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幼時の確信が老境に裏書きされることーー聖徳太子の非実在

7、8年ぐらい前だったか、朝のニュースバラエティに学習塾のカリスマ講師(著作もあるらしい)が出演して日本史の常識をくつがえす事例をいくつか挙げてコメントしていた。

予想通り聖徳太子も出てきたが、「聖徳太子」は死後の呼び名だから、事績をいうには厩戸皇子が正しいという微温なもの。しかし微温といって看過できないのは、太子の実在を前提にしていること。

例によってレギュラーコメンテータが、「聖徳太子はいなかったという説があるけれど、どうなんですか?」とカリスマ氏に問う。すると彼は、いかにも余裕の笑顔で、「いえ、存在したことはまちがいありません」ときた。噴飯物とはこのこと。問うた本人も他のコメンテータもそろってホッとした顔をしたのが、いとをかし。

ことほどさように人は通念という惰性に寄りかかっていたいのである。万世一系神話しかり、ヒロヒト=好好爺説しかり、五輪のメダルは至高の栄誉しかり、…!

塾や高校で日本史を教え、本まで出す人間がどこまで勉強しているのか、という話。彼は大山誠一教授が聖徳太子の非実在を論証した業績をどこまで学習しているのか? 以来、学界が沈黙してしまった事態をどう評価しているのか? 答えはおのずと明らかである。

受験テクニックを説く塾の講師が、まじめな学問的成果を無視して通念に安住するこの風景は、本物を目にして「食品サンプルみたい!」と感激するガキモデルと重なって、まことに寒々しい。

大山教授が聖徳太子の非実在を論証した(『天孫降臨の夢』)ことに対し、学界が沈黙をもって遇したことは知る人ぞ知るだが、かねてより日本史学界に不信の念を抱く自分はさもありなんとため息をついたものだった。

かれらは文部科学省の教科書検定に唯々諾々と屈服し、あるいは自主規制し、こと天皇制のこととなると、それをかすめる事実さえも不可触を決め込み、国民が通念や物語に安住する姿勢を強化してきた。

ここで、学界の話を離れて些末な自分史に触れる。生まれたのは一向宗の伝統のある北陸のとある門前町。一向宗と聖徳太子信仰の親和性はつとに有名で、それにちなんだ祭りも有名だった。寺が経営する、その名も「聖徳幼稚園」に通ったが、園では「聖徳太子物語(?)」というマンガ本を「教材」としていて、園児を通じて各家庭に配布されていた。

子供心にもよくできた本で、こと聖徳太子にかんして高校卒業までに学んだことは、このマンガ本以上には出なかった。

そしてこの「教材」のおかげで、かつ園の期待とは裏腹に、自分は聖徳太子が架空の人物であることを、園児にして確信したのだった。

そんな幼時の確信が、老境に入った頃、大山教授の労作によって裏書きされたことはこの上ない喜びだった。


蛇足をひとつ。

こどものなぞなぞに「法隆寺を造ったのはだれ?」というのがある。「正解」は聖徳太子ではなく、大工という…

この「正解」には、しかし、機知以上の真実が含まれている。古代より塔建築に用いられた心柱(の奇跡)はとみに有名だが、そうした塔建築が東北から九州にまで存在すること。全国に広がる寺社建築や城郭建築に用いられた高度な木組みの技術。

戦乱や火災や地震で崩壊するたびに速やかに再建を担った無名の大工や職人たち。歴史的建築物のみならず、下々の民家にまでかれらの高度な技術は発揮された。真っすぐな木材の入手が困難な豪雪地帯で、曲がりくねった木材を梁として組み上げる技術、等々。かれらのことをブルーノ・タウトは無名の「芸術家」と呼んだそうである。

たまたま名を遺した偉人列伝ではなく、こうした無名の大工や職人たちを正当に評価する史書、かれらが遺した技術の普及史、発展史を是非読んでみたいものである。


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