許可されなければ食べなかった。許可するかしないかは誕生日を迎えた者の自由であり、今回俺は俺以外の者が俺のケーキを食べることを許可しない。つまり俺はショートケーキを1人で味わい尽くしたいんだ。

マッマは、確かにあんたの言うことはもっともだ。OK。ケーキを独占することを許可しよう。とは当然言ってくれず普通にバチくそ怒られました。

あぁそうかい。マッマよ、あんたがそういう態度ならこっちは奥の手を出すしかねぇな。

これだけは使いたくなかったが仕方ねぇ。奥義『駄々』!!!

めちゃくちゃ泣いてやった。地団駄を踏み、床に寝そべり手足をジタバタさせた。理屈なんて関係なしに、要求を飲まなければいつまでも泣き喚き続ける存在と化した。今思うと母親には申し訳ない気持ちしかないが、当時の俺は自分の要求を通す術として駄々をこねる意外に思いつかなかった。

根負けしたマッマは渋々ケーキの独占を認めてくれた。


ケーキを独り占めできる。子供の俺にとってそれ夢のようだった。

晩ごはんを食べたあとにお待ちかねのケーキタイム。兄たちの反抗が怖くて、俺は1人別の部屋にケーキを持っていって食べた。
カットしていないケーキに直接フォークを指した瞬間の鼓動の高鳴りはさながら恋のようだった。

しかし結論から言うと、ケーキを美味しく感じたのは最初の3口くらいまでだったと思う。

それ以降はなんともバツの悪い、寂しさや罪悪感を感じていた。
隣の部屋では兄たちがテレビを見て笑っている。ほんとはそこに入っていきたかったし、家族と一緒にケーキを食べたかった。
しかし駄々をこねた手前、自分からやっぱり一緒に食べようと言い出せなかった。
もはやケーキを楽しむというより、ただ胃に押し込む作業だ。
食事は誰かと食べたほうが美味しいとよく言うが、それを実感した初めての出来事だった気がする。誕生日ケーキは祝ってくれる人と一緒に食べて初めて誕生日ケーキになるのかもしれない。そこに俺しかいなければそれはただのケーキなのだ。

ケーキは誰かと食べたほうが美味しくなる。人によって違うんだろうけど、少なくとも俺は誰かと一緒に食べたい。
誰かと楽しいひとときを共有するという体験がケーキを更に美味しくしてくれる。

そんなことを思わせてくれた誕生日。これが1つ目の思い出。



2つ目も小学生の頃。5年生のときだった。

その年の誕生日に俺は、実際にケーキ屋さんの厨房に入ってショートケーキの作り方を教えてもらった。

当時パティシエになることが夢だった俺のために祖父が地元のケーキ屋さんに頼んでくれたのだ。シェフから直々に作り方や器具の説明をしてもらってとても楽しかったことを覚えている。何より従業員のお姉さんが可愛かった。

下手くそなナッペのショートケーキの上に、これまた下手くそなパイピングで「じいちゃんありがとう」と書いたプレートを乗せた。自分の誕生日ケーキを自分で作ったのは後にも先にもこれだけだ。1番忘れられないケーキかもしれない。

クリスマスは終わったとはいえ、年末年始に向けて忙しい時期に受け入れてくれた地元のケーキ屋さんには感謝しかない。改めて考えてもとても貴重な経験をさせていただいたと思う。

そして生意気な孫のためにわざわざケーキ屋さんにお願いしてくれたじいちゃんにも感謝してる。当時から確かにパティシエになりたいとは言っていたが、その前には農家になりたいと言っていたし、その前はソムリエになるのが夢だった。割とやりたいことがコロコロ変わる子供だったにも関わらず、俺のパティシエになりたいという思いに真剣に向き合ってくれたんだと思う。

俺のパティシエの夢を1番応援してくれていたのはじいちゃんだった。俺の選択を「お前なら大丈夫や」といつも背中を押してくれたのはじいちゃんだった。

そんなじいちゃんは今年の9月に亡くなった。

父からじいちゃんの訃報を聞いたとき1番に思い出したのがこの思い出だった。

パティシエを辞めてからなんとなく地元に帰ることを避けてきた。その理由の1つにじいちゃんの期待を裏切ってしまったような気持ちがあったからだ。たまに帰ってじいちゃんと話すことがあっても仕事の話題だけは避けてきた。パティシエを辞めたことは後悔していないが、そこだけが少し心残りだ。

急に話重たいなと思った方には申し訳ない。誕生日なので許してほしい。何をしても許される日、それが誕生日なのだ。

あの年の誕生日、じいちゃんがケーキ屋さんに連れて行ってくれなかったら、ケーキ屋さんが断っていたら、今の自分はないかもしれない。

色んな人に支えられて今の自分があるんだなと考える24歳の誕生日なのでした。

改めてハッピーバースデー俺。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?