推しと酒を飲んだ夜

どういう経緯でと思うかもしれないが、それはとても単純で、推しがクラウドファンディングで「 ライブ後の打ち上げに参加する権利 」を売っていたからだ。
今回が初めてではなく、これまでにも同様の権利や「 みんなで草野球しよう! 」みたいなものも売っていた。ファンとの距離がおバグり遊ばせてるタイプの演者で実はそれが少し苦手だったりした。

舞台に上がる者とそれを見守る者が、なんの隔たりもなく交わるなんてありえないと思っていた。

この感覚をどう伝えたらわかりやすいか考えて何度も書いたり消したりしていたけど、結局ビビってただけなのかも。

なにか失礼をしてしまったらどうしよう、つまらないやつだと思われたらどうしよう、痛いやつだと思われたらどうしよう…etc
あとは嫉妬。どうしても推しだって人間だから、みんなに平等に接しようと思っていても初めましての人と久しぶりの人が並んでいたら久しぶりに会う人の方がちょっと柔らかい笑顔してるし、あの時はありがとうみたいな会話にもなる。当たり前なんだけどちょっと寂しくなる。
私が推しを知るまでの間、支えてくれたファンがいたから今推しがここにいるわけで、その存在はありがたくて尊くて、そしてちょっぴり羨ましい。

いろんな角度からモヤモヤしそうで、推しを全力で楽しむことが出来なさそうで、そういう場を全部見ないふりして過ごしてきた。
そんな私がどうして打ち上げに参加することが出来たのかと言うと、推しが「好きなものが同じ人達が仲良くなれないわけがない(意訳)」「ライブ見に来たついでに一緒にお茶するみたいな関係になってほしい(意訳)」って言ってたのが心に刺さったから。
思い返してみれば、今までの人生でヲタ友というものをもったことがなかった。いつもひとりで好きになって、ひとりで応援して、ひとりで浸っていた。好きを共有する楽しさを知らなかった。


※ ここからしばらくは本題から逸れるので、酒飲んだ話が早く読みたい人は飛ばしてください。



私は中学二年生の時に初めて推しができた。それまであまりテレビを見る習慣がなかった。部活が18時とかに終わって、バス通学だったがバスを待つのが苦痛でだいたい親に迎えにきてもらっていた。家に着いたらそのまま母と台所に入って、今日あったことをひたすら話しながらご飯を作り、出来上がったら家族みんなで食事する。それが済むと宿題やら風呂やら読書をして、あっという間に時間が過ぎる。今でこそとても夜更かしな人間だが、当時は22時を過ぎると起きていられなくて、それくらいには眠っていた。あいのりにハマっていてそれだけは頑張ってみていたけど、大好きなメンバーの大事な告白のシーンで居眠りしてしまって母に「どうして起こしてくれなかったの」と八つ当たりしてしまったことがある。録画すれば良いのではという話なのだが、その頃の我が家にはそういう類のものがなかった。

そんな私の日常がガラッと変わったのは、部活が休みで特に予定もなく過ごしていた土曜か日曜の昼下がりだった。誰が見るでもなく垂れ流されていたテレビに、スーツ姿の冴えない男性とピンクのベストに変な髪型をした男性がゲストという立場で出演している番組が目に入った。
M-1グランプリというお笑いの大会で、敗者復活から勝ち上がり本戦で準優勝したらしい。かっこよすぎでは?と思ったのもつかの間、家にお風呂がなくておしりふきで体を拭いていたり、ジュースを買うお金がもったいないから飴を溶かした水を飲んでいるなど、なんともトンチキなエピソードがたくさんでてくる。こんな変な人今まで読んできた本のどこにもでてこない。事実は小説よりも奇なりってこういうこと!?っと衝撃を受けた。
この人たちのことをもっと知りたい、を繰り返すうちにあっという間に沼にハマった。

推しがいる生活はシンプルに楽しかった。なんでもない毎日が彩られていく感覚だった。当時は飛ぶ鳥を落とす勢いで毎日何かしらの番組に出ていたので、それはそれは楽しい推し活だった。寝ても醒めても推しのことばかり考えて、勉強が手につかなくなって成績が落ちて父に叱られたりもした。それでもやっぱり推しのいる生活は楽しかった。
私の青春時代は、勉強机の薄暗いデスクライトと携帯から聞こえてくるオードリーのANNと石油ストーブの匂いで構成されていると言っても過言ではない。

高校にあがり、時代はAKB48と嵐の全盛期でドルヲタじゃなくても新曲をみんなが知っていた。
仲良くなった子がジャニオタで、誘われるままに家に遊びに行ったら最初から最後までずっと関ジャニ∞のライブDVDを見せられた。初めこそ愛想笑いだったものの、彼女のプレゼン力に負けていつのまにか自分から求めるようになっていた。気に入ったDVDを貸してもらって、1週間くらい毎日見た。それでも飽き足らず、また借りて繰り返し見ては同じシーンでかっこいいよぉと頭を抱えていた。
笑いの力一辺倒だった私の生活に音楽の力が加わった。
それから今に至るまで、いろんなものを好きになった。ある時はサッカー選手、ある時は男性2人組アーティスト、ある時は48G系、ある時はシンガーソングライター。いろんな人が入れ代わり立ち代わり私の心の柱になった。

時は2019年、この頃にはM-1は私の中で一大イベントで、特別応援してる人はいないけれど、仕事を休んで敗者復活からテレビにかじりつく催しとなっていた。
2019年のM-1は私の中で過去最高と思える大会だった。なかでもすゑひろがりずに心を奪われた。初めに出場者を確認した時は、申し訳ないが一番ないと思った。あ〜なるほど賑やかし要員ですね、と。
にもかかわらず、次の日友人と交わしたLINE上ではもうすでに「すゑひろがりずよかった」「扇子の人いいね」などというやりとりがあった。現金な人間だね。
M-1の舞台に小物持ち込んでるやん…なんて思ってごめんなさい。めちゃくちゃ面白かった。あのポンが大事だし、バッと開かれる扇子が大事。歌ネタ・変顔・動きで笑わすなんてご法度。しゃべくりこそが至高だと思っていたお笑い頑固になりつつある私の「 面白い 」の許容範囲が広がった瞬間だった。

そして世の中はコロナにより簡単に人と会えない世の中になっていく。少なくとも1ヶ月に2~3回は人と遊んでいた私にはそれはそれは窮屈で退屈だった。そんな頃に例の友人から「 すゑひろがりず局番 」の存在を教えてもらう。
こんな切り口のゲーム配信があっていいのかと衝撃を受けた。時間はとてつもなくあったので、その時アップロードされてた動画はあっという間に見終えてしまった。それで物足りずもっと深い沼に手を出してしまう。

大宮セブンだ。

大宮ラクーンよしもと劇場を拠点としているお笑い集団で、すゑひろがりずはメンバーの一員だった。当初アイドルのようにちやほやされていたすゑひろがりずを「ほんまはこんなんちゃうんですよ」とダサエピソードやらなんやらかんやらで、ちゃんと等身大の中年おじさんコンビに引き戻してくれたセブンの面々に頭が下がる。本人たちがどう思ってるかはわからないけど、すゑ様♡♡♡って状況だったらやりにくいことたくさんあったんじゃなかろうか。

2020年8月11日
すゑひろがりず並びに〜タモンズ編〜
もちろん家臣であった私はすゑひろがりず目当てでこの公演のオンラインチケットを買ったのだが、ライブ終了後というかもうライブの中盤からタモンズに釘付けだった。こんなにエピソードトークの強い人間がこんな近くにいたのかと驚いた。大宮セブンライブは見てたから存在は知ってたけどこんなに話せるとは。沼の始まりがオードリーなだけあって、同級生コンビ+トークが強いという肩書きの芸人は私の好みドンピシャだった。
タモンズに出会ってから購入履歴がタモンズだらけになった。今でこそYouTube(タモンズ旅チャンネル)で定期的にお顔が見れるし、standFM(タモンズの超熟成ラジオ)でトークも聞けるが当時は2人揃ったところを見るには劇場公演を買うしかなかった。
大宮も有楽町も幕張も初めて劇場に足を踏み入れたのはタモンズの公演を観るためだった。タモンズの公演前にはいつもひくねとグルメ(GAG福井さんのチャンネル)で大波さんが出演した回の旨グルメを堪能した。なんなら大波さん本人に「ここの劇場行くんですがおすすめの美味しいものありますか」とDMしたりリプしたこともある。そしていつもきちんとお返事がきて、何度もびっくりさせられた。
ヲタクと赤羽で飲むんだけどおすすめありますかって聞いた時も、長文で2、3軒教えていただいた。本当に優しい。立場上そんなにDM無視したっていいのにどんなことでも対応してくれる。
Bondeeというアプリでは日常の何気ない呟きでもいいねしてくれたりコメントしてくれたりして、たまに私の方が芸能人だったかしらと錯覚しそうになる日もある(笑)
ネタもトークももちろん面白いけど、この距離感ゼロのお友達対応で心をグッと掴まれた。
ちょっと凹んだ時に、そんなん気にせんでええよ〜ってドーンと受け止めてヨシヨシしてくれたかと思うと、俺なんかもう…みたいな不安定なところをチラ見せさせてきたりして、乙女心と母性をすごく上手に刺激してくる。塩梅が本当に上手い。我々女性ファンは彼の手の内でコロコロ転がるだけなのである。


※ここから下、推しと酒を飲んだ話になります


2023年9日12日
タモンズライブ詩芸47都道府県ツアー
in 新潟 アオーレ長岡
60分のノンストップ漫才が繰り広げられた。馴染みのあるネタや新潟ネタをうまく混ぜ込んであっという間にネタは終わってしまった。(ここがよかったとか書きたいけど、全国ライブは今後も続くし、ならないとは思うけどネタバレに繋がったら申し訳ないので割愛します)
そのあとのトークライブ「超熟成ラジオ」もつつがなく終わり、緊張の瞬間は刻一刻と近づいてくる。

会場は長岡駅からほど近い料理屋さんだった。適当に時間を潰しながら向かうと、料理屋の入口で大波さんと鉢合わせした。ここで陽気なファンだったら、いい感じの声かけができるんだろうけど陰キャな私には無理だった。どうせ中でバレるのに、別に打ち上げいくわけじゃないですよみたいな顔してスルーしてしまった。思い出すと少し恥ずかしくなってくる。
 心細すぎて、参加することに決めたあの日の自分を何度も恨みながら案内されるままに部屋に入ると、タモンズ・ももPさん・大塚さんの4人がけテーブルと、ファンの8人がけテーブルに別れていた。ぼっち参戦なのでどこに座るべきかドキドキしながら近すぎず遠すぎずちょうどいい位置に腰を下ろす。
どう進んでいくのか全員が手探りみたいな雰囲気で、メニューを決めるのもちょっと時間がかかった。何食べたいですかなんて聞かれてもわからないし、何が来ても喉通らないよね。推しが同じ空間にいるんだもの。
最初の何分かは恐らくYouTubeの撮影をしている感じで、その裏側を見学するファンみたいな構図になっていた。ある程度撮影が済んでからお食事タイム兼質問タイムみたいな感じになって、安部さんが「どこから来たんですか?」や「タモンズのことをどういうきっかけで知ったんですか?」など各ファンに話しかけてきた。
私のお気に入りの店のひとつに、美人女将が一人で切り盛りするカウンターだけの居酒屋があるのだが、1人でふらっとお邪魔すると静かに飲んで帰るつもりがいつのまにか他の常連のおじ様たちと盛り上がってしまってるみたいなのがあって、そこのおじ様たちと雰囲気が似てて笑っちゃった。女性やから失礼したらあかんからな、感がめちゃめちゃ伝わってきた。
落ち着いたところで大波さんがファンのテーブルに移動してきた。両隣、両斜向かい、正面に女性を従えた大波さんは強かった。これはもう語彙がなくて申し訳ないんだけど、強かったとしか言いようがない。好きにさせられる感じ。元から好きだからさせられるもなにもないんだけど、一生この人について行きたいって思わせる色気があった。これはね、言葉で知るよりも本人に会った方がいい。わからされた方がいい。
人のことをよく見ててちゃんと置いていかないように話を振って、こちらがノッてきたら同じくらいの温度でいてくれて話してて心地よいというか、この人ちゃんと私の話をきいてくれてる!って感じがすごい。こういうの女性は好きじゃないですか?はぁ、好き。幸せ色のため息が出ちゃうよね。
次もまた参加したいって思わされちゃった。

あと、地元新潟にこんなにタモンズファンがいるんだってびっくりした。みんなどこに隠れてたの?全然好きって言わないじゃん!好きって言ってこ!?笑
なんかもっとこういう事があったよとか、こんなお話してたよとか新潟に来れてないタモンズファンの皆さんにおすそ分けしたいなって思って書き始めたんだけど、私だけの記憶として独り占めしたくなっちゃった。ごめんね(?)
悔しかったらみんなクラファン買って!(乱暴な宣伝🙇‍♂️)

どう表現したらいいか難しいんだけど、推しも人間なんだなぁをすごく感じた。どこか遠いところにいる人ってどうしても思っちゃうからさ。
画面越しじゃなくて、舞台と客席との高低差もなくて、目と目を合わせて言葉を交わしてなんか本当にいい夜だったな。ご一緒させていただいたファンの皆さんも良い方々だった。どういう感じで接したらいいのか陰キャヲタクな私は終始挙動不審だったかもだけど、優しくしてくれたファンの方々ありがとう。楽しい夜になりました。

あの日飲んだお酒の味を私は忘れられないなぁ。

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