party next door
モニターに映し出される風景、ベンチに座る人物、ヘッドフォンを装着すると、彼は自分の聞こえる音をつぶやいているのだとわかる。口元から耳元へ密接した声は空間的な移動と共に映像にひとつ奥の場所を作り出す。その後に窓の方を見ると、そこに付けられた字幕も同様のルールに則っていることがわかるだろう。窓の向こう、この部屋の外にいる人物の気配はここから地続きのものとして感じられるかもしれない。
この展示では藝祭という環境を踏まえ、映像、音、窓、テキストを用いて“現実感”についての表現を試みている。
メディアを通して窃視するような想像力によって可能になる〈どこか〉への縮地、その副作用は〈ここ〉に対する現実感の薄れだろう。モニターに映る〈どこか〉と〈ここ〉の距離はどこまでも遠く、同じくらい近い。
〈ここ〉とはそれぞれが現実感を感じられる範囲のことだ。それは自分の身体が存在する場所に留まらず、様々な媒体、あるいはそれぞれの思考や記憶を通して複数の時空間にまたがる。様々な〈ここ〉に対して浮遊と着地を繰り返す、虚構と現実のパラレルな関係性の中で暫定的に生じる現実“感”にこそ、多層で有機的な個人と社会を見ることができる。
ここから先は
0字
¥ 500
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?