見出し画像

全てに優先する基準、自分の考え

キッシンジャーの評伝を読んでいる。序章の

1976年に政治家としての自身の功績を評価するよう求められたキッシンジャーは、こう答えている。「歴史家がどの成功で判断するとしても、私自身は全てに優先する基準を持とうと努めてきた」。

という一節で、この本に出会えたことを感謝した。

仕事をはじめ人生は意思決定の連続である。必要な情報を集め、因果関係をとらえ、データを読み、それができない場合は妥当な推論方法でストーリーを考え、期待する結果が最大になるであろう選択肢を選ぶ。

しかし、どのような結果を評価するべきかはファクトもデータも妥当な推論も教えてくれない。自分の基準から考えるしかない。経済学も、心理学も、意思決定理論も、評価については教えない。道徳は評価の軸を用意するが、軸の選び方は教えない。

何を評価するか、要は何に価値があるとするか、これをキッシンジャーは「全てに優先する基準」と言ったのだろう。冷戦期のアメリカが、ひいては世界がどうあるべきかを自分で考えて実行してきた人間のこの言葉は重い。

僕は「全てに優先する基準」というほどのものではないが、常に自分の考えは持とうと思って生きている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?