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やったねNHK でも冤罪はなくならない

NHKはBS1以外観なくなって久しい。ところが先日、総合TVの「法医学者たちの告白」というドキュメンタリーをタイトルに惹かれて録画、再生。ビンゴだった。NHKもここまでやれるんだと見直した。今頃、ここで言及された警察・検察の当事者、担当した裁判官は歯ぎしりと怒り(もちろん正当な怒り、ではない)に震えているのではないか。今後NHKに陰湿な嫌がらせが向けられないかが心配である。

冤罪を生む元凶である自白重視の捜査やそれを受容する裁判は20世紀の遺物と、うかつにも思い込んでいたが、今世紀になっても続いている実態を知り愕然とした。

事情を知る海外の識者からは、日本の裁判は中世の裁判もしくは暗黒裁判と呼ばれているそうである!!

実例として挙げられたのは2005年に起きた栃木女児殺害事件。一審では法医学者岩瀬博太郎の検察側証言は編集(肝要な箇所が無視)され、二審では同じく吉田謙一の、有罪を覆すに足る弁護側証言は無視された。

今回、有罪判決(無期懲役)を受けた勝又拓哉の写真を再見したが、当時も今も、とても少女の胸を滅多刺しにした犯人とは見えなかった。二審で検察側が行った訴因変更(なんと裁判官が促したもの!)も実にいい加減なもので、なんとしてもストーリーを捏造した自白に合わせようとする作為だった。

ここで三人目の法医学者が登場する。ハワイで検視官(medical examiner)の地位にある小林雅彦。実は小林は岩瀬、吉田とは東大時代に同じ研究室に在籍した同窓だった。

低予算とオーバーワーク(=過少スタッフ)で不眠症に悩む岩瀬、警察サイドからは事実上干されている吉田、二人とは対照的な小林の執務環境に目をみはる。知らなかったが、検視官の地位と権限が日米では段違いなのである。日本の法医学者らは警察の下請けのような地位に追いやられ、スズメの涙のような予算で働き、いまや解剖の効率化(=時間短縮)を求められる始末。

かたやアメリカの検視官は警察から独立した権限をもち、死因究明にかんする捜査権を有し、捜査官も擁している。冤罪をなくすためにこうした制度が整備されたという。従って小林は裁判前に弁護側からの質問に答えることができ、知りえたことはオープンに開示しているという。

日本の政治家も問われれば、一般論として「冤罪はあってはならない」と言うだろうが、現状の司法制度の欠陥としてはとらえていまい。日本では冤罪は不幸な偶発時として起きるのではない。構造的に起きる余地を残しているのである。

件の政治家も、もしかして法務大臣に任命されれば死刑執行命令書に署名することになるのだ。恐ろしくはないのか!?

いな、かれら日本の政治家(ということはほぼ例の俗物政党の政治屋たちだが)はうすうす制度のヤバさは感じているのである。確定死刑囚が一定期間内に執行されず、延々待たされ続けて拘置所内(or病院内)で自然死する例が多いのはなぜか? 

捜査過程や公判過程にさまざまな問題が指摘され報道された事件や、再審請求がおきつつある事案に関しては「確定」していても署名はしないという、法治国家にあるまじきサボタージュが常態化しているのである。制度改正にたちあがるよりは、みずからのちんけな罪悪感を救済する方が手っ取り早いに違いない。

かくして、勝又拓哉を犯人に仕立て上げて警察・検察のメンツは立ったかもしれないが、真犯人はいまも舌なめずりをしながら、あなたやあなたの子供らのそばを通り過ぎているかもしれない。

放映後にXを見ると、当番組に「感動した」と述べたあと「冤罪がなくなるといいと思いました」という感想があったが、初心にもほどがある。日本人の初心さかげんは度し難い。ちなみにこの国の法医学者数はたった150人だと!

先に手じまいされた政治資金規正法改正。だいたい、過去に不正防止をかかげて当法規は何十回「改正」されたことか! ハードプルーフをもって収賄を立件できないとしても、政権政党が企業・団体から献金を受け取って、企業に厳しい負担を求めることができると考えるのは初心も初心、愚の骨頂である。かくして企業の内部留保は先進国中異常なくらい肥え太り続け、かたや庶民は1円でも安いスーパーを探して奔走する。嗚呼!

(死刑については、先に拙稿『死刑存置論の最後の砦』をアップしている。興味のある方はご一読を。)

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