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能登半島地震2024と万博

この地震の命名にあたって「令和6年」と付す意識の低さにどっと疲れが出た。これほどの大惨事を世界史に刻み、銘記しなくてどうする!? 

毎日欠かさず地震の発生状況をチェックしている自分は、もちろん、ここ数年能登半島でつづく群発地震のことは知っていた。ショックだったのは、そんな素人ウォッチャーの願いをこめた安心理論があっさりと覆されたこと。すなわち、小さい地震が続けば地下で蓄積されたエネルギーが徐々に放出されてカタストロフは避けられる、という。

震度7を記録したのは志賀町だった。志賀町と聞いて原発のことを想起した国民がどれだけあったか…? 現在は停止中で事なき(外部電源が遮断とあるので予断は許さないが)を得たが、稼働中であればと思うとゾッとする。ところで、裏金問題で「なにが問題か?」とうそぶいた経団連の十倉会長が11月に志賀原発を訪れ「いち早い再稼働を」と述べたらしい。震度7の一報を聞いて失禁したかどうか… (ん、そんなヤワな神経で経団連の会長は務まらない…?)

「万博中止を」の声に吉村府知事が「なぜ地震と万博が二者択一なのか」と反論したという。

個人の家が天災被害に遭ったら、どんなに待ち望んだ旅行であれ車の買い替えであれ、中止の決断はするだろう。それが健全な家計であり賢明な選択である。それが自分の懐を痛めない公金となったら、不測の事態(=待ったなしの出費)が起きようが、追加の出費がいくらになるかも不透明な案件を止められない。まるで穴の開いたバケツである。

この国の膨大な財政赤字はこうしてまたひとつ積み上げられていく。とめどない国債発行も、引き受け手の大半が日本人であり日本の金融機関・企業である以上ノープロブレムと説く経済学者らを信じてはいけない。真の危険は、一国が「財政節度」や「財政規律」を喪失することなのである。未来形で書いたが、その実、この国の一党独裁政治の定着とともに根づいて久しいのである。上の発言はそれをよく表している。この国の政治家もとい政治屋たちは、あれかこれか、行くか行かざるかの厳しい決断ができなくなって久しい。

少子高齢化対策や温暖化対策や国土強度化対策は待ったなし。でも五輪もやりたい万博もやりたい軍備は増強したい… あれもほしいこれもほしい、まるで苦労知らずに育ったお坊ちゃま、あるいはブレーキのない暴走車みたいなものである。

ちなみに悲観老人は、あの蓄財専心老害政党の少子化対策はじつは軍備増強の一環、すなわち未来の兵士補充対策ではないかと疑っている。

「戦争は老人が始め、若者が死ぬ」。



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