文読む月日 1月5日
SEMENTOS Gt.Vo / NINE SPICES 店長の藤村です。
だいぶ暖かくなって来ました、春は好きなんですが、花粉症が大変激しいのでそればっかりは毎年悩まされてます。
過去最高の連続くしゃみ回数は20回です。
くしゃみしながらくしゃみするというちょっと何言ってるのかわからない現象と今春も付き合って行こうと思います。
というわけで鼻水垂らしながら今月もコラム書かせて頂きます。
前回紹介した「<責任>の生成」という本にて「中動態」という概念に出会い、今回はそれをフューチャーした國分功一郎さん著の「中動態の世界 -意思と責任の考古学-」という本を紹介したいと思います。
作中ではまず、副題にある「意思と責任」という概念が、能動態と受動態の対立、要は「する」と「される」の対立からなっているという説明から始まります。
言語の章では、中動態が言語として使われていた時代よりさらに遡り、言語の歴史からの仮説が書かれています。
中動態がいかにして生まれ、またいかにして使われなくなっていったのかについて、時代背景にも基づいた仮説がめちゃくちゃ面白いです。「出来事を描写する言語」から「行為者を確定する言語」へと変わっていく様とかめっちゃ面白い。
その後、様々な哲学者の論説や文学を元に中動態に当てはめて説明をしていきます。
言語についても哲学についても専門的な知識がないので読むのが難しかったですが、中動態という概念の証明をするための解説になっています。
そして、中動態の概念を使って自由について論じているところなんかは、読んでいて何だか晴れ晴れとした気持ちになれました。
自分自身、昔から「自由」という言葉にずっと悩んでいたと言いますか、自由に生きたいと思いつつも、では自由とは何か?ということに明確な答えもなく、漠然とそう思いながらも生きているわけなんですが、この本を読んで「自由」ということにも一歩近づけた気がします。
これまでなんとなく感覚的に気づいていたことと、言葉で説明出来るまで消化することって全然違うんだなと改めて思いました。これは色々な物事に言えることだと思いますし、そんなこと分かっとるわい!ってことも、改めて説明されて納得することってあるよなーと。まだうまく説明出来るとこまではいってませんが。
この本自体は依存症の方とか、精神病の方に勧めたりすることもあるみたいなんですが(実際に医者に勧められたっていう知り合いがいました)、著者である國分さんがどういう人に向けてこの本を書いたのかは分かりませんけど、音楽も同じというか、何か形に残して世の中に発信したときの影響って自分が思っているよりあるものなのかなと思いました。
そういうのって面白いですよね。
それが自分にとって相手にとって良い場合も悪い場合もあるかもしれませんが。
興味湧いたら読んでみて下さい。お勧めです。
来月はLOSTAGEの五味さんについての本「僕等はまだ美しい夢を見てる」を読みたいと思います。楽しみ。
ではまた来月、よろしくどうぞ。
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