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DieAter –197人の在り方を示せ–

摂食障害のドキュメンタリー映画を製作しています

詳しくはHPを見ていただきたいのですが、2018年より製作を行い4本の作品を制作しました。※作品によってはオンラインでご覧いただけます。

今回は第3弾、第4弾を制作するにあたって当事者の方にアンケート及びオンライン取材を行いました。

アンケートが197名。取材が約70名。実際に出演に至ったのは46名です。

なお出演に関しては意図的に選んだのではなく、こちらの都合や本人の意思など調整しながら至った結果です。可能な限り多くの方に出演頂きました。

そちらが「DieAter2.5 Raging」という作品なのですが、現在は公開に向けて準備中です。※オンラインでの公開になると思います。

その前日譚として、今回はアンケートで頂いた197名の自己紹介を公開させていただきます(掲載許可は頂いています)。

#0 始めに

※ご覧になる前に※

頂いたものを原文まま掲載ではなく、当方で加筆修正をしております。具体的な数字や、一部の表現についてです。

本文に出てくる内容は個人の見解や感想を含みます。予めご了承ください。また差別や偏見を助長する目的は一切ございません。個人や団体への攻撃の意図もございません。

疾患について、相談や疑問が生じた場合は、然るべき相談機関等にご連絡してみてください。本noteの最後に参考用のnoteを貼っておきます。

摂食障害は、現在でもはっきりした原因は不明です。専門家の間では、複合要因として研究が進められています。

よく「行き過ぎたダイエットの結果」として扱われることがあります。確かに、それはひとつのリスクファクターです。

しかし、そういう場合もあれば、そうではない場合もあります。それだけに目を向けるべき疾患ではありません。それだけに目が向きやすい疾患でもあるのですが。

同じように「親との関係」を示唆されることも多いですが、それもまたリスクファクターです。

そういう場合もあれば、そうではない場合もあります。

個々に違った背景があります。これは強く主張しておきたいことのひとつです。目を向けるべきは、その人の生きてきた軌跡そのものだと、日々感じています。

一方で、一度罹患してしまうと人間関係に影響を及ぼすことが多いのもまた事実です。

食という行為自体が、コミュニケーションの手段としても機能していることもあります。容姿に影響が出れば、風潮や偏見にも晒されてしまうでしょう。

こうした多岐に渡る問題を、孕んでいる疾患です。簡単では、ありません。

本noteを介して、当事者の在り方を、知っていただければ幸いです。


#1 拒食症になり低体重になりました
嘔吐がありました

今は嘔吐はしなくなり、克服中です。
24歳です。パーソナルトレーナーを休職しています。


#2 双極性障害Ⅱ型約7年
摂食障害11年 手帳持ち

今は自己表現の一環でシンガーソングライターをしつつ、週2でアルバイトしてます。大きな気分の波と連続して働けないが故の金欠、そして摂食障害と薬の副作用でMAX体重更新した事でダメージを受けてます。

時々母親が荒れてしまうので、顔色を読みながらの生活です。現在は「抑うつ状態時の過食、過食嘔吐」「食べ過ぎた時の普通食嘔吐」「体型への劣等感」が主な摂食障害の症状です。

気分と反比例する感じなので、気分のコントロールが効かない限りは食行動の改善は難しいと言われています。

食べ過ぎた時の普通食嘔吐は、体型への劣等感や膨満感が嫌なのが要因だと思いますが、そもそも食べる量を判断する能力が長期間の過食生活でわからなくなったんでしょう。

前述の通り、気分の波に振り回されるので、ダイエットの努力をしても一気に戻されて意欲がなくなります

どちらの疾患も改善されるまで物凄く時間がかかり、先が見えないので、絶望を味わう事が多いですが、主治医の処方や診療での真摯さに救われて何とかやれています。

今は自分自身の能力が一番発揮される職に就く為、治療を頑張ろうと言う気にもなってます。出来ない時は出来ないなりに自分自身を成長させる何かをする事にしました(資格の勉強など)。

最後に摂食障害や双極性障害になって良かったかと訊かれたら...間違いなくならんほうがよかったって思います。病気になんかならなくても、努力はしただろうし、病気にならなかったらより可能性が広がってたと思うので。

相当色々失ってるし。けど、今更そんなこと言ってもなので正当化はせずに役立てる方法を考える事にします。


#3 大学3年の時に行き過ぎた
ダイエットから摂食障害になりました

現在では大量の下剤を服用しないと自力で排出行為が出来ないまでに悪化しました。摂食障害の他に醜形恐怖症とまでは行きませんが、外見に対してのコンプレックスが酷いです。

気分がどん底の時は外を歩くだけで、何故自分だけこんな醜くて汚くて他の女の子みたいに可愛くないんだろうと、ぐるぐる考えながら泣きながら歩いています。傍から見たら不審者です。

摂食障害と見た目へのコンプレックスを拗らせてから拘りが強くなり、一時期自分の決めた時間、メニュー以外の食事や食事の時間は一切悪と考え、周りとの関係が更に悪くなりました。

今ではその拘りが薄れたので、体型や見た目以外の人との時間や食事をそこそこ楽しめるようにはなりました。

しかし現在進行形で摂食障害は続いているしむしろ悪化しています。むちゃ食いや過食が多くなりました。

凄く凄く痩せたいのに食べる自分が本気で本気で本気で嫌いです。はやく人生終わらせてしまいたい、とさえ思います。

でも摂食障害や醜形恐怖を手放した私は私じゃない気がして、結局何かしらの特別になりたいのかずるずる依存しています。

治す気も治る気もないです。

いつか多分身体を壊して命を失うか、太って今以上に醜くて、不細工になる自分に耐えられなくて、自らその選択をするかの、どちらかだと思っています。


#4 大学に入学した年の夏前
摂食障害を発症しました

1ヶ月ほどは拒食ですごし、夏休みにはいって家に1人の時間が増えると、すぐに過食嘔吐に移りました。1年生の夏休みはほぼ毎日過食嘔吐を1日に何度もする生活で終わりました。

そこから今までの約3年半、ずっと過食症の過食嘔吐です。

2年生になってから家をでて下宿を始め、最初は順調でしたが、秋ごろにはまた過食嘔吐と抑うつとリストカットがひどくなり、同時期にODをしてしまい、実家に戻りました。

それからは過食嘔吐や気分の波はありつつも、なんとか大学生活を過ごしています。


#5 摂食障害や鬱を紛らわしたいために
始めた陶芸に救われ…

今は病状関係なく楽しみや挑みに陶芸をしています

表現欲や繋がりで楽しみを思い出して‥食に関してはルールはあれど生きやすく。

健常な方よりは薬を使うし、完全に症状は消えていなくても、生きることを楽しめてる自分に、克服かなってかんじたりもしてます。


#6 中1の時にプレッシャーから
拒食症になり不登校に

当人(私)より周りが大慌てで入院やカウンセリングを繰り返すものの本人にその気がないのであまり良くならず。

段々治したくなってきたのは結局、ずっと不登校のまま中学を卒業してからのこと。高校も通信に行きつつオルトレキシア(選択的摂食障害)状態で低体重とこだわりによるパニックをキープし、孤独なまま。

なんとか勉強して専門学校に行き、地元を離れ一時的に元気になるも、孤独は解消されず、就活間際に非嘔吐過食に転じまともに就活出来ないまま実家に戻る。

就職するも過食衝動は収まらず、出勤前の過食によるグロッキーさを紛らわすために吐くことを覚える。効率化を求めチューブへ。

やがて仕事先のトイレで食べ吐きしたり、抑制が効かなくなり、結局半年で退職。友人の伝手で夜職へ。毎日吐いてから出勤。

この時点でかなり過食嘔吐が形式化。一種の儀式。一人のお客との出会いで現職につき再び地元を離れる。環境の変化により一時好転するものの、再び過食嘔吐地獄へ。

それから色々あって、自分は痩せへのこだわりでは無く、元はAC(アダルトチルドレン)や発達障害グレー、それによる二次障害としての摂食障害やその他の症状であることを知る。

相変わらず孤独なまま、克服も現状では難しいと思いつつ、行動することが難しいまま今に至る。


#7 徐々に減っていく数字に嬉しくなり
「もっと」と減らしていきました

私は最初は拒食症でした。きっかけはよくあるダイエットです。元々心療内科にかかっていたので、主治医に気付かれ診断されました。

高校1年の時に診断が下され、治療途中で過食になりました。

非嘔吐だったり過食嘔吐だったり下剤乱用やチューイングもやりました。現在も過食症です。


#8 自己犠牲的で過食は過食しなきゃと
思ってやってしまいます

それをきっかけに色々調べてて、自分が過食性障害だと知りました。私はなんでも気が済むまでやらないとダメなタイプみたいです。

元はアルコール依存症です。アルコールの場合は必ず泥酔するまで、過食もお腹いっぱいになるまで。

したくないのに。ホントは。

明日からはやめようといつも思ってますがやめられず。

アルコールは今は止まってますが、アルコールを飲んでる時はホント酷かったです。飲み屋に一人で行って、帰りにチェーン店に寄って食べて、コンビニに寄って帰って過食して。

もう嫌で、酔っ払ってコンビニで買った時はレジで店員に「■して下さい」って毎回言いたいと思ってました。

でも出来なかった。


#9 朝起きてゴミ箱に食べた記憶のないゴミが
溢れていることもしばしばでした

数年前、ダイエットに成功したことがきっかけでした。

一人の時は節制、他人と食事の時は好きなものを食べる!というルールでやっていくうちに好きなもの解禁日の食べる勢いがすごくなり、お酒を飲んだ後は特にひどくなります。

そのうち、抗い難い食欲にまけ、家中の食べ物を漁って食べ尽くす頻度も増えました。

鏡に映る自分を見つめながらひたすらにお菓子を食べ続けたり、無味のシリアルをそのまま一袋食べ尽くしたとき、自分がおかしくなっているのかもしれないと気付きました。

その頃には他人と食事することも苦痛でした。

食べている姿は醜いからみられたくない。
自分の中で許せる食べ物しか口にしたくない。
痩せていない自分には価値がないから、もっと痩せないと、なのに食べてしまう。
今日はむくみがひどいから人に会う予定もキャンセルしよう。

このような思考で頭がいっぱいでした。

流石に自分でもおかしい、このままじゃダメだと思い、心療内科に行き、大きなストレスだった仕事も辞めました。

その後しばらく無職でゆっくりし、無理して人に会わず、やりたいことを気ままにやって、食べたいと思うものを自由に食べて、という生活を続けていたら、そろそろ働こうかな、と思った頃にはリバウンドもしていましたが、食事を楽しめるように戻っていました。

また、理想の目標体重に到達したとき、自分の思い描いてた体型にはならないと気づいたことや、痩身のときよりも体重が増えたときの方が、体がきれいに見えることに気づけたことも、強迫観念から解放されるきっかけだったかもしれません。

今でも精神的に負荷がかかると食に逃げる事はありますが、前ほど自分を追い詰めることはなくなりました。

きっとこんな思いをして苦しんでいる人たちもいっぱいいるのかなと思い、今回協力させていただいた次第です。


#10 医療機関で診断を受けたわけではないので
摂食障害ではないかもしれません

高校生で拒食傾向があり、炭水化物や肉・油は一切口にしてはならないなどのマイルールがあり、食べる量も日々厳しくコントロールしていました。時期によってはかなり低体重でした。

骨が当たって痛くて寝られず、授業中も長時間椅子に座ることが苦痛でした。大学生になると今度は過食が始まり深夜にお菓子を大量に一気に食べるなどした結果、体重は増加しました。

社会人になったら過食嘔吐するようになり、指吐きをしていましたが腹筋吐きを習得。

あれだけ食べてはならなかった肉やマヨネーズ、お米が怖くなくなったので、いくらでも詰めては吐きました。

が、吐ききれなかったときは恐怖や不安でいっぱい。やっぱり体重は落としたいです。


#11 中学生から約8年間摂食障害です

拒食症、チューイング、過食症、非嘔吐過食症、過食嘔吐を経験してきています。


#12 周りから心配されましたが
痩せていくのが楽しくなっていました

大学入学と同時に極端な節約生活を始め1ヶ月で大きく体重減少しました。

ある日スーパーで買い物をしていたら、店内を歩くだけで疲れてフラフラになってしまい、痩せすぎてはいけないのだと気づき、アイスをいくつか買って店の外のベンチで貪り食いました。今思えば異常な行動だと思います。


#13 「だれかみつけてつかまえてほしい」
「絶対みつからないでほしい」
という相反した気持ちだった

18の反抗期真っ只中の頃、摂食障害をテレビでみた。

食べたら吐けば太らないんだ!画期的、やってみたい!」と思って実践してみたものの、できなかった。

私は三人姉弟の真ん中。姉は長女だからチヤホヤ、弟は長男だからチヤホヤ、私は「良い子」にしていた。

成績優秀、学級委員タイプ。17歳くらいから、長い反抗期が始まりました。普通に彼氏もいたし、俗に言うぽっちゃり体重だけどクビレもあり、肥満として扱われたこともない。がっしりしてグラマラスタイプ。

でも痩せたかった。

良い体格だねー!(褒め言葉のように)」ではなく、華奢と言われてみたい。それだけ。

異性にはモテた。というか、好きと言われたら好きになってしまう。というか、この人は私のこと好きになってくれるなと思うとアプローチしてしまう。自分に自信があるのかないのかわからない。

性の目覚めは小学校高学年。初体験は高1。公園の多目的公衆トイレや非常階段で行為ができるほど、性に対する認識が奔放で無知だった。

医療系専門学校に進学し、勉学が忙しくてバイトどころではなかった。お金はないので寮生活。入学半年くらいしてから、テレビでまた摂食障害を見て、練習して吐き方を覚えた。

個人の部屋でビニール袋張ったボウルに吐いて、学校みたいな共用トイレにコソッと持っていって流した。だんだん頻度がひどくなり、食べると吐きたくなるスイッチも閾値が下がっていった。

仕送りのみなので、金欠の日々。寮の会計係をしていたので、エクセルの表を改ざんしてみんなのお金にも手をつけた。それでは足りず、時間もなく、安易にいきなり風俗の扉を叩いた。

ネットのそれほど普及していない時代で本当によかった。2日だけ働いた。六人くらいお客さんとったと思う。本番はナシなのに「◯◯ちゃん本当に可愛いから、お金払うから本番やらせてよ」と言われた。

可愛い、に気を良くして、そして1ヶ月分の仕送り額が目の前にちらついて、承諾してしまった。

結果的にはお客さんが元気なくなって、やらずにすんだ。けどお金はもらえた。

給料も当日もらえたので2日の数時間で大金が手に入ってしまった。全然嬉しくなかった。ものすごくむなしくなって、このお金で後に残るものは買いたくないと思って、結局食べて吐いた。

どうせ吐くのに、なんでお金払わないといけないのと思って、万引きしたこともある。以前はスーパーのセルフレジも緩かった。だんだんエスカレートして、洋服やアクセサリーを試着のまま盗んだこともある。

摂食障害の人が万引きをすることを肯定しようとは全く思わないけど、当時は常に終わらせることを考えていたから、常識とか良識とかまで頭が考える余力が残っていなかったのかもしれない。

就職1年目はパワハラに遭い、気力も体力もボロボロ。3時間立ちっぱなしで罵られ、物を投げられることもあった。

今日は吐かずに家で勉強しようと決めると即睡魔がきて玄関で寝てることもあった。体力も気力も限界だったけど、事故も起こさず生きていた。噛みすぎて顎は膨れ、唾液腺は腫れ、全身はむくんでた。

母校に相談することができて2年目に異動できたけど、そこから半年で「仕事やめてワーホリに行きたい」と準備金もないのにノープランで親に話し、反対されたら「今までお世話になりましたさようなら」と家を出ようとして暴れて、これはおかしいぞ、となって親に精神科に連れていかれた。

数回の通院を経てようやく自分が病気なんだと気づき、休む決心ができて、病気休暇をとった。でも親には会いたくなくて、実家によりつかず電話もとらず、当時の彼氏の家に転がり込んだ。

彼が仕事の間に吐きまくる毎日。この彼氏といても休まらないと気がついた。仕事復帰と同じくらいに次の彼氏(依存先)を探し始めた。

担当医には「どう?」と聞かれると良い報告しかできず、「ちょっと前はダメだったけど、ここ数日調子良いです」みたいな報告の繰り返し。私、先生のこと好きかもしれないです!と言ったこともある。

ストーカー化した彼氏と別れることができ、次の彼氏(今の夫)をみつけて、私の状態を話すと即結婚の話になり、専業主婦としてしばらく何も考えずゆっくりしたら、と言ってもらえた。

結婚して、犬と一緒にほんとうにゆっくりした。ごはんがなくても、朝起きなくても、夜は酒をガバガバ飲んでも、掃除が行き届いてなくても、浪費しても、全く怒られたことがない。

専業主婦なのに、今考えるとひどい有様でだった。気分の浮き沈みが少なくなったし嘔吐回数も減り、通院は勝手にやめた。

一番変わったのが実家との関係。高校卒業以来寄り付かなかったけど、穏やかな夫と一緒だと、結婚してから両親とまともに話せるようになった。

子どもを妊娠するまでは過食嘔吐がまだあったものの、妊娠してひどい悪阻を乗り越えたら、この子の栄養のために食べなければという意識に変わった。

そして出産のとき、難産で、10Lもの大量出血をして、大量輸血しても意識なくなるくらい大変な思いをした。

激痛&命の危機を乗り越え、不妊治療で授かった我が子の顔をみていると、吐いてメソメソしている状況に戻っている場合じゃないと、体の芯から思った。

2年後には2人目も生まれて、今はとても良い関係です。

今は夫にも子どもにも食べ物にも執着せず、ほどよく肩の力を抜くことができています。自分のペースでできる仕事をしたり、家事をしっかりやったり、ママ友と適度な関係を作れたり、幸せな日々です。

結婚してもうすぐ10年。歴代の彼氏は1年以上続くことは皆無だったけれど、夫のことは結婚当初より今の方が好きです。

過去にネットが普及していなくてよかったと思いつつ、今普及していてよかったと思います。墓場までもっていくつもりの秘密を綴りました。

私のドロドロの20代前半です。二度と戻りたくありません。


#14 沢山食べて、食べたあとは
吐いてしまおう、という考えになってる

高校生のダイエットから拒食症に。通信制に転校、高校卒業して専門学生に。ここで体重が元に戻る。

拒食時代はほぼオルトレキシアみたいな感じ。野菜に含まれる糖質さえ食べられなかった。又、空腹時に食べるものは野菜かGI値が低いものしか食べれなかった。これは今も。

今は夜ご飯のときだけ過食程じゃないけど、食べ過ぎたら吐いてしまえばいいと思ってしまいます。


#15 自分の意思とは真逆の事をしてしまう

摂食障害4年目、20歳。

発症したのは高校の時、正直今思うと痩せる必要などない体重でした。しかし、スポーツをやっていた私は筋肉で太っているなど言われ思春期ということもあり、太っていると思い込んでしまってダイエットを始めます。

初めはまともにダイエットしていたのですが、やっていくうちに歯止めがきなくなり、全く食べなくなり、だんだんと身体がおかしくなっていきました。

当然栄養不足でスポーツをできる身体でももうありませんでした。なんならベットから一人で起き上がるのがやっとでした。次第に学校に行ける身体でもなくなり、家で寝たきりの生活を送り、母に毎日生存確認をされてました。

生きてるか否かも分からない自分が怖くなり、入院しました。

歩く事もできず、その時は低体重、医師にも命の危険があると言われ、病院を移るようにもいわれました。移りたくなかったので相談したところ、24時間の介護と食べることと、心電図をつけることを条件に、なんとかその病院に入院してました。

その時の私は、人間不信で携帯の連絡先など全て消し、電源もオフにしてました。学校では亡くなったという噂が流れていたそうです。

それからいきなり過食症になりました。前触れもなく、食べたいという言葉で頭が埋まりました。

朝から寝るまでずっと好きなものを食べるという生活、体重も増えて退院しましたが、ここから地獄でした。

醜くなる自分、毎日こんな生活と見た目なら、生きていたくないと思っていました。拒食症から過食症になって、低体重は数倍になりました。

絶望でひきこもりニート入退院を繰り返す日々、高校も通信に変えてどうにか自分を変えたいと思い、周りからは社会復帰など無理と言われ反対されましたが、専門学校に行くことにしました。

ちょうど感染症の影響で入学が遅れたのでなんとなくダイエットをして体重を落としました。

しかしいろんなストレスでまた過食に、下剤乱用などで精神的にもおかしくなり、学校を今は休学してます。


#16 非嘔吐拒食で3年程前に発症し低体重に

どうにか自力で少し戻すことができたのですが、現在また落としてしまい、克服している途中です。


#17 高校時代に受けたいじめで
自律神経失調症になりました

胃の不調から始まり食べられなくなり痩せました。

大学に入るとみんなに綺麗になったと褒められました。自分に自信がつき、毎日楽しかったです。大学の夏休み、安心したのか急に食欲が湧き、沢山食べて体重が増加しました。

そこから初めてダイエットをしました。何故か太った自分が恥ずかしくて出不精になりました。そこから夏になると痩せて、冬に過食して、引きこもりなる生活を10年ほどしました。

太るともう全ての事をやる気がなくなります。でもストレスが溜まるので隠れて過食しました。

過食は主に外でカフェはしごか、コンビニ買いに行くか、家で家族のいない時にしてました。

食べるものはパンが主に。あとは甘いもの、スナック菓子など。吐いたことはありません。過食と拒食の繰り返しです。


#18 中学、高校は常に痩せている
女の子の体型を羨んで

現在30歳、都内で働く看護師です。

私が小さい頃から、姉が周りに体型のことを指摘されているという環境にいました。

元々私は姉よりも細かったのですが、思春期になり徐々に太り、姉と同様、家族や親戚から体型を指摘されるようになりました。

指摘というより、コミュニケーションの延長、単なる「からかい」だったと今では思えるのですが、それにより私は小学校高学年から、自分が太っていることについて悩むようになりました。

当時、女の子向けの漫画雑誌やテレビで、自分と同じ身長なのに、かけ離れた体重の女の子が並んでいました。

小学生の時に、私の地元の県と、他県の交流会があり、数人他県の小学生が私の学校にやってきたのですが、その時も、顔が可愛くて細い女子ばかりの生徒が群がっていました。

他のポッチャリとした女子生徒達はみむきもされず、話しかけられたりもしていませんでした。

このことがあまりにも自分には衝撃で、きっと私が他県にいったら、この扱いを受けるんだと、怖くなったことを鮮明に覚えています。

どうしたらあんな風になれるのか、手当たり次第ダイエットを繰り返しました。

しかし思春期もあってほとんど痩せることはできませんでしたが、そのあたりからカロリーに取り憑かれる人生が始まりました。周りより常に気にしているのに、なかなか痩せないことにフラストレーションが溜まっていきました。

そんな私が大学進学を期に、極端なカロリー制限で痩せることができました。これで私は、食べなければ痩せるんだ、食べるから太るんだ、という誤った成功体験を得ました。

そして20歳になり初めてお酒に酔い、何度か吐いたことがきっかけで過食嘔吐が始まりました。

吐けば太らないじゃないか、そんな考えから太りそうなものを食べた時は吐くようになりました。はじめは、食べすぎたら吐く、という程度のものでした。

当時の私はグループの女の子たちから容姿のことでお笑いキャラとして扱われ、嫌われたくないこともあり自らそのキャラに甘んじていました。

ですが徐々にそのストレスは大きくなり、自然と食べる量が増えていきました。けど吐けばいいんだからと、無敵の技を体得した気分でした。

一人暮らしから久しぶりに帰るときの母親の第一声がいつも「あら、全然痩せてないじゃない」だったのも、痩せ思考に拍車をかけていました。

徐々に、食べたから吐く、というよりも、吐くために食べるようになりました。

大学の授業が終わると、一人になれる場所を探しては、その場所でモリモリと菓子パンを何個もたべ、時にはトイレで食べながらすぐに吐きました。

人の気配がするたびにドキドキしながらも、食べている時の安心感と幸福感、そして吐いた後のなんとも言えない達成感は病みつきになりました。

友達と行ったご飯も、飲み会も、その場で食べて、みんなが気がつかないときにさらっとトイレに行きそっと吐く、母の作ったご飯ですらそうしていました。

当時は自分が摂食障害だという自覚はありませんでした。

自分の異常さに気がついたのは、それから数年後です。就職しストレスから、それまで1日1回だった過食嘔吐が徐々に悪化し回数が増えていきました。

朝早くから起きて詰め込んで吐き、短い昼休憩でも詰め込んでトイレに篭り、家に帰る道すがらコンビニ数軒に立ち寄り歩きながら食べ続け、家に着いたら吐く。

こんな生活を続け、時に拒食を繰り返し、そこまで太っているわけではありませんが、やはりメディアの影響もあり、今も自分を醜い体型だと思う気持ちは変わりません。

過食嘔吐を始めてから10年になりました。一番後悔してるのは、歯がぼろぼろになってしまったことです。

また金銭的にも月に相当な額がかかりますし、普通の人より稼いでいる私ですが、それでも貯金がほとんどありません。

何度も辞めたいと思いますし、泣きながら吐いていることも何度もあります。

恋人と同棲していたころは、数日おきにネットカフェに行ってまで過食嘔吐をしていました。

今も毎日、辞めたい思いと闘ってはいますが、やめることができていません。

専門のクリニックを探したこともあります。ですが、あまりに高価で、ただでさえ食費にお金がかかるのにと、受診することはありませんでした。


#19 父親の家に預けられストレスで摂食を発症

その後、強制わいせつで悪化。


#20 孤独と不安がますばかりですが
何も変えられずただ痩せることしかできません

私は19歳で摂食障害拒食過食嘔吐になりました。

双極性障害、乖離性同一性障害、PTSD、自傷等精神疾患もあります。発病してから今日までずっと低体重で生きてます。

入院も六回しましたが退院しても同じ状態に戻ってしまいます。私が摂食障害を発病した原因は家庭環境親子関係の不和です。

診断は19歳ですが今思えば食行動の異常は幼少期からありました。私は親の強制で現役で看護学大学に進学しましたが、摂食障害が悪化し留年そして退学となりました。

その後は入院と自宅療養を繰り返しています。自宅療養と言っても家事介護等、働いてはいないものの、一日中活動して生活してきました。

発病してから毎日過食嘔吐をします。酷いときは1日数時間続けてやることも珍しくありません。

六回目の入院を機に精神科に繋がり長期隔離入院をしました。(過去の入院は内科入院)その際に他の精神疾患の診断がつき病理はより深刻になりました。

退学したあと、人生初のアルバイトをしましたが半年と続かず今はまた引きこもりの生活をしています。

私は大学中退してから社会的帰属がないまま生活してきました。

痩せても意味がないと、とっくに理解しているけど、過去に囚われ現実に絶望し未来が見えず、出口の見えないトンネルを歩んでいます。

摂食障害は命に関わる行動が多いです。そもそも、生きていく事に必要不可欠な食に障害がおきるなんて、生きることを放棄するのと同じだと思います。

命を落としかねない自傷行為を、毎日毎日しています。

私は一日中生きた罪悪感。やり切れないもどかしさを抱いて、毎日生きています。

最近思うのは、摂食障害の方は命を落としたいほど苦しい問題を抱えて、命を削る食行動を毎日繰り返し、心の防衛をしています。

「■にたいほど生きたい」

それが摂食障害の本質なのではないかと私は思います。生き抜く為の行動が命に関わるほど、とても危険で深刻な障害です。

私も、■にたいほど生きたいから、摂食障害と毎日向き合っています。


#21 「細いね」「ちゃんと食べてる?」
と聞かれたときの優越感

わたしは昔から痩せていることだけが唯一の取り柄でした。学年で一番と言っても過言ではない痩せ型体型でした。

体重が軽い人から場所を決める組体操では一番上が当たり前。先生が冷房をつけると「寒くない?」とクラスのみんなの前でわたしに聞き、それが決定権でした。

そんな生活の中で気づいたら「痩せ」がアイデンティティになってました。

それと同時に「わたしは太っちゃいけないんだ」「痩せてなきゃ」と思いながら生きてました。

小学6年生の時にある事件がきっかけで、急性ストレス性障害、自律神経失調症などを患い、大学病院への通院が始まりました。

わたしが主治医から直接「摂食障害」ですと宣告されたのは中3の入院する前。今年、障害年金受給のため過去の診断書を読み返したら、小6の時にすでに摂食障害を患っていることがわかりました。

病気の意識がなく気づいたら摂食でした。人生の半分摂食と生きてると夢も希望もないです。

20歳までに終わらせると決めて生きてきたのに、もう24歳になっちゃうんです。

太ってると外に出れないので、誰にも会えない引きこもり生活を4年近く送ってます。


#22 16歳の時彼氏が欲しいって理由で
ダイエットをして

頑張って大きく体重を落としたら精神科連れてかれて、拒食って診断でした。

17.18で彼氏ができ、その人と別れてから過食が本格化しました。

ダイエット中に栄養について学んだのが楽しくて、栄養士の学校に行ってます。


#23 食べたものを吐くことであたかも
溜まってたストレスが外に出る感覚でした

今回の映画に出させてもらいました。

摂食障害に悩む方々がこんなにもおられることを知りました。

私の摂食障害の扉が開いたのは中学一年生、モデル体型の友達からの一言でした。身体について酷い揶揄を受けました。

自分の容姿に自信のなかった私は痩せることで、少しでも認めてもらえるのかと思い、ダイエットがはじまりました。

食べるものは一つだけ、あとは何も食べない。とても過酷でしたが、痩せていくと足が綺麗、可愛くなったと言われ、「やっぱり痩せてる方がいいんだ」ってインプットされました。

でも、そんな姿を母親からは罵られ。

この頃はほんの数mgでも、体重が増えると発狂して泣いてました。

今思えば、とても考えられないくらいですが、自分でもわからないくらい体重というものに、囚われていました。痩せてないと価値がないくらいに思ってたのかもしれません。

その後はリバウンドで過食になり体重がもどりました。それからはあんまり何も気にせずに生きていました。あれは何だったんだろうくらい忘れ去られていました。

専門学校に入ると、様々な対人関係がギクシャクしており、ストレスにより食べる、食べないという差ができてしまい、狂ったように食べる時期と、何にも受け付けない時期とを繰り返し。

過度な体重の増減を繰り返しをしていました。そんな時、本当にしんどくなって、ストレスがふりかかると気持ちが悪くなって吐く癖がつきました。

食べてなくても食べてても吐くという癖がついたのはこの時期です。

そんな時期もまた暫くは落ち着いて、就職し、仕事がハードになっていくたび、また過食するようになりました。

ハードすぎて食べたら気持ち悪くなって吐くというサイクルができたのはこの辺りです。そうでもしないと働けない。

自分のストレスはどこに吐き出せばいいのかわからなくなっていました。この頃、うつ病を発症しました。恋人はいました。後の旦那です。

でも、何かが満たされなかった。自分の生きてる価値がわからなかった。

満たされないものは食べ物を狂ったように1日中過食して嘔吐することで、代償していたように思います。

吐き出すことでなんだかすごく安心したり、痩せてる自分をみて、すごく安心したりしてました。

外を歩くと、皆が振り返ってる気がして。なんだか自分の存在価値をそこに見出してたような、気がします。

過食嘔吐とは何年も共存していて、ここ1-2年は殆ど衝動が起こらなくなりました。

たまに、食べてなんだかソワソワして吐くということはあるけれど、今はストレス過多になると食べない、という方向になってきてたような印象です。

食べなくなってきた胃は、小さくなりすぐにお腹がしんどくなり…

前みたいに狂ったように食べ物をつめこめず、それに対してなんで詰め込めないのかな?これじゃ、ストレスが外に吐き出せないよと思ったりしています。

その吐き出しができなくなり、その後はアルコールで逃げたり、薬を多めに飲んだり、自分を傷つけたりして、別の方法を見つけてる感じになってます。

今は自分の中ではすごく太ってしまって、どうしたもんだかよくわからずです。


#24 両親には辛い状態であることを
相談したけれど、わかって貰えませんでした

現在高校3年生です。

小学2年生の頃に母から勧められて始めた新体操をきっかけに、小学6年生の頃拒食症になりました。

それから中学2年生の半ばまでその状態を引きずり、後半からはとあることをきっかけに非嘔吐過食へ移行しました。

それまで勉強も運動も食事管理もできている自分が大好きで最高で生きてていいと思っていたのですが、その全てができなくなってしまい本気で命を断とうとしました。

自傷行為を繰り返し、命に関わるほどにエスカレートしていきました。嘔吐もずっと習得したくて方法を調べまくって、チューブのことも既に知っていました。

この時点で試してみたが、出来なくて諦めた。だからぶくぶく太る。

それでも、当時の中学の担任の先生に恵まれて高校へ進学。やっぱり踊ることが好きだったのでダンス部目当てで選んだ私立高校。

しかし、私が入部して少しして、練習をサボり話し始める先輩たち。とてもワガママな指導者。

やる気をなくして辞めてしまいました。

その途端高校に行く理由がなくなってしまいました。

勉強は、太っている私にとって何故かほんとに嫌なものでしかなくて、どうせできないやりたくない。しなくちゃいけないなら人生を終わらせてやる、と思っていました。

この時また辛さがピークになって親に相談。だが、わかって貰えず。

そして、高校2年の夏にチューブに手を出してしまいました。それからは毎日夜、親に隠れて吐き続けました。

冬になって、体重が大きく落ちた所で夜寝れなくなりました。終わりがなくなって学校から帰ったあと、夜通し行われる長時間に及ぶ過食嘔吐。

ちなみにお金は校則違反でやっていたバイト代から出していましたが、土日祝日長期休みしか出勤できないため、常に足りなくなる恐怖。

いつか万引きする気しかしなかったです。いい加減やばいと思って高校の担任に相談。

両親にも話すべきだと言われ、担任の先生も含め、一緒に話しました。この時、初めて両親はしっかりと私と向き合ってくれたと思います。

世間では感染症が騒がれる期間、私は精神科閉鎖病棟に入院しました。

それから、摂食障害専門のメンタルクリニックにて対人関係療法を受け、無事終了しました。

現在は推薦で大学受験を終えたのだが、本当に行きたい大学では無いので浪人しようか検討中の冒険家です。


#25 過食嘔吐1日数回

体重は普通(やや細いくらい)


#26 私を苦しめてきた摂食障害
でも私を救ってくれたのも、摂食障害でした

嘔吐恐怖症。過食と拒食を繰り返し。食べ物も強いこだわりで偏食。

中2で十二指腸潰瘍になって、食べられなくなって、痩せて、今思えばそこが摂食障害の入り口でした。

チューイングもしました。柔らかい食べ物でさえ飲み込む事が出来ませんでした。生理が止まりました。足が腕の様な細さになりました。

排便が自力で出来なくなってて、手で出すような感じでした。こんな状態でも相談できる人は居ませんでした。

言えなかったし、こんな状態でも、病気だとは思っていなかったです。

当時、中学校は荒れていて、私が通っていたクラスは学級崩壊しました。

保健室に何度も行っていましたが、あまり相手にはしてくれず、誰にも言えませんでした。

あの時から何年、何十年経っても、未だに普通には食べられません。

過食期には下剤も使ったり、過食を止めるためにリスカとか。この病気の怖いところは入り口はあっても、出口がないところです。

進めど進めど、そこに拡がるのは闇です。依存症もありました。小学3年生で有機溶剤吸ってるような子供でした。

人生を終わらせたいという思いは、常にあります。

でも、摂食障害になったお陰で、生きて来られました。私を苦しめてきた摂食障害。でも、私を救ってくれたのも、摂食障害でした。


#27 まず自分は治す気がないのかなと思います

中学2年のときに普通食嘔吐から始まって、今は過食嘔吐です。

中高大と寮生活なので自分が摂食だということは親にはまだ知られていません。友達も伝えていません。

時々拒食期があります。治したいけど治らない。そんな状態です。


#28 いつも太ってて普通になりたかった

食べて吐くダイエットをしていたら拒食症になって、3ヶ月で大きく体重減少した。

でも、幸せは一変、過食症で吐けなくなって体重が大きく増加し、地獄をみて、毎日消えたいの連続。

今も、痩せたい気持ちは消えない。

親が入院しているから、誰も私をいじめてくれない。セルフネグレクトで今、食べれるのはゼリーだけ。

今日でも明日でもお願いだから終わらせてって、神様に毎日お願いしてる。そんな生活です。


#29 人と比較して自分が見た
"小さい世界"でしか生きていなかった

中3から摂食障害。高校〜大学1年は拒食。大学1年の夏に一人暮らしを始め、過食嘔吐。

孤独と、急に抑えきれなくなった食欲の恐怖から看護師の長女の家に居候。お金を使う事に異常な恐怖もあり、万引きに走る。

長女の精神が耐えきれず、次女の家に居候。万引きで捕まり、入院。

退院後はデイや訪問看護を活用しながら一人暮らしを再開、仕事を始めるも体重が減少して退職。

いまは、ようやく自分と向き合えるようになりました。

小さい頃から自分が嫌いだったこと。
常に出来てる人が正解と思い続けてきたこと。
いつも周りの評価を気にしていたこと。

まだ症状は残ってるし、辛いことばっかだけど、以前より成長したと思います。

ある輸入食品を多く取り扱うお店で働いて、幼少期から大好きだった""に携われて、楽しいです。


#30 宇宙のみなさま、はじめまして!

9カ国語話せて歌って踊れる無職、早稲田大学卒のアーティストです!

アメリカでダンスしてゾンビになる

夢を叶えるため、現在、摂食障害と闘ってます。

体験談ものすごく長くなるのですが、、、かいつまんで話すと、、

生誕時から、日本にいて生きづらさを感じていました。(変わってる、頭おかしい、とよく言われる)大学二年生の時にアメリカに留学し、私のトンチンカンなファッションや、考え方、語彙、メイクを褒めてもらい、アメリカが大好きになりました。

アメリカだと、自分の好きな自分になれる、自分らしくいられる!!アメリカに住みたい!!

と思った就活生のわたしは、アメリカでの就職を目指すも、現実は厳しく、、、

日本企業に就職するも、アメリカとは真逆の、「みんなにあわせなさい」という会社の文化、苦手な職種に就いてしまいやりがいを感じず「何をしているんだろう、私は早くアメリカに行きたいのに、、なんでこんな、やりたくないことをずっとやっているの?」と、人生のやりがいを無くして、日々虚無感に襲われます。

そんな折、大好きなダンスの練習をするついでにダイエットを始めると、周りのみんなが沢山褒めてくれて、自分が段々とダイエットに「生きがい」を見出すようになってしまいました。

見る見るうちに痩せて、半年で大きく体重減少して拒食症となりました。

周りの摂食障害に対する理解のなさや誤解から、拒食症は酷くなり、徐脈で命を失いかけたので、ドクターストップがかかり、半年の休職を経て結局、会社を辞めました。

現在は、摂食障害の認知がもっと正しく広まってほしい、他の摂食障害の子がもっと生きやすい世界になったらいいなぁ、という気持ちから、SNSで摂食障害について発信したりしています!

先日はファンミーティングを開き、摂食障害の当事者の方と、摂食障害について、生きづらさについての対談など行いました!

摂食障害の大きな原因となった会社をやめたら、すごく上手くいくと思ったのに、、、「人生のやりがい」はそうそう簡単に見つからず。

摂食障害の原因は、もっと深いところに、複雑に入り込んでいるんだと知り、これから摂食障害についての付き合い方を模索中です。

今度は痩せの反動で、今は過食症になり人生最大の体重を記録してしまいました、、

今はこんな感じです!!


#31 仕事をやめたら自分の存在価値を
見い出せる場所がなくなった

大学生の頃チューブ吐きを覚え時々吐くようになった。卒業後、障害者の施設で正社員として働きはじめるが鬱が酷くなり、夏に退職。

仕事でやるべきことをやり、そこにいていいという感覚を得ていたため、退職と同時に無価値観を覚え、自己否定が強くなったことや時間ができたことから毎日嘔吐するようになった。

それから2ヶ月程して友人と住むようになり嘔吐はなくなった。過食も比較的落ち着いていたような気がする。

3か月程して実家に戻ると過食は増え、次第に嘔吐するようになった。

嘔吐の頻度は少しずつ増え、感染症の流行により宣言が発令されパートが休みになると、また毎日嘔吐するようになった。それから症状は主に過食嘔吐となった。

現在は、私にとって吐くことは辛く、金銭的にも時間的にも過食嘔吐は無駄でやめたいと思うが、過食欲に負けて食べてしまう。そうすると吐かずにはいられなくなる。

多い日は1日複数回してしまう。


#32 統合失調感情障害と宣言されはや20年

精神科で治療続けるが、寛解、悪化を繰り返す。そうとうつが、激しく、入退院の繰り返し。

そんなとき、産婦人科にお世話になる事あり、受診する。そこからが、究極のドラマの始まりだった!


#33 ストレスによる非嘔吐過食からの
非嘔吐過食と制限型の拒食を繰り返し

非嘔吐過食に戻って、現在は過食嘔吐(治そうという意思はある)摂食障害歴2年3ヶ月の女です。


#34 大学一年生から過食嘔吐になり
体型のことと食事のことのバランスが
考えられなくなっていました

かぞくや友人が、何かを一生懸命頑張ってる姿を見て最近は克服できてる中です。


#35 身近な人で罹患した方がいなかったのですが

痩せることができないので食べたあと後悔して、吐いてしまったら罪悪感なくなるかもと何度も思ったことがあります。

実行する勇気もないぐらいでしたが、(勇気という言葉ではないかも)今でもたまに悩むことあります。

きっかけは些細なことだった人もいるのかな、とも思ったり。

自分の容姿について、もっともっとこだわりがなくなればいいのにな、と思います。

そうしたら食べすぎたって悩まなくてすむのにな。


#36 スポーツを真剣にやっていた
息子が摂食障害になりました

過食嘔吐です。

体重を軽くした方が勝負に有利になるかもと試合前だけ体重調整に夕飯を吐き始めました。クセになるからダメだと言っても聞かなかった。

試合前だけが、ほとんど毎日になり、必ず毎日になり、隠れて吐き続け、一年ほどで今度は夕飯と称して大量に食べるようになり、すぐ吐くことを繰り返しました。

始めは日に一回の過食が、今となっては家にいる間中。

皮膚がボロボロになって皮膚科に行ったり、汗をかかなくなって病院に行ったのでなんとか血液検査まではさせたけど、心療内科もカウンセリングも拒否。

今は本気で治したいとはまだ思っていないようです。太るのが怖くて。

血液検査で数値に異常が出るほどでもなく、痩せすぎてもいないので、丁度いいと思っているのだと思います。

ただ口の中がカビだらけになって痛かった時は治したいと思っていたよう。痛みがとれれば、その気持ちも消えました。

高校は休みがちだったのが、通うようにはなりました。主人が厳しく、本気で競技をやるなら、勝たなければ意味がない、1位でなければ意味がないと言ってきました。

その横で私は苦しかったら辞めていいんだよと、助け舟を出していたつもりでした。

でも本人は、勝たなければ辞めさせられる、一生このスポーツをやらせてもらえないと、必死で苦しかったそうです。

また金銭的なことも影響していると思います。息子がスポーツを始める前からうちは裕福ではありませんでした。

主人は結婚してから何度も転職していて私も働いていましたが、家計は火の車。でも息子のためとスポーツ始めたら制限なくお金をつぎ込みました。

高価な道具もレッスン料も借金しても与えました。その結果カードローン地獄。さらに過食費もかさみます。

息子はバイトしていますが、給料のほとんど過食費になっているようです。

てめえらのせいでこうなった。てめえらが金がないからこんな病気になったんだ。と言われたことがあります。

息子に毎日■ね消えろ、汚いと言われ続け、私はおかしくなりそうでした。

本などを読んで学び今は過食嘔吐を少し理解でき、食べちゃダメも、吐いちゃダメも言わないようにして、与えすぎない程度に食材を置き、毎晩夜中までそれとなく起きてて話を聞き、なんとか息子との関係は少し良くなったようには思います。

主人と息子はまだ距離がありますが、前よりはマシです。


#37 小学3年生の頃新体操で体重制限と
食制限をコーチにされて以来

体重とカロリーに支配されてかれこれ数年経ち、最近チューブに手を出しました。

希死念慮と戦う毎日の20歳です。


#38 都内の音楽大学に通う大学3年生です

成人式を控えた時期に短期で大幅な減量をしたこと、父との関係の悪化、引っ越しや感染症での環境の変化によるストレスで発症してしまいました。


#39 過度のストレスにより拒食症になり

極度の低体重になり、過去に二度の入院経験があります。

今も食のこだわりはありますが、それなりには暮らせています。過食、過食嘔吐はないです。


#40 摂食障害(拒食・過食嘔吐)を患い
5年になります

2度の入院を経て徐々に克服への道が見えてきた次第です。


#41 高校3年から現在まで

制限型拒食症です。


#42 2年近く万引きを繰り返していました

中学1年で摂食障害(拒食症→過食嘔吐)になり中1冬に約1か月半入院。

その後は高校・大学・専門学校・社会人と25年以上過食嘔吐とともに生活しています。

約3年半前にクレプトマニア(病的窃盗、窃盗症)になりましたが、入院治療を経て、今は盗らない生活を送れています。


#43 その頃は自分が摂食障害だとは
思わなかったし誰にも相談しませんでした

最初は軽く食事を抜くことから始めました。痩せたかったからです。

体重を大きく落としました。最終的には過度の食事制限でした。食べない日もあります。

私が狂ったのは初めて普通食嘔吐をした時です。普通の量を採っただけ。

でも、既に拒食だった私にはその量ですら気持ち悪くなってしまいました。 気持ち悪さに耐えられず恐る恐る指を喉に突っ込みました。

すると、運の悪いことに簡単に吐けてしまったのです…それがとてつもなくスッキリしたのです…そこから1週間過食嘔吐を続けました。

摂食障害の恐ろしさは知っていました。摂食障害になりたくないと思っていました。だから、怖くなったのです…

保健室の先生,スクールカウンセラーの先生,ちょうど精神科の初診があったので精神科の医師に相談しました。しかし、皆私が吐いてることなどどうでもいいというか、信じていない様子でした。

元々不安障害(後に解離性障害という病名に変わりましたが・・・)の診察だったので、小児科で摂食障害の症状出さなかったのに、精神科初診で摂食障害のことを言ってきたので詐病だと思ったのでしょう。

信じてもらえなかった私は更に過食嘔吐をエスカレートさせていきました。信じてもらえなかった悔しさ故です。

そして、解離性障害の症状悪化により精神科入院に。

入院中ももちろん普通食嘔吐をしました。ある時それがバレてしまいました。吐いてる所を見られてしまったのです。

そこで先生達は初めて私の摂食障害の症状があることを信じ"摂食障害になったら解離性障害の治療どころじゃなくなるから摂食障害になるな"という意味での、摂食障害になったらどうなるのかの文章を、数枚印刷して持ってきました。

そして体重管理も始まりました。今更・・・遅いよ・・・・・・と思い、今度は拒食に逆戻り。

自力で栄養を摂取することを頑なに拒み身体拘束、鼻管で栄養を入れられました。

もちろん拘束される時も鼻管挿入する時も暴れて、精神科医師全員に抑えられて挿入しました。今となっては無駄な抵抗をしたな…と思っていますが…

いい加減諦めてなんとか栄養剤と全粥刻みミキサー食で栄養摂取。退院になりました。そこからは拒食と過食嘔吐の繰り返し…

今では痩せ姫さまに憧れてもっと痩せたいと思う一方、看護師になりたいという夢のため、何とか拒食と過食嘔吐の繰り返しで一定体重を保っています。


#44 家では私がいつも仲介役や
愚痴の吐口となってしまい、居場所がなく
心が休まりませんでした

摂食障害(過食嘔吐)6年目です原因は過激なダイエットと家庭環境と思われます。

25歳でリバウンドにより体重が激増し、吐くことを覚えました。

母親の長年の不倫や両親の不仲により、いつも緊張感がありました。

日に日に過食嘔吐が悪化してしまい、一昨年ついに仕事に行けなくなりました。その際に服用していた抗うつ剤により薬疹を起こし、生死を彷徨いました。

現在は結婚し実家を出ており、夫に支えられながら克服中です。


#45 私は昔からクラシックバレエを
していたのですが小学生の時から
体型にコンプレックスを持っていました

太ももが太かったり、顔が丸っとしてたり、周りからはそうでもないと言われながらも、自分ではそう感じられず、その時はダイエットもせず、何もしないまま自分を卑下していただけでした。

中学後半になって親や親戚から“よく食べるね”と言われ、更にからかわれるようになり、体型を周りと比べ始めてから本格的にダイエットをするようになりました。

そこから、よく食べるねぇと言われたくなくて、食べないようになりました。

食べるのが怖くなって、カロリー摂取が極端にできなくなって自分でも怖いくらいでした。食べないから体力もなくなり貧血になって、体育の時間は倒れそうなくらいでした。

でもお昼ご飯は絶対食べない食べれない、晩御飯も食べれないという生活を3年間ずっと送っていました。

高校の間はずっと低体重で周りからも先生からも言われ続けていましたが、何も変わりませんでした。

精神的にも全部しんどくて、終わらせたいくらいでした。食べないと、と思いつつもカロリーが怖くて、太るのが怖くて何も食べれませんでした。

大学に入って、彼氏が出来てからは一緒にご飯食べに行くようになったりして徐々に食べれるようになったのですが、いままで食べれてなかった反動でむちゃ食いをするようになり、その後悔から吐くようになりました。

ほんとに自分でもおかしいし、気持ち悪いと思うし、彼氏にも悪いことしてるって思いながら吐いてます。

自分でも自分が気持ち悪くて、人生終って欲しいです。吐かないっていう意思も突き通せない私は、ほんとに弱い人間です。


#46 学生時代、イジメかな?
容姿をからかわれ自分はブスなんだと

顔は直せないからとりあえず体型は直そうと始めたダイエットから、拒食→過食。

コンプレックスだった顔も数年前に手術して、最近は随分落ち着いてます。


#47 摂食5年生です

拒食から過食嘔吐。辛いです。


#48 18歳の夏からダイエットがきっかけで
摂食障害(拒食)を発症

2年後過食嘔吐に移行。

22歳現在は拒食と過食嘔吐を行ったり来たりです。チューブ吐き。


#49 もともと研究職からの現在無職の26才

大学1年の時に当時の交際相手がきっかけで拒食を発症→次第に非嘔吐過食(下剤乱用)→現在克服中です。

別件で大学1年の時に自傷行為も発症していて、過食と自傷行為はセットでした。

現在は自傷行為はほぼゼロで、下剤も1年半使ってません。

過食だけ、ごく低頻度でしてしまうのと、衝動は頻繁にやってくる様な感じです。


#50 今思えば短い拒食→非嘔吐過食→拒食→
過食嘔吐の遍歴を辿ってきたのだと思います

今は1日に2回くらい過食嘔吐の状態です。体重は標準の範囲内での変動です。

ずっと丸顔で、太ると顔にでやすく揶揄われるのがコンプレックスです。


#51 不自由なく育ててもらいました
家族仲もそれほど悪くはありません

2000年生まれ、善良な父と母、2歳上の姉、2歳下の妹がいます。

中3の時、短期間で体重減少し低体重に。診断なし、通院なし、服薬なし。医療にはつながらず。

体力も落ちて跳び箱からの着地の衝撃で呼吸困難、救急搬送されましたがそれでも家族は気づかず。

当時、朝食はごく少なく、昼食も給食のわずかな野菜(土日はほぼ食べず)、夕食も食べたフリをしたり捨てたりで過ごしました。

徐々に過食に転じて(嘔吐なし)、貯めたお金はすべて食べ物へ。

休日も図書館に勉強しに行くと嘘をついては、ひたすら食べ物を求める日々。罪悪感を消すように勉強に励みつつ、食べることで頭がいっぱいの高校時代でした。

修学旅行ですら自由行動の際など衝動を抑えることができず、部屋でひとり食べ物を貪っていたり。休み時間にトイレでお菓子を食べたり、帰りの電車内で菓子パンを詰め込んだり。

センター試験の当日も、休憩時間にはひたすらコンビニで買ったスナック菓子を食べていました。

大学受験は、罪悪感勉強法が功を奏して成功し、都内の国立大に合格できました。

が、下宿先で開放感からか過食嘔吐が始まり、食べて吐いての毎日。授業も課題もバイトも全力でこなしつつ、寸暇を惜しむように過食嘔吐。

月にかなりの額を食費に。バイト代でまかなっていましたが限界がきて、奨学金に手をつける始末。当然生活が回らず、体重も体力も限界になり、自主退学。

退学届を提出した日には、なにもかもを失ったように感じて、涙も出ませんでした。

実家に出戻り、それでも食べ吐きは収まることがなく、家族の目を盗んでは食べたり吐いたり。働きながらもなんとか生活をしています。


#52 大学生でほぼ毎日カショオしてます


#53 映画の方はまだ勇気が出ず見れておりません

大学1年で拒食→半年で非嘔吐過食→2年ほどで過食嘔吐→現在に至ります。


#54 高校生くらいから自分の容姿が
コンプレックスをきっかけに拒食症に

大学に入り一人暮らしを始めたくらいから非嘔吐過食。半月で大きく体重増加しました。


#55 産後ダイエットをきっかけに

食事改善やトレーニングを始めて健康体重になりました。そのとき一番仲のいい友達も一緒にダイエットしてました。

ですが元々食べることが大好きだったので、娘の節句にチートデイと称し暴食しました。

ですがそこまで増えておらず、過食しても太らない!と思い次の日も食べまくると、とても体重が増えていました。

しかし過食を止めることができず、限界まで食べ続けると吐き気を催し半分ほど吐き戻すと体重は増えておらず、吐けば太らないと思い過食嘔吐について調べどんどん過食嘔吐にはまってしまいました。

辞めようと思い何度も頑張りましたが、食べ物が胃の中にあること、太ることが恐怖で、でも食べたい。

その繰り返しで克服がなかなかできずに、1年が経とうとしています。


#56 幼い頃から自己肯定感が低く
自分の事が大嫌いでした

家族や友達に容姿を貶されたりしていて、自分を変えたくて中学生の頃にダイエットで体重を落としました。

そこから周囲が優しくしてくれるようになって、それを失いたくなくて、太ったらまたバカにされるんだと思って生きています。

拒食→過食嘔吐で合わせてかれこれ摂食障害15年選手です。


#57 非嘔吐過食チューイングもたまにします


#58 生きる頑張る目的を失ったと同時に
摂食障害が再発・悪化してしまいました

高校生で摂食障害を発症し数年間完治したと思って過ごしていました。

看護師になるという目標を達成し、生きる、頑張る理由を失ったと同時に、摂食障害が再発・悪化してしまいました。

自分では治ったと思っていたのでかなり落ち込みましたし、一生こんな生活を続けていくのではないかと絶望感でいっぱいです。

看護師として働きながらも摂食障害と向き合っていますが、周囲の理解を得るのも難しいと感じています。

1年以上、毎日1日に何回も食べ吐きを繰り返す生活から抜け出したいと思っても、抜け出せず習慣化している気がします。

治すというよりは、上手く付き合っていくための方法探し途中の段階です。


#59 個性を消して社会が求めている
美の基準に合わせるようになりました

3年間ほど摂食障害で過食症→拒食症→過食嘔吐という順で症状も変わり続けています。

ひどい時には毎日何度も食べては吐いてを繰り返して、体力も落ち、気絶するように眠っていました。

わたしの場合は、現実世界で誰かに見た目に対することを言われたことが原因ではなく、SNSで美しい人(一般人の方からアイドルの方に至るまで)の生活を垣間見れるようになってから、今まで満足していた自分の見た目に不満を抱くようになりました。

理想を追いかけるようになったのです。


#60 幼少期から高校に上がるぐらいまで
父親による精神的肉体的虐待を受け

小中学校では学年全体からいじめを受け、母親は暴力的な父親から逃げるように不倫。

母の不倫相手から性的関係を迫られる。中学高校では不登校、心療内科にて強迫性障害とうつ傾向との診断。発達障害の疑いあり。

大学1年時、うつと過敏性腸症候群、ストレスによる食欲不振で低体重に。

当時発達障害(ASD、LD)の診断。不登校。大学2年時、当時の彼氏の存在で精神的に安定して体重が標準近くなるが、周囲からの太ったという指摘でダイエットを始め、モデルのバイトもあり体重キープに執着し徐々に過激なダイエット方法に移行。

チューイングを経て過食嘔吐になり約半年後、低体重になっていく。

心身の不調により大学への通学不可となり、3年に上がる頃から休学し精神科のデイナイトケアに通うが、著しい病状悪化により医療保護入院。

退院後も通学できず退学、拒食症、過食嘔吐、非嘔吐過食を繰り返し1年で大きな体重増減と、精神科への入退院を繰り返す。

病状がある程度落ち着き、23歳の頃昼職を始めるも地震の影響にて失職、その後生計を立てるために始めた風俗の仕事を今も継続中。

現在も摂食障害と境界性パーソナリティ障害、双極性障害の治療中。精神障害手帳2級。


#61 しんどいからするし、するとしんどくなる
無限に負のループ

過食症の高校生です。本格的に過食嘔吐を始めたのは中学2年の時。

周りからのdisだったり、自信のなさから始めたダイエットを失敗してから沼に落ちました。

メンクリに通っていた時期もありましたが、今は親からメンクリ、精神科、心療内科に行くのを止められていて行けていません。

カウンセリングすら受けさせてもらえない状態です。過食嘔吐してる時は本当に頭が働いていないので、ただ胃に食べ物を詰めて吐く行為を何回も繰り返しています。

でも他にストレスを発散する場もなく、過食嘔吐に依存してると実感します。友達にももちろん話せないし、親にはバレてるけど摂食について話すと興奮してまともな話はできず。

SNSが居場所になりつつあります。

めちゃくちゃリスケ、遅刻する。本当に申し訳ないけれどスイッチが入ってしまうとやめられない。

食べたくないけど食べなきゃいけない
吐かなきゃ吐きたい

食べたくないけど食べたい
吐きたい吐きたい

食べたい食べたい
吐きたい吐きたい

それぞれの時がある。


#62 32歳です
3歳の子供を育てています

旦那と姑からのいびりがきっかけで過食嘔吐が始まりました。

喉が荒れて血が出ても指を入れて吐いていました。吐くと疲れるので食事もしないでいたら、大きく体重減少しました。

周りの力を借りて離婚し、妊娠と出産後は過食嘔吐する時間がなかったので自然と止まっていました。

その後、子供のイヤイヤ期が始まり、育児のストレスから過食嘔吐再発しました。

今は過食嘔吐、普通食嘔吐、嘔吐しない(下剤使用)のどれかで過ごしています。

子供に吐いている姿を見せたくないので、克服したいとは思っています。


#63 同世代の周りの人との差に悔しさを覚えます

17歳でダイエットをはじめ、気づかないうちに拒食症になり1年しないうちに体重減少し無月経になり、親に心配されるようになりました。

高校卒業時に過食症状が現れ始め病気であることを自覚。専門学校へ進学しましたが、過食衝動が抑えられず通学不可能だと判断しすぐに学校を辞めました。

その後カウンセリング、クリニックに通い少しづつ症状は減ってきましたが1年で非嘔吐過食の影響で大きく体重増加してしまい、精神はボロボロでした。

クリニック等は今は通っていませんが、過食の波があり平気な時期と毎日続けて食べ続けてしまう時期があります。

3年間過食に悩まされていて抜け出す方法がわかりません。仕事も少しはしていますが社会復帰とまではいかないです。

学歴もなく、一番楽しい20歳の時期を、望まない身体で過ごしている自分が、本当にみっともなくて悲しいです。


#64 高校1年から過食、拒食、過食嘔吐に
うつり変わって気付いたら社会人1年目の
20になっていました

親からの些細な一言と、軽い行動でなってしまったと思っています。記憶に残るきっかけと言えばそれくらいしかないので。

中学3年の記念の卒業家族旅行のバスの中で、あんたこれやばいよ!!と、笑われながら見せられた盗撮写真から、痩せなければと火がつき始まりました。

#65 元々部活をしていて増量だったんですけど引退するのもあってダイエットを始めました

食事改善がエスカレートしてそれがストレスになってやけ食いした挙句、気分が悪くなってはいたところ痩せていて、そこから過食嘔吐になりました。


#66 クラシックバレエのために始めた
ダイエットで極端な食事制限から

食べ始めたら止まらなくなってしまい、太る恐怖から吐くようになりました。


#67 大学1年6月に発症
食費を節約しなければという強迫観念の反動

以来2年強。非嘔吐過食。


#68 拒食から過食になり
現在チューブ吐きになりました

チューブを使うようになって約3年、摂食障害になってからは約5年になります。


#69 私が摂食障害になったのは
高校生の時です。でも中学生の時から
予兆はあったのかもしれません

中学、高校と陸上とスピードスケートをやっていて、夏と冬では体重を減らしたり増やしたりしなければなりませんでした。

陸上の時期には、カロリーの少ない食事での生活を主にしていました。

高校2年生の半ばから不登校になりました。塾には通っていましたが、その時から自傷行為と普通食嘔吐が始まりました。自傷行為、嘔吐ともに頻度は増していきました。

高校2年生の冬に自傷行為が学校の先生に見つかり、学校医にかかります。

学校医からの紹介状を貰い、市立病院に通うようになりました。パーソナリティ障害との診断を受け、高校3年生はほとんど入院生活。その間に体重もどんどん減りました。

でも無事3年間で高校卒業、大学へと進学しました。

大学で入ったサークルの影響で、拒食から一気に過食へと転換します。体重は大きく増加し、大学2年生で過食嘔吐が始まります。

そこから大きく体重減少し、地元に戻って再度1年間の入院。

発達障害、摂食障害、気分変調症と診断されました。

その後体重の変動は多々ありつつも、過食嘔吐の頻度はピーク時より減り、23歳になった今は色々な支援を受けながら生活しています。


#70 踊ることも華やかなレオタードも
その全部が大好きでずっとずっと
新体操を続けられる限り続けると思ってた

幼稚園の頃から姉の真似をして始めた新体操。ほんとに全部が大好きで、小学6年生まで続けていた。

私が習っていたクラブチームは小学生までで一段落していて、中学生になっても続ける場合は選手コースになるか、中体連コースになるかだった。

ただし選手コースになるには先生から声が掛からないとなれないシステムで、あまり技術的には上手ではなかった私は、必然的に中体連コースとなった。

中体連コースになって練習もハードになっていったけど、大好きだったから、全然苦じゃなかった。

ただ、一つ少しだけ心に引っかかったような気がしてたのは、体重制限だった。

美しさを競うスポーツのため、私のクラブチームでは体重測定があった。

当時の私はまだ測っていなかったものの中体連コースの先輩たちは測っていたから、いつ測るのか正直気がかりだった。

人生の歯車が狂ったのはある日突然だった。

中体連コースは私を含めて3人だったのだけど、その私以外の2人から急に無視されるようになった。

何をした覚えもない。それでも無視。

物を隠されたりはしなかった。でも投げの練習や、ペア練習はその日から決まって私1人だった。個人投げの練習をしていて、私が失敗すると横目で見て、笑われて。

体重を測るっていうことに加えて、いじめのようなもの。大好きだった新体操を始めて嫌だと思った瞬間だった。

そんな時。母に脳腫瘍が見つかって、入院になった。

母親が大好きだった私には衝撃的なことだった。新体操でも孤独で、家に帰っても大好きな母がいない、私の精神は少しずつ、でも確実に壊れていった。

新体操に行きたくなくなって、最初は日曜日の練習で体調が悪いと嘘をついて、休んで。

次第に平日、学校にいる時から嘘をついて放課後の練習に行かなくなって。仮病を使っているから。体調悪いふりしないと。そう思って食欲がないふりをした。

それが悪化していって。気づいた時には低体重になっていて。入院になった。

この頃に新体操をやめた。それでももうこの時には体重を増やすことなんて無理で、痩せたいの一心で。

入院しても体重は減っていって、大きく減少した。

それでも色々あって。中学2年生には回復して、どんどん体重も増えて、中学3年生には食べることには抵抗なんてなくて、友達と遊びいったりもできるようになっていた。

標準体重までになっていた。

病気でいたことなんてもう過去のことで、もう気にすることなんてないと思ってた。

そんな時、世間を賑わす感染症が出て。

自粛期間中、次の4月から高校生になるっていうのもあって、ダイエットを始めようって思った。最初は運動をしてお菓子を控えたら、するする落ちていった。

適度で終わりにしよう、そう思っていた、でも気がついた時にはもう止められなくなっていて、確実に減少していって、その後も減らしたいでいっぱいだった。

ある時。家の冷凍庫にあったお菓子を一口だけ食べようって思って食べた。それだけで止まれるわけなかった。気持ち悪くなるまで食べて、自然嘔吐した。

その日から、過食することが増えていって、過食と拒食の繰り返し。

一回拒食になった時から時々食べたものがせり上がってくることがあった。私にとって努力すれば吐くことは可能で、過食した時には吐くことも増えていった。

なんであの時ダイエットなんて始めたのか、後悔しかない。

でもただ私は可愛くなりたかっただけだった。なんでそれがこうなったのか。もうそれは言ったって仕方のないことで。

今はただこれから一歩一歩少しずつでもいいから、前向きに進んでいけるように努力するだけ。

時間はかかるかもしれない。何年、何十年かかるかは分からない。それでもいつか、今幸せって心の底から言えるようになりたい。


#71 ダイエットから非嘔吐過食→
チューブになった17歳


#72 過食嘔吐がひどくて一度入院し退院したが
治らず毎日3回以上は過食嘔吐しています

吸収食は無く、一度食べ始めたら限界まで食べ、そのあとスプーンを使って吐いています。


#73 食べたら気がついたら朝

友達と食べた後一人で食べ直す。


#74 後悔させたい。私の体がどうなろうと
吐き続けてガリガリになるつもりです

感染症での休校期間に3ヶ月程学校にも外にも出れないので、太ると嫌だと思い、休校期間に入りすぐに食事制限と筋トレなど運動をし始めました。

もともと自分の体型には満足しておらず、ダイエットをしていたので、休校期間に拍車がかかりました。

毎朝、日が昇る前の暗い時間から日が昇るまで何キロも走り、1日の摂取カロリーを極端に抑え、筋トレ、半身浴、マッサージとストレッチ、夜のランニング。

これらを1ヶ月ほど続けていたとき、これらの制限や運動をしていたのを知らなかった母親が、すでに標準体重を下回っていたわたしに、太っていると指摘してきたり、からかうような発言をしたり。

それまでは自分ですべて用意していたのに、私が食事制限をしていると知ったその日から、いきなりごはんをしっかり作り出してきたり。

カロリーの高いものの代名詞のようなものを、今までにないほど連続して出してくるので、明日食べるから残してもいいかと謝ってお願いすると、運動しろと怒られ、私の運動量や気持ちを知らないのに、標準体重を大きく上回る母親は、私の体型に文句をつけてきて。

しんどくて、運動量を増やし、3日間水さえ飲まない絶食をして部屋で倒れたり。もちろん親は知りません。

それをしばらくして、その間も普通の会話は一切せず、一方的に体型に対する悪口のようなものを言われ続けるだけで、もうしんどさが限界まで達していたので命を断とうとしました。未遂に終わりましたが。

閉鎖病棟に入れられ、最初は持ち物もなく外にも出れないので気が狂いそうでしたが、親がいないだけまだましだと自分に言い聞かせ毎食残さず食べました。

退院後、あれだけ病院の多めのご飯を食べていたのに、母の作るご飯はあまりたべたくありませんでした。

突然食欲がなくなり、帰り道に食べ物を食べるなんてことを、なぜしていたのか不思議になるくらい考えられませんでした。

別に食べ物を見て怖くなるわけでもないし、出されたご飯を少しは食べれるのに、退院後すっかり食べたいという気持ちも空腹感も忘れた私を、無理やり親が別の病院のようなセンター?につれていき、いきなり一日に平均以上のカロリーを摂取しろと言われました。

お腹が空かないのに、その頃には標準体重の範囲だったのに、自分の意志と反して毎日3食とおやつ3回を親に決められ、記録され、体重も体脂肪率から筋肉量までわかるもので測らされ、退院後の状態でもダイエット中より食べていたし、体重も平均的だったのに。

治す意思がない人への治療方法だからこれしかないと、親の承諾で勝手に決められ、食べさせられ、食後も見張られ、歩くたびに明らかに太ったとわかる足がすれて、不快で毎日部屋で泣いて、未遂に終わったことを後悔さえしました。

目標とされた体重になり、摂取カロリーは平均に戻りましたが、もう食べたいものが特別なくても、お腹を満たしたくて、美味しさなんて感じずにひたすら食べるようになり、過食嘔吐になりました。

治療さえなければ、食べたくなくても食べて吐くようなことはなかったので、一生恨みます。

一番酷いときは学校がある日でも家で何度もカショオをしていましたが、吐きダコが隠しきれず親にバレて、前は無理やり食べさせてきたのに今は食べるなと言われます。

もはや拒食脳など微塵にも残ってないので、健康だったときに食べていた量のご飯をよそっただけでも、そんなに食べるのかと言われます。

拒食脳は帰ってきそうにないので、自分たちがまいた種で(強制した治療で)娘が過食嘔吐になったことを、私を産んだことを、後悔してほしいです。

それで命を失えれば本望です。早く終わらせたいですが、とにかく後悔してほしいので、それだけを糧に生きています。


#75 もっと可愛くなりたい褒められたいと
どんどん沼にハマっていき

元々標準体重のぽっちゃり体型でいじられることが多かったけれど、あまり気にしていませんでした。

高1のある日一念発起して食事制限と運動を始めたところ3ヶ月で大きく体重を落とすことが出来たので、周りから褒められるようになりました。

元々自己肯定感が低かったこともあり、それがうれしくてエスカレートしていき、最終的に拒食症になりました。

しかしその5ヶ月後には今まで食べられなかった分の反動で非嘔吐過食症になりリバウンドし、さらに指での嘔吐を覚え、今ではチューブで吐いています。

親が私を「前は少食だったのに」と疑いの目で見てくる度に、猛烈に恥ずかしく思いますがそれでもやめられません。

唾液腺の腫れが目立ち、ダイエット期にあれだけ努力して小さくした顔は今ではパンパンです。


#76 過食ではない嘔吐

高校1年の時に太りたくなくて、またストレスから吐いたら癖になってしまって半年くらい嘔吐を続けてしまってました。


#77 治療を進めるうちに幼い頃から
ストレスの捌け口が食に関することであったと
分かりました

20歳の頃気軽に始めたダイエットから体重が増えることに恐怖を覚え摂食障害(神経性大食症)になりました。今年で5年目です。

主に大量に食べて吐くことが多く下剤の多量使用、普通量でも吐くことがあります。

吐くきっかけがダイエットだっただけで、ストレスが食に現れる気質のようでした。家族仲や人間関係に、そこまでの問題はなかったと思います。(自己判断)

現在は躁鬱とも診断されており、時期によって吐く頻度や量、また下剤使用の頻度も異なります。


#78 仕事場で太ってると言われてから
摂食障害になりました

何も食べられないからガムを噛んでしのいでいたら、顎の筋肉が発達して、余計に太って見えるようになりました。

今は吐き残しのみの普通嘔吐(チューブ吐き)です。


#79 「痩せないとまたイジメられる!」
と言う恐怖が襲って来るのです

私は拒食症排出型の摂食障害です元来の不安症と、特殊な家庭環境に加え、中学時代のイジメが引き金となり、発症しました。もともとは、ぽっちゃりした体型でした。

制限型の拒食と非嘔吐の過食を繰り返しながら、妊娠・出産をしたものの、人間関係のストレスから排出型の拒食が悪化し、現在は下剤大量服用と、どんなに少量の食事でも食後の嘔吐が辞められない状態です。

少しでも体重が増えると、中学時代の出来事が頭の中をグルグルと走馬灯のように駆け巡ってしまいます。

子供のためにも、摂食障害を治したい、克服したい、と切に思っているのですが、なかなか抜け出せず、現在も闘病中です。


#80 小学校の時から太ってる事を周りに
いじられ女子からはいじめを受けてました

中学校に入ってからはじめたダイエットで、痩せたねと周りから言われる事が嬉しくてたまらなく、そこから痩せる事に必死になってしまいました。

いつからかは忘れたけれど、一回トイレで吐いて次の日体重測るとめっちゃ体重が落ちてて、そこから吐くことを覚えて、いっぱい食べたら吐けばいいやんって考えになってしまい、20歳になった今でも治っていません。


#81 当時所属していた部活で体型を指摘されて

元々コンプレックス出会ったことも重なり、2月からの休校期間にダイエット→過食嘔吐。


#82 小学4年生の頃拒食になり
それが中学3年生まで続きました

中学3年の秋から非嘔吐になり、高校2年の6月に吐けるようになりました。
一番辛かったのは非嘔吐の時期です。

太りたくないのに詰めて、色んな人に嘘をついて、学校もやめました。

自傷行為、OD、などをしました。それはどんどん過激にもなりました。このときの傷や薬の後遺症のようなものは今も残っています。

チューブは買いましたが親に捨てられたと思います。


#83 拒食と過食は本当に紙一重で
とても苦しい日々を過ごしています

最初は軽い気持ちから始めたダイエットで、食事制限をしていたのですがリミットが外れ過食になり、そこから過食嘔吐、非嘔吐過食、そしてまたダイエットを繰り返してました。

ですが、去年秋頃から拒食になり低体重になり、入院、学校も休学し、今は自宅療養中です。

また過食気味になってしまっていて苦しい状態です。


#84 摂食障害とは19歳くらいから
付き合っています

現在は過食嘔吐ですが最近吐くのがしんどいのと食べ過ぎで太ってしまいとても辛いです。以前よりも食べることをコントロール出来なくなっていて怖いです。


#85 過食嘔吐です
高校の部活で体重制限していた反動で

引退後太り、お酒がきっかけで食べて吐くようになりました。


#86 過食嘔吐があります
母が筋肉質で代謝も良い人でした

わたしは代謝が悪く、運動部に入っても痩せるどころか食欲がましてあまり変わらず。

昔から痩せろと言われていました。大学生のときにお酒を飲んで、食べ過ぎ飲みすぎから吐くことを覚え、次第に普通の食事も吐くようになり、過食嘔吐に移行していました。


#87 20年

苦しみました。


#88 いま、摂食障害で苦しんでいる人に
諦めないで欲しいと伝えたい

中学2年のときある女の子からのいじめから摂食障害を発症、入院。

中学3年の時に拒食症から過食嘔吐になり、入退院を何度も繰り返した。鬱病、脅迫性障害、解離性障害を併発。

なんとか通信制高校に入学したものの毎日食べて吐いて寝るだけの日々。万引きの経験もある。

命を断とうともした。摂食障害になってから父親の発達障害が判明。

今では両親も病気の理解をしてくれて、過食する食べ物をたくさん買ってくれたり料理までしてくれる。

2年前から趣味だったお菓子作りをアルバイトの仕事にして働き始めた。働き始めたら少しずつ精神的に落ち着く日が多くなってきた。

いまも過食嘔吐はほぼ毎晩で完治には程遠い。

でも本当に辛かった時期と比べると、本当に心が楽になったし毎日たくさん笑って生活している。

摂食障害で苦しんでいても、いつか、必ず笑える日がくる。

その証明を私がしていきたいと思う。


#89 痩せも失い、得られたものは何もありません

感染症で休校のとき、第一志望の高校に合格した私。制服を美しく着たいという思いを持ちダイエットを始めました。

中2の頃、父に足が太いと言われたことがあって気にしていたから。憧れてた制服くらい細い足で着たい。

顔がダメなぶん、スタイルだけでも。自己肯定感の低さや家族からの容姿に関する罵倒が原因となったと思います。

最初は拒食、チューイング。休校期間は野菜と水で過ごしました。平気だったドレッシングがかけられなくなり、どんどんカロリーの低いものに移行。

食べたい欲求が抑えられず、テスト勉強をしながら部屋でチューイングしていたこともありました。

そうこうしていると低体重になり、その後病院に行って体重を増やすように言われて、食べ始めると一気に過食嘔吐に。

学校帰りにフラフラになりながら安いスーパーを探して半額のパンを買い込み、リュックに入れてそっと家に入り、部屋で詰める。そしてトイレで吐く。

そんな日々を過ごしました。夏休み明けに鬱になり、希死念慮の強さから入院。

そこからほとんど学校に行けなくなってしまって、これから転校します。大好きな場所を諦めないといけなくなりました。

失ったものが多すぎます。


#90 笑って生きていこうと、今は強く思います

高校2年生のとき摂食障害を発症。拒食からチューイング、半年間の過食嘔吐を経験。現在は、チューイングが主な症状としてあります。

大学卒業後、就職してすぐに症状が悪化しました。低体重になりすぐに入院。約4ヶ月、集中治療室での治療を受けました。

医師からは命の危険があると言われていたそうです。治療中、何度もそうした経験をしました。

呼吸困難を起こし、人口呼吸器装着していたことにより、気管に大きな肉芽ができてしまいます。そのため、気管切開を行いました。

今現在も、喉に穴があいています。

発症してから約10年。
今は、症状は落ち着いてきています。自分で自分との向き合い方が、徐々にわかるようになったことが大きかったと感じます。

克服を目指すのではなく、いろんな自分を見つけよう!という気持ちです。笑顔を増やしていけるように。


#91 この歳で親に頼るなんて情けない
と言う気持ちが抜けません

昔から食べる事は好きでしたがまさか非嘔吐過食になり食べる事で、こんなに苦しむ日が来るとは思いませんでした。

仕事でのパワハラやストレスにより過食、痩せたくてジムに通い始め、トレーニング仕様の食生活を続けて、2ヶ月くらいで一気に痩せました。

その後ちょっとお菓子を食べてもジムに行けばすぐ戻ると、だんだん食べる量が増え、いつしかジムに行く前に過食、ジムに行った後も過食で、痩せたいのに食べてしまう自分に絶望するばかりでした。

吐けないからどんどん体重は増え、仕事のストレスも重なり食べる量も増え、地獄でした。

結局抑うつ状態になり去年2月に仕事はやめ今は過食で貯金も0、最近バイトを始めましたが、そんなに沢山は入れないので、親を頼りになんとか生きてます。


#92 入学して半年も経たずに
学校を辞めてしまった

小6春〜夏→ダイエットをきっかけに拒食症になる。低体重に。

小6冬→友達とクリスマスパーティーをした際、数ヶ月ぶりに、お菓子、スナック菓子、スイーツなどを食べて、ずっと我慢していた反動から過食症に。病気の自覚なし。

中1、中2→過食が続く。

体重は平均程度になっていく。ここまでは水泳の選手として本格的な練習をしており、週6で泳いでいたため体重が大幅に増えることはなかった。

中3→過食がひどくなり、水泳を続けることができなくなった。太っている自分が恥ずかしくて痩せようとするが、摂食障害を抱えながら無理なダイエットができるはずもなく、常に自分の体型のことを考えていた。

また、受験のストレスも重なり、塾で勉強するふりをして近くのスーパーでお菓子を大量に買って、トイレで人がいない時に必死に食べたりした。

また、この頃から近所のコンビニで毎日のようにお菓子を買って過食するようになる。この1年で体重は大きく増加した。

高1→身体測定では平均体重を超えていた。中3から高1が一番過食がひどくて大変だった。そして私は摂食障害のせいで勉強が手につかなくなり、学校を辞めることになった。

文章で全部書こうと思ったのですが、この先が果てしなく長くなるためここまでで…すみません。


#93 過食嘔吐歴3年のチューブ愛好者
下剤、利尿剤依存はほぼ克服

摂食障害が原因で高校中退からの高認取得、来年度から通信制大学に入る予定。医者と並行してNAVA(自助グループ)通ってます。

チューブ吐きのスキルを活用してODした事がある程度の、つまらない人間です。


#94 最終的には周りの人に見られるという
恐怖に変わってしまいました

私は、拒食症→過食症→過食嘔吐を経験しています。

15歳頃からKーPOPに興味を持ち始め、アイドルやモデルさんが細い脚で活躍しているのを見て、私もそうなりたいと思ったのがきっかけです。

元々オシャレが大好きで、服を着ることが毎日の楽しみでもあったので、細ければ良いという考えでした。今もそう思っています。

1日をローカロリーで収めていて、ほぼ毎日走っていました。1年くらい続いた気がします。おしゃれを楽しむはずが、いつしか見られることが恐怖になっていました。

生理も止まってしまって、さすがにまずいと思い食べ始めるようにしたら、最初は上手くいっていましたが、そこから止まらなくなり、1年くらい過食しました。

18歳になってから、過食嘔吐だけは手を出してはいけないと思っていたのですが、やってみると意外と簡単で、続けていると実際痩せたので、今も過食嘔吐がやめられない状況にあります。

しかし、痩せてる自分が何よりも大好きで、特に体への異常もないので、やめたいとも思っていません。


#95 大学入学後、過度な食事制限を始め
留学をきっかけにさらにエスカレート

留学を中断し帰国、入院して回復したかのように見えたが、現在までも何度も入退院を繰り返す。


#96 中2の頃インスタで見て下剤を使い始めた

それから今まで下剤依存してる
入院たくさんしたけど治らなかった
入院中、治療拒否し続けてたら病院出禁になった
今は違う病院行ってるけど、ほとんど通院してない


#97 現在は専業主婦ですが、体型へのこだわりが
始まったのは高校1年生の頃でした

今はたまに食べ過ぎたり食へのこだわりが抜けてない部分はありますが、極端な痩せ願望はなく、普通体型か人によってはもっと食べていいと言われる体型に落ち着きました。

たまに吐きますが、完全に吐かないと気が済まないなどといったこだわりもなく、一過性の過食嘔吐がたまにある程度に落ち着いています。頻度的に一過性と言っていいのかどうかはわかりませんが…

以前は非嘔吐過食で体重が増加し、20歳ぐらいで嘔吐を覚えてからは、標準体重以下になり、過食嘔吐が日課でした。

実家暮らしから抜け出したくて結婚。直ぐに離婚して一人暮らしをして、本当に親には迷惑をかけていたと、当時を振り返って感じます。

でもそのくらい心が安定してなかったんでしょうね…

自分で過食以外のことを見つけるまでいろんな挑戦がありましたが、再婚もして昔より、まあ年も取ったのも大きいですが、落ち着いて、食事を楽しむことはできています。

完治をしたとは思っていませんが『私は摂食障害だから』という、こだわり?言い訳?妙な執着心はなくなったなぁと思います。


#98 ダイエットから拒食になり過食嘔吐


#99 過食と病院代で数百万

高2で拒食症になり大2で過食に転じ非嘔吐に。

その後落ち着くも、就職後のセクハラパワハラにより23歳で過食嘔吐発症。そこから先は地獄の10年。

一番ひどい時で朝から晩まで吐くだけの生活、結婚して悪化、妊娠出産で大悪化、現在は落ち着いてる?かな?

精神科通院中、カウンセリングももう何クールも受けてます。


#100 僕は女性の体で産まれたが心は男性だ

二次性徴で体がふくよかになり女性らしい体つきになった。それが苦痛で仕方がなかった。

高校までは寮という人も目がある場所だったので普通に食べていたが、一人暮らしになって、鬱の薬の副作用も相まって過食をするようになった。

大学の10分休みでもコンビニに駆け込んではパンやお菓子を食べた。みるみる体重は増加していった。

そんな自分に自己嫌悪し、拒食生活が始まった。毎日わずかな食事を食べるか食べないかの生活。体重は減少していった。

嬉しかった。自分をコントロール出来ているということが。

もっと痩せたかったが、これ以上に体重が落ちたら入院だよ、と言われ断念。社会人の今は体重は一定の数字を行ったり来たり。

過食嘔吐が続いてる。

チューブを取得してしまったから歯止めが効かなくなっている。1時間の休み時間に片道10分の家に帰って過食嘔吐し、慌てて口にものを詰め込み、風呂に駆け込み吐き出し、休む暇もなく職場に戻る。

普通の量の食事なんて分からない。いつも食べたいもののことだらけ。

今の目標はもう体重を落とし、当時の体重になること。


#101 食べて吐いて、その間は無の状態でいられる

20歳を迎えたのとほぼ同時期に発症。

普通食嘔吐から始まり1ヶ月ほどで過食嘔吐へと移行し、21歳の現在過食嘔吐になってから1年が経過。

発症前はそれほど体重を気にするほどの状態ではなかったが、摂食障害になる前から、炭水化物を過剰に避ける&その反動なのかお菓子を食べ過ぎ後悔する、という前兆はあった。

SNSでトレンドワードに関連するものを見ていた際「チューブ吐き」という単語に出会い、知るつもりなど全くなかったものの、初めて摂食障害という病気を知る。

吐くという手段があることを知り、前述のやけ食いをしてしまったタイミングで実践してみたところ容易に成功し、以降は好きなものを好きなだけ食べられる嬉しさに身を任せ次第に過食嘔吐へと移行していった。

1週間に数回程度から、ほぼ毎日過食嘔吐をするようになる。

過食嘔吐が激しくなっていくにつれ体重も減少し、大きく変動した。この頃体力の低下や情緒不安定な精神状態、不眠などの症状が深刻化していき、不眠は特にひどく2日に1回寝られるかどうかといったところだった。

学校も仕事も休めず、過食嘔吐も止まらず、睡眠も取れず、結果吐く体力すら失われ、様々な問題から目を背けるため過食はするものの嘔吐は出来ず、半年以上かけて減っていった体重が、2週間ほどである程度まで戻った。

後悔はあったものの、おかげで体力も戻り、眠れるようになったため、一時は過食嘔吐も落ち着いた。

しかし現在も過食嘔吐は治ることなく、ほぼ毎日食べては吐いてを繰り返している。体重もまた減少しており、これまでの経験から、これ以上減るとまた不眠等に悩まされる日々が始まるとわかってはいるが、やめられない。

一度体重が一気に増えてしまった経験から、体重への執着は多少収まったが、元々そこまで過体重だったわけでもなく、元から体重減少への関心は他の罹患者と比べると少ない方だと感じる。

それでも過食嘔吐が止まらないのは、症状に流されている間は何も考えなくて済むという点にあると思う。

虐待や不登校、退学などを経験しており、常に希死念慮やフラッシュバックが付き纏う日々の中、過食嘔吐の時間だけは頭がスッキリする。

このような時間は他の手段では得られない。長時間、簡単に出来る方法で、ここまで心が軽くなる手段を他には知らない。

趣味も、仕事や勉強も、自傷行為も、結局は最中にトラウマが頭をよぎって集中できなくなったり、一瞬で終わってしまい、楽になれる時間は少なかった。

過食嘔吐に限らず、楽になれれば何でもよかったのかもしれない。

希死念慮やフラッシュバックの原因は概ね家族の虐待にあるが、現状それを解決する方法はないと思っている。自分の成人を期に両親が離婚し、表面上は解決したことになっているからだ。

12歳から始まった虐待をずっと黙って耐えて、離婚するための費用も提供したが、それで得たのは虐待されていた事実の隠蔽と、誰も助けてくれなかった、助けを求められなかった結果だった。

今更虐待をしていた親が謝ってくれるはずもなく、解決した事実を受け入れたふりをする以外の身の振り方をこれまで耐え忍んできたために選べず、忘れる以外に楽になる方法がわからない。

長い年月をかけて染み付いたトラウマを忘れられるはずもなく、一生苦しみ続ける未来しか見えない。

結局いつまでも解決しないと理解していて、だから少しでも忘れたふりをして、楽になれる時間をくれる過食嘔吐が救いだった。

治したいともそこまで思わないし、長く続けて胃でも喉でも悪化させて、寿命が縮まればいいと思っている。

そうして命を削る努力をさせてくれるのもありがたいと思っている。

一生悩み続けるのなら、その時間を短くすればいい。直ちに終わらせる勇気はなくても、そのための努力はできると気付かせてくれた。

一方で過食嘔吐に辛さを感じないわけではないので、治したい感情が少し芽生える瞬間もある。

今、自分がどうしたいのかはっきりとはわからない。ただただ苦しみが減ればそれでいい、後先考えずに身を滅ぼしているだけだと思う。

こんな生き方しかできないのが悔しいし恥ずかしい。

でもこの生き方を選ぶ前の、苦しみに心を折られてしまう過去がある限り、手段が変われど、破滅的な生き方しか選べないだろうとも思う。

今生きていることが何よりも憎いし、一刻も早く終われば良いと思う。


#102 外食などで迷惑をかけたくなくて
泣く泣く食べる

ダイエットからの現在は過食嘔吐。

まわりと比べてしまう、まわりを気にしてしまう、うまく普通の量を普通に食べられない。

1ヶ月ほど前に多発性縦隔気腫という病気になったが、医者には原因不明と言われたが、おそらくチューブのせいだと思う。


#103 拒食症の時の体に戻りたいと
考える自分がまだいます

16歳の時にダイエットを始め、そこから摂食障害になりました。

拒食症、非嘔吐の過食症を経て、現在は過食嘔吐の症状を抱えています。病気に対する考え方、体型についての考え方は闘病の中でかなり変わりました。

しかし、自分の体型に対する認知の歪みはまだ治っていません。


#104 その場で笑っていても
内心とても傷ついてました

過食嘔吐です。女優をしております。過食嘔吐になったきっかけはダイエットです。

元々小学生くらいからかなり標準体重を上回っており、最終的なダイエット開始直前(高校3年生)の数値も標準以上のものでした。

小学生の頃、2回転校してるのですが、1回目の小学校では体型のせいでかなりひどいいじめに遭いました。

小学校5年生のときに転校し、その転校先でも悪口を言われるようになり、幸い家の都合で3ヶ月くらいで引っ越すことになったので別の学校にまた転校しました。

そこではスポーツも始めたお陰もあり、標準レベルに落とせたので、いじめられることもなかったです。

中学生に上がってから文化系の部活に入り、また体重増加してしまいましたが、それでも体型のことで悪口言われたりすることは一切なかったです。高校に上がると次はいじめというよりいじりが増えてきました。

私の性格は、いじめられてたとはいえ元々かなり明るい方です。小学生の頃は為す術ありませんでしたが、高校生になると色々と成長したりするので、そのいじりに対して面白おかしく返したりしてました。

そして高校から女優業で生きることを本格的に目指しはじめました。現実そんなことはないのですが、私の中では女優さんは必ず痩せていて綺麗でないといけないという意識があったので、ついにダイエットを決心し、1年かけて標準くらいまで落としました。

その頃にはもう既に拒食症のような考え方になってました。1日栄養補助食品のみで過ごして、バイト中ぶっ倒れたり、身体が重くてすぐ息切れしたりしてました。

お腹も空くし沢山食べたい…でも痩せたい…あ、じゃあ食べたもの吐けばいいじゃん。

その思考から最初普通食嘔吐が始まりました。段々食べる量も増えてきて、最終的に過食嘔吐になりました。その頃体重は標準以下まで落ちました。

今でも「体型や容姿を揶揄する言葉」を聞くと、私に向けられた言葉で無くてもビクッとなります。

最近自粛生活も相まって体重増加してしまったのですが、体形や容姿のことでいじめられる、女優ではいられなくなる、自分に価値が無くなる、という思考が出てきて、今生きた心地がしてません。

これが私が過食嘔吐になったきっかけと原因です。


#105 大学時代、サークル仲間に
「ぽっちゃりな体型が似合っている」と言われた

それをきっかけにダイエット開始。目標達成後も、痩せたけどむちっとしてると言われたこともあって、さらに体重を落とす。

ほぼ拒食症のような状態になり、その後ストレスで過食症へ。2〜3年過食嘔吐に苦しんでいます。


#106 高校1年の夏に拒食症と診断
約半年精神科への入院。入院中に行動制限療法

身体拘束等を経験しました。

高校1年の3月に復学しましたがその後非嘔吐の過食になり体重が増えたことで、うつ傾向になり不登校。

卒業は出来たのですが、進学や就職が出来る状態では無かったので生活訓練の作業所に通所。

現在は在宅就労を目指して就労訓練中です。


#107 体重戻ってきたんじゃない?
今ぐらいが良いよ と善意がとても痛かったです

容姿を揶揄されたことがきっかけで、ダイエットを開始しました。

標準体重から痩せ気味、生理が止まっても「まだまだ駄目だ」と本気で思い込んでいました。

そして食事制限の反動から暴食。

体重が増えてしまう”その暴食を帳消しにするため吐きました。その過食嘔吐も月に一度あるかないかくらいでした。

生理が止まって数カ月、久しぶりに会った友人に心配され、婦人科へ。生理をおこす薬を服用し始めました。

迎えた生理前、ホルモンの影響で増加している食欲に私は負けました。そこから毎日食べては吐いて、気持ち悪くてもう食べたくないのに。一本ずつ突っ込む指が増えていって、唾液腺が腫れるのを経験して。

綺麗だねと褒められた肌も皮膚科へ行くほどボロボロになりました。

食欲や満腹中枢はバグっております。「明日からは」と誓っては破り、今も破り続けています。


#108 小5から人前で食べることが苦手です

特に会食後、1人になるとむちゃ食いをしがちで、その度に後悔して食事制限と下剤を使ってしまいます。

在宅勤務になり、誰にも見られずに食事が出来る様になったことで、極端にカロリーを制限することが可能になりました(誰も心配しない為)。

今では食べ物全てのカロリーが気になってしまいます。お店に入ってもメニュー選びに時間が掛かってしまうので、事前にネットで調べてからじゃないと行けません。

デリバリーの注文ですら長時間スマホと格闘しています。


#109 幼い頃からバレエをしており
また姉弟が細身で私が唯一
普通体型なことに悩んでいました

自分は細いと思っていました。

中学校3年の3月、友人と県外に遊びに行った際、着物を着た写真を見て体型を評価され指摘されたので、ひどく落ち込み、さらに整体に行った際にも体型のことを言われたのがきっかけで、ダイエットを始めました。

1年くらいは全然痩せなかったのに、高校3年生受験期の自粛期間中に大きく体重減少し、鬱病、不登校、勉強できなくなり受験も不安なところです。


#110 痩せるだけでこんなに対応が違うなんてと
今でも疑心暗鬼な部分もあります

高校生女子、普通食嘔吐と過食嘔吐をしています。

私は幼い頃から、自分の体型にコンプレックスを抱いていました。

周りには細い友達ばかりで、足も私の半分くらいしかないのでは、と思う日々。体重を聞いて悲しくなることも多かったように思います。

中高時代の成長期に入り、私は前よりも食べるようになりました。というのも小学生の頃とは違って、学校帰りにコンビニに寄って好きなものを買えるようになったからです。

菓子パン、お菓子、など、家だと少ししか食べられないものを好きなだけ買って、自分で独り占めするのは一種の快感のようなものでした。そしてそれに比例するかのように体重も増え続けました。

ある日、私は低身長なのもあり、このままではまずいのではないかと思い始めました。そして、何を思ったか食べたものを吐くようになりました。

最初はそんなに量を吐いてなかったので体重維持に留まっていましたが、当時初めて付き合った方に振られた直後、嘔吐は悪化してしまいました。

それに追い討ちをかけるように、小学校の同級生のお母さんに久しぶりに会った際、少しふっくらしたね、というような言葉をかけられ、酷く傷つきました。

こっちが一番気にしている容姿に真っ先に口を出され、悲しみと悔しさのどん底。

絶対痩せてやる、という強い意志が働き、私は食べたものをほぼ吐ききるという所謂「完吐き」を始めたところ、短期間で体重はみるみる減少しました。

細くなった私に、周りが口々可愛くなった、スタイル良いね、華奢だねという言葉をかけてくれるようになり、痩せて良かったと、初めて心から自分に自信を持てるようになったんです。

異性から声をかけられる機会も増え、驚きました。痩せるだけでこんなに対応が違うなんて、と今でも疑心暗鬼な部分もあります。

すっかり、嘔吐をすることは習慣に変わり、食べたら吐くまでがワンセットになって、辞められなくなってしまいました。

友達と食事に行っても普通にトイレに行くフリをして吐けますし、家でも臭いや汚れ等出さずに吐けるので、周りからは一切バレていません。

虫歯になったので歯を大事にすることと、唾液腺が腫れないように食べる量と咀嚼を調節することさえ徹底すれば、このことは墓場まで持っていけるのだと思います。

でも、吐き切った後の低血糖や、腕が脆くなっているような感覚は慣れません…。
吐きすぎないように注意しますが、毎日食べたものの9割は吸収せずにトイレ行きになっています。

いつか好きな人と同棲などをするようになったらどうしよう、という思いもあります。

また、今受験生として過ごしているのですが、抑えきれない過食衝動と勉強が上手く両立出来ません。少しでも食べたら過食したくなってしまい、過食したら出せるとこまで吐き切ります。

すると、低血糖になり、身体もぐったりし、眠気に襲われて…

また食べると吐きたくなってしまうので、勉強モードに入れさえすれば勝ちなのですが、なかなか進めない状況です。辛いです。

まだ治っていませんし、過食することはストレス発散でもあるので、辞められないと思います。でもこれで良いんです。

共存さえできれば。

辛いけど、これが私の人生なのかなとも思っています。


#111 自分をコントロールできているという達成感

高校3年の時、軽いダイエットのつもりで食事を少なくしたのがきっかけで摂食障害に。

食べない事で痩せていく喜びと達成感がありました。

でも、次第に普通に食べても胃や食道が焼けるように痛くなり、食べては自然嘔吐する。という日が続き、食べる事が怖くなりました。

大学生の時には低体重に。元はふっくらしていた私が、見た目も明らかに変わり、生理も止まり、いつもピリピリしていて…

親に病院に行くように進められ、心療内科に行きました。心療内科でもらった薬を飲むと、気持ちも晴れ、食欲も出てきました。

お腹が空くから食べたい!!あれもこれも…ってなって、そこから過食期、過食嘔吐の始まりでした。

家の冷蔵庫の中のものを平らげ、かき込むように。冷凍食品は、冷凍のまま食べる始末でした。

家で過食嘔吐してると親にバレて怒られたり、何か言われるのが嫌で、スーパーで大量に買い(万引き歴あり)フードコートで食べていた事もありました。

あの時は…最悪でしたね。あれから、もう17年ぐらい経ってるんでしょうか?

過食嘔吐は治まりましたが、未だに食べるのが怖くて拒食期が続いています。


#112 13歳から食べ吐きを覚え
15歳で本格的に発症

間断がありながら、拒食1割過食嘔吐9割くらいで現在まで過ごしています。


#113 高校2年秋に突然摂食障害に

最初は拒食症でした。そして、過食、そして4年前くらいから徐々に過食嘔吐の道(拒食含め)へ....。

今年で発病して11年目です。障害者年金が受給されるようになりました。母と二人暮らし中です。

父は少し攻撃的な人。変わってる人


#114 中1の時メンタル系の薬の
副作用でMAX体重になり

食べない、下剤乱用ダイエットをした後に、非嘔吐過食→過食嘔吐、下剤乱用→改善→過食(非嘔吐あり)


#115 心が良くなっているという
実感はありませんでした

30歳近い女性です。摂食障害について。症状は拒食症のみです。

経歴は、中2〜拒食症。高校で一度良くなるも、大学〜再燃。社会人になってずるずる引きずっている状態です。

症状は、カロリーや糖質。食べる時間や順番などを気にして過度にこだわってしまい、禁止しているものや時間には食べられない。逆に禁止を破るともうどうにでもなれと過食気味になってしまう。

運動しないと食べられない。親しい人(母親)と食べる量や行動量を比較してしまう。などです。

発症は中学2年の夏頃からで、ダイエットがきっかけですが、原因は色々組み合わさっているのではないかと思っています。

当時仲の良い友人からいじめをうけるようになってしまっていて、学校では孤立状態でした。

大人になって分かった発達障害も恐らく影響していて、学校生活も周囲とのコミュニケーションも上手くいかず、精神的にボロボロでした。

そんな時に、周りでダイエットをしている人がいて、自分も標準体型以上で、影で体形を揶揄されていたこともあり“痩せたら何か変わるかな”という思いから、軽い気持ちでダイエットを始めました。

ダイエットは想像以上に上手くいってしまいました。周りから「痩せた?」と言われるのが嬉しく、どんどんのめり込んで歯止めが効かなくなっていきました。

気づけば中2から中3で大きく体重減少していました。その前後から親が異変に気づき、あの手この手で食べさせようとしていましたが、当時の私は給食も野菜のみしか食べず。

塾に通うようになっていて、食事が親と別だったこともあり、親が用意してくれたご飯は全て捨て、親と食べる時も口に含んでトイレに行き吐き出すなどしていました。

そこからさらに体重は減っていきました。

親に連れられ内科や心療内科にもいくつかかかっていましたが、なかなか心を許せず、内科では食事記録をつけるよう言われ、実践はして少しづつ体重は増えました。しかし心は安定しません。

その頃、異常な食欲にも襲われるようになり、それでも食べちゃいけないという意識から、コンビニやスーパーのスイーツコーナーを徘徊していました。

そこで、どうしても目の前にあるスイーツが憎くなったのか、それとも匂いだけでも嗅ぎたかったのか、買ってもないのにその場で開封したり、握りつぶしたりするという、犯罪と呼べる行為にまで走ってしまいました。

その姿は防犯カメラにも写っており、店から呼び出され、親も呼び出され謝罪。まだ未成年で被害などの報告もないため、その場は謝罪のみで収まりました。

卒業停止にはなりましたが、自宅で自粛後に卒業。

中学卒業まで、食べることと奮闘し、食べれたり食べられなかったりと繰り替えし、まだ拒食症からは抜けられていませんでしたが、何とか体重はある程度まで回復。

高校では受験という目標があったため、夢中で勉強し、拒食も一時的に回復したかのようで、体重も標準近くまで回復。

しかし、頑張って入った大学で目標を失い、友達関係も上手く築けず、また拒食になりました。体重はまた落ちました。

そのまま就職したあとは、良くなったり悪くなったりを繰り返し、発達障害の影響もあるのか、気質の問題もあるのか、生きづらさを感じながら、仕事も続かず転職を繰り返していきました。

特に今ある症状は、母親の食事量に依存してしまい、母親より多く食べることが出来なくなってしまいました。

今は正社員で働けてはいますが、鬱状態や希死念慮などもあり精神的には不安定です。

無理せず楽に生きられるように、生き方をまだまだ模索しています。


#116 摂食障害歴は8年、今年で9年目

拒食歴は1年、その後非嘔吐、現在過食嘔吐。
入院3回、3回目で低体重からある程度回復。

未だに痩せたいです、現在減量中。


#117 それから21年目となります

私は拒食症になったのは24~5才の時です。きっかけは当時お付き合いしていた方との婚約破棄を自分からしたことからです…プラス鬱ですね。


#118 頑張れば頑張るほど結果が出る
ダイエットだけが自分を満たしてくれる

拒食から始まり過食、そしてチューブを使った過食嘔吐を経験して、今は過食嘔吐の克服に向けてがんばっています。

発症したのはハッキリといつとは分からないのですが、中学生の頃から痩せることに興味があって、ダイエットや食事制限をしていました。

家庭環境が母子家庭ということもあり、我慢したり母親の負担にならないようにいい子でいた幼少期で、病気になれば母親が仕事を休んで看病してくれたりしたので、風邪をひいたりするのが少し嬉しかったのです。

元々体が強いこともあり、風邪をひいですぐ治ったりしました。反対に兄が身体が弱く、兄の看病に母はつくことがおおかったです。

そのせいか病気になることが憧れだったり、母親の気を引くことに意識することが多く、痩せていった時に周りが興味を持ってくれたりするのが嬉しかったです。

また負けず嫌いなところがあり、自己肯定感も低く、のめり込んでしまいます。

痩せることが止まらなくて、高校入ってからは、痩せることや食べないことが自分の生きる意味になっていました。

しかし、いつからか食べることが怖く、気づいたら時には、食べ物は異物、食べたくない、痩せたいだけに囚われて、入院させられた頃は、低体重になっていました。


#119 経管栄養をしていたこともあります

ここ1年は摂食の症状は出ていません
過食嘔吐と拒食経験


#120 どうやら、わたしとわたしの家族
主治医達だけが知らなかったようだ

希死念慮や自傷行為、リストカットにOD、17歳から。

悩まされたというか、周りの大人が悩んでオロオロしていた。21歳で病院を変わり、三人目の主治医に「え、摂食…だよ?知らなかった?」と言われて摂食障害が発覚。

保健室登校していた母校の中高一貫校に行った際、保健室の先生に報告すると、「…知らなかったの?私たちはみんな知ってたよ?」と言われた。

二人の主治医や、わたしや家族は、知らなかった。


#121 理由はただ愛されたかった。それだけです

私が摂食障害になったのは高校2年生の時だったと思います。

高校に入学した時、太っていた私には、周りの細くて可愛いこがキラキラして見えてしょうがなかったです。

そして、元々承認欲求がつよく、かまって欲しい、可哀想な子になりたいとずっと思ってました。


中学1年生からリストカット、オーバードーズをはじめました。誰かに見て欲しくて寂しくてしょうがなかったです。

高校を卒業し、一人暮らしを始めた時、拒食から過食に移行しました。そこから過食嘔吐にすぐなりました。

いっぱい食べて心もお腹も満たされて、でも、吐けば痩せた体を手に入れることができる、可哀想でいられた。

食べ物と痩せた体に支配された状態でずっと生きています。

誰か止めてとも思うけど、止めないでとも思います。過食嘔吐がなくなったら私に何が残るのかわかりません。


#122 メンタルが落ち込むと食欲がなくなります

食べたいのに食べれなくなります


#123 大学2年にはじめた
ダイエットがきっかけで拒食症に

大学4年から過食症に移行し過食嘔吐・非嘔吐を経て卒業時には標準体重を上回るように。

その後、ある病院の精神科外来にて投薬・通院精神療法を受けながら、拒食・過食の波を繰り返し今に至る。

結婚妊娠出産のストレスから、オルトレキシアを発症し大きく体重の増減。

自助会無所属、病院治療推奨派。

食へのこだわりや無茶食いはまだ抱えつつも、社会生活や、土日に子供への食育ボランティア活動・摂食障害支援に、微力ながら関わる。


#124 19才から痩せたい願望が強く

たくさん食べては吐いての繰り返しです。アルコール依存も影響しています。


#125 夫の実家で同居生活が始まり

夫含め皆がジムに通う筋肉家族の中で生活を始め、赤ん坊がいる私はジムには通えず、ただ太ることも許されないと、勝手に勘違いして始まったダイエットから嘔吐生活が始まりました。

今は離婚して3年経ち筋肉家族ともあまり会うことも無くなりましたが、ダイエット脳はそのままで吐き続ける毎日です。


#126 今まで痩せろと散々
言ってきたのに何様のつもり?

教育保育系の学校に通っています。大学一年次、ストレスからご飯を食べられなくなりました。

それまで標準体重をやや上回っていたことを、家族にからかわれていたので、何もうまくいかない中ではじめて痩せたことが嬉しくなり、「食べられない」から「食べない」に変わりました。

1番ひどい時だと、朝と昼は食べない、夜に低カロリーのものを少し食べ、夜中に数キロ走りました。大きく体重が落ちたあと、過食に移行しました。

それまで一切口にしなかった高カロリーなものを食べまくり、みるみる体重は戻って行きました。そこで思いついたのが嘔吐でした。

はじめはうまく吐けませんでしたが、吐きやすいものをまとめたサイトを見たり、自分でコツを掴んだりしました。

吐く前の体重を測り、過食した後はその体重以下になるまで吐き続けました。その結果、かなり体重減少することが出来ました。

急激に痩せたので、家族や友達から心配されましたが、家族に関しては何を今更とすら思いました。

しかしその後、スランプで吐けなくなったり、また拒食や嘔吐を繰り返しながら、今もなお大きく体重増減を繰り返しています。


#127 高校生の頃、彼氏の
「悔しかたったら痩せてみろ」
の一言でダイエット開始

それは彼の若気の至りの冗談だったのですが。

19歳で家を出て独り暮らしを始めて、過食嘔吐を覚えてドロ沼に…。

無事綺麗に痩せられ、周りから「綺麗になった」っと言われるごとに優越感。無事、彼とも結婚し2人の娘を授かる。

その後も「痩せ願望」は止まらず…。

結局、離婚をして家族を失いまた独りになりドロ沼化。かなり低体重になり、強迫性障害、鬱病を併発。

大腿骨骨折を機に介護を受ける事になり、入院を経て様々な人と関わる事で過食嘔吐を手放す事が出来、現在に至る…。

昨年2〜7月まで入院生活。現在は訪問介護を受けながら「過食嘔吐」の無い生活を満喫中。

ただ家族と音信不通のせいか情緒不安定な部分があるように思う……。


#128 いつも心が埋まらない感覚に襲われ
何かを求めて知らない男と寝ることもありました

中学生の時にリストカットを始め中高と過ごしました。

養護教諭を目指して大学へ進学しましたが、環境の変化等のストレスでリストカットの悪化・OD・過食(非嘔吐・下剤乱用)をする日々を送り、バイト先の人や、帰省時に親から、容姿に対して様々な指摘を受け(特に輪郭など)、大学3年秋ごろから嘔吐を始めました。

嘔吐を始めても、大きく体重を落とすことは難しく、お金もなくなり「無駄なことをしている」ということから、常に脳内が混乱しております。

それでも心の穴は埋まらない。

2020年5月に「抑うつ状態」と心療内科にて言われましたが、今は通院も辞めてしまい、バイト先や友達にはニコニコして愛想を振りまく毎日です。

現在は4月に就職することへの不安で、常に命を断つことを考えています。


#129 こんにちは。まず「私」のことから

診断名は解離性同一性障害です。今これを書いているのは本体とは似て異なる人格の1人、くみです。

本体は33歳ですが、私は20代です。難しことは割愛させて頂き、ここから先は摂食について書きます。

私…というか、正確には本体含め私達ですが。食事が所謂「普通」から外れ始めたのは18の時。大学が嫌で嫌でたまらなく、更にそこに家庭環境等加わり、気付いたら食事が摂れなくなっていました。

私の家では毎日決まった朝ごはんが出て来たのですが、それが一口でもう後は喉を通らなかったのです。

当時体重は過体重でしたが、大して気にしていませんでした。食べれなくなった私に母は「ダイエット?体重減らしたいから食べないんじゃないの?」と聞いてきました。

何も言えませんでした。

共働きで稼いだお金で通わせてもらっている大学。それが嫌だから…なんて言える筈もなく。約1ヶ月程食べれない日々が続き、当然体重はみるみる落ちました。

さすがに心配され消化器内科を受診。そこで告げられたのが「妊娠の可能性」でした。身に覚えもない、生理は来ていると言っても伝わらず…。

更に家族に言えないことになったのです。

ここからがあるあるですね。

当時付き合っていた彼から痩せたことを物凄く喜んでもらえ…そりゃ嬉しいですよ、女としては!好きな人からそんなこと言われたら「そっか!」って思いますよね。

そこからは目的がダイエットに切り替わりました。しかしやってきたのは過食。自制できない食べ物への執着心。

どんどん肥えていきました。

時は進み20歳の時に母が癌になりました。直感で母の余命を悟ってしまい、ショックからまた食事が摂れなくなりました。でも、過食からは開放され心は楽に。

そこから肉体労働の仕事に就いたこともあり、また体重はみるみる落ちました。22の時母が亡くなり、同時に私は結婚。次に待っていたのは「つわり」でした。

つわりで吐いて落ちた体重は、つわりが終わると共に猛烈な過食へと変貌…。出産後仕事を再開し、また元の体重に戻る。と言う繰り返し(子供、多いので)でした。

大分長くなったので直近の事を。

精神科にかかり始めて3年目の夏、始めて閉鎖病棟に入院になり、以降入退院を繰り返しているのですが、入院すると、やはり完全なる摂食障害の方がいらっしゃる訳です。

要らん知識を得た私は、痩せ願望から次々試し、今は手を出してはならなっかったものに手を出してしまい、早2年が経とうとしています。

MAX時から相当減った今のからだ。

今は完全なる過食嘔吐です。


#130 大学1年生19歳です
好きなことは歌うこと、ショッピングすること
友達と話すことです

摂食障害になったのはちょうど1年ほど前。

高校3年生で、周りの子がダイエットをしていたり、受験や文化祭実行委員長のプレッシャーで、ご飯が食べられなくなりました。

そこから徐々に体重が減っていき、保健室の先生に呼び出されました。担任の先生や学年の先生に心配されながら学校に通っていました。

自分ではご飯を食べているつもりでも、お昼のお弁当箱がだんだん小さくなっていきました。


朝は食べない。夜もおかずを少しつまむ程度になっていました。学校が長期休みに入った時、体重は減り続けていました。

胃腸炎になり、水分も取れない日が続き、流石にやばいと思いました。早く入院して元気になりたいと思いました。

2、3週間待ってようやく大学病院に行けました。翌日即入院。安心しました。やっと楽になれると思いました。

約2ヶ月の入院生活を送りました。その後は自宅療養で自分でご飯を作ったりしながら生活しています。好きなものが食べられる幸せ、ありがたみを感じます。

まだまだ先の見えない病気で、治るか不安ですが、良くなると信じて治療中です。


#131 最近末期がんが見つかりました
そんなこともあり、アンケートに答えてみました

長年摂食障害で苦しんでいます。13歳くらいからなのでもう28年。

現在は子供、4歳、7歳の母親。

元々小さい頃から太っていて、虐められていました。家庭では母からのネグレクトを受けていました。

13歳くらいに学校の身体測定で体重の減少について言われ、病院へいき、拒食症の診断をうけました。すでに標準体重を下回っていました。

それでも母はわたしを責め続けました。

そこから程なくして過食へ。リストカットOD、過度な自助行為などを繰り返していた青春時代でした。非嘔吐過食はよくなったり、わるくなったり、ずっと繰り返しでここまできています。

少し落ち着いていたものの、妊娠、出産で悪化。家庭内でも旦那さんともうまく行かず、悪化。現在に至るです。


#132 日々泣きながらではありますが
学校に通っています

中学受験をして都内の学校に通い始めたら人付き合いに疲れて、学校帰りに食べ物を買い漁るようになり、やがて過食嘔吐になりました。

それまではスタイル抜群&頭も良い優等生でした...今は4年目です。

私の学校は校則のようなものがなく、髪を染めたりメイクしたりピアスしたり自由なので、細い子や、体型を気にするようなことを言いながらも、スカートが物凄く短い子がわんさかいます。

過食嘔吐だからか余計に心に刺さるというかなんというか...

幸い、外のベンチで1人で過ごせるような環境なので、どうにか通っています。


#133 一番つらいのは「かわいい」に
とらわれていること

摂食障害4年目になります。極端なカロリー制限→過食嘔吐→普通食嘔吐と経過しています。精神科通院中。

私は20代後半で、人間の魅力が容姿のみに限らない、また痩せていることが綺麗であることと等しいわけではない、ということは承知の上ですが、それでも尚自分の「かわいい」にこだわり続け、痩せていれば痩せているほど「かわいい」ので、食べたものを吐いている毎日です。

骨ばった肩、折れそうなウエスト、華奢な手足。

いつかお人形さんになりたい。

人間として生きなければならない反面、「かわいいお人形さん」になりたい気持ちを手放せず、しかし食べ吐きという人間の本能を全うできない行為に対しては、やはり辛くなってしまいます。

はやく幸せになりたいです。


#134 私は摂食障害を患い約11年になります
家族や友達、誰にも打ち明けていません

小6あたりから大人になることが嫌で食事を抜き始め、中学ではやせ細り何度も倒れました。

けれど、食べていないことは誰にもバレていなかったため、病院では、自律神経失調症や貧血と診断をうけていました。

食べない期間が続いていたある日、どうしてもお蕎麦が食べたくて食べてしまい、罪悪感で指を突っ飲み嘔吐しました。

その日から、食べても吐けばいいの思考に変わり、今まで我慢していたものを、周囲に隠れて食べては吐きを、繰り返しています。

今では、過食嘔吐をしない日はありません。私は、誰にも頼ることができず、孤独の中にいます。

下剤や利尿剤を乱用し体はボロボロ。それでも、家族の前では普通を装っています。

もう、1人で抱えるのは辛い。
病院にもちゃんと行きたい。

けど……できない……見捨てられるのが怖い……

色々な思いがあります。

お金も体も辛い日々。こんな風に、誰にも相談できないまま、摂食障害と苦しむ人は沢山居るのだろなぁ。と感じています。

私は、今、病気だ言うことを言葉で伝えられないため、激痩せして、命に関わるほどに痩せて、病気であることを知らせようと、頑張っているところです。

ほぼ絶食で過ごし、痩せようとしています。

こんな、生き地獄から、はやく抜け出したいです。この、病気は、本当に本当に地獄です。

この病気の辛さを、少しでも分かって頂ければ。
映画の参考になればいいなと思っています。


#135 小学3年生のときに初めて拒食症発症

児童精神科で経鼻栄養が中心の入院を1年半しました。

中学時代は落ち着いていたものの、体重計がそもそも家に無かったこともありあまり気にせずにいられました。しかし、気になった食品を避けるなどの、こだわりは残っていました。

高校2年ごろから再発しました。

親や医師に認められたい一心で、家ではエンシュアと丼ぶりご飯を食べ、誰もみて居ない平日の昼は抜いていました。

ドクターストップは掛かって居なかったものの、合格した大学も父に反対されキャンセルになりました。

そこから半年でかなり低体重になり、低血糖昏睡で倒れ、同じ病院の心療内科で入退院を繰り返し、今に至ります。

現在も体重は低体重を行ったり来たりしています。

弟の発達障害、父のうつ発症と休職の時期と重なり、家庭がばらばらで寂しい。余裕が無い。

陳腐な表現ですが、自分が家族の中で邪魔なんじゃないか、そうだとしか思えない。

自分自身は本当は低体重で良いが、親と医師には治したいと言っている。


#136 中3の頃、両親からの虐待や学校のいじめ
起立性調節障害などが重なり

摂食障害を発症。

初めは拒食や過食を繰り返していましたが、ある日親からの虐待を逃げるために保護所に行き一時的に治まりました。

でも、退所後行くことになった祖母の家で再び過食になり、過去最高の体重になりました。その頃住んでいた祖母の家にいられなくなり、もう1人の祖母の家に行くことになり、そこで過食嘔吐になりました。

ひたすら吸収しない生活をして、6ヶ月で相当体重を落とし、結果入院になりました。退院後は過食嘔吐がだんだん出来なくなってきて、体重がどんどん増えていきました。

でも、私と同じにユース(社会的養護経験者)が、私のそのままを受けとめてくれて、だんだん治まりました。

でも、最近また、過食になり体重が増えてきました。原因は多分家庭環境です……。

自分では認知していなかった性的虐待の発覚や、自立援助ホームへの引越し。

ここ最近はさらに双極性障害を疑われていて、SNSで知らない人と不用意に会うようになったり、リスカや過食も酷くなっています。


#137 今思えば、吐きたかったのは食べ物では
なくてやり場のない想いなのかもしれない

高校2年生時、新体操の中で自分だけ太っていることを気にしだし、一日ローカロリーな食事だけで生活をしたのが、摂食障害のきっかけでした。

半年で大きく体重を落とすことに。その後、夜ご飯に菓子パンを食べたのをきっかけに過食へ。

3ヶ月で落とした以上に体重が増加し、その後も拒食と過食を繰り返す。17歳から21歳の半年おきの体重の増減合計は3桁以上。

大学生になっても自分の体型に納得がいかず、クラスメイトやアルバイト等での誹謗中傷が引き金となり、21歳の春、嘔吐に手を出しました。

最初は食べ過ぎたときのみに行うつもりが、次第に増えていき、同時期に始めたアルバイトが経済的にも心理的にも拍車をかけ、半年後には一日に複数回以上、週に数十回以上、毎日行うようになりました。

その頃の生活は、朝6時に起き、コンビニへ行って菓子パンやお菓子を買い込み、全て食べて戻し、バイトへ行きました。

バイト中の一時間の休憩時も時間を計算し、食べて戻す。バイトが、終わってからも、電車が来るまでの時間と家に帰るまでの時間で2回戻して帰宅。

なぜやっているのかは分かかりませんでした。ただやるしかない、なにかに襲われているような感覚。辞めたいのに辞められない自分にも行為にも罪悪感はある。

でも、辞められない

ふとすると、辞めたいというのは建前で、その時の私の場合、吐くために生きているようだったとも思います。

吐いている時だけまるで雷に打たれたように、体の底から湧き上がる苦しさに、生きていると感じる。


吐き終われば罪悪感と体の消耗で、精神的に落ちるから、また吐きたいと思ってしまう。

永遠のループ。

バイトでお金を手にしても、全て食べ物に変わり、自分を傷つけるものに変わる。

半年後、歯は複数本欠けて、背痛、胸痛、自然嘔吐、呼吸困難など、過食嘔吐だけになとどまらない症状に襲われ、バイトも続ける意味が分からなくなり辞めました。

バイトをやめたなら、せめて過食嘔吐は治そうと自分なりに本を読んだり、克服者の文章を読んだり、SNSを通して多くの仲間を知ったりしました。

その中で特に印象的だったことは、どの克服者も一人では治していないということでした。

一人で克服できないのは私が弱いからではなくて、無理なものなのかもしれないと気づき、一番信頼できそうな友人にカミングアウトしました。

その友人に恵まれて、そんな私に「辛かったね。なにかできることがあったら教えてね」と…ただそれだけを言ってくれました。

それからも、またなんとか自力で治そうとする自分に「頑張ろうとしているのは素晴らしいことだと思うけど、一人では難しいかもよ」と言ってくれた友人のすすめで、学校のカウンセリングへ行き、カウンセリングの先生にもお世話になっています。

バイトができないため、お金がないので過食はしなくなりましたが、お金を手にしたらまた始めてしまいます。

これから先どうして行くのか全く分からず、考えることを辞めたい毎日です。

全部全部意味がわからない。

今は別の精神疾患の方が辛くて、摂食障害に今まで支えられていたのだということを痛感しています。


#138 高校2年の時のダイエットを
きっかけに拒食症に

20歳まで落ち着いていたが
適応障害、うつ病をきっかけに再発
拒食症、過食嘔吐を繰り返しています。


#139 ダメだと分かっているのになあ

進学したい高校が決まった。姉も行っていた学校で、安定を求めて選んだ。

いかんせんチャラい事で有名であり、太ったまま進学したらいじめられると思った。

最初は当時始まった好きなアニメのキャラと一緒にダイエットしようという気持ちで始まり、ランニングや筋トレをしていたが体重は思うように落ちなかった。

なにがきっかけかは分からないけど、ご飯さえ食べなければいいのでは?と思い3日間なにも食べないことに挑戦した。

終わった後は体重がスッと減っており、ご飯を食べること=太ると思った。そこから夜ご飯はほぼ必ず吐いた。親に気づかれても吐いた。

体重は減少していった。高校に入り、想像より楽しく周囲の人は優しかった。吐かなくても良いと分かった。

今、少し体重が増えた。2020年9月に体調を崩し専門学校を休学、実家に出戻った。体調は戻ったものの不安は消えない。

慣れない一人暮らしをする不安と、勉強がしたいというジレンマに挟まれて、過食した。

そんな日が続き、1月20日、4年ぶりに過食嘔吐してしまった。

今はチューブで吐こうとして日々練習している。


#140 食べれば褒めてもらえるが念頭に
非嘔吐過食症に

中学で親の離婚。

拒食→非嘔吐過食→過食嘔吐。初めは小児科に入院しカウンセリングのみ治療。

カウンセリングで相談するも、吐くのはみんな酔っ払ったら吐いてるよの一言で過食嘔吐に。

現在は転院し精神科で入退院くりかえし標準体型。薬物療法、認知行動療法など。


#141 小さな頃からいじめられっ子でしたが
居場所がないよりはマシ

私の役割は「いじめ対象になること」と思いながら学校生活を送ってきました。

また、母親は学歴至上主義者で、受験へのプレッシャーや学校での自分の居場所の確保の仕方に悩み、高校2年生の時に摂食障害になりました。


#142 食べることだけが暇つぶしで
楽しみで、唯一落ち着くことです

ダイエットから、過食嘔吐になりました。

しかし太りたくありません。ですが、お腹いっぱいになっても止まらない。止められない。

泣きながら食べるときもあります。そして吐きます。

毎日楽しいはずだった中学校も行けなくなりました。友達とも話せなくなりました。この世で一番優先されることは過食嘔吐となってしまいました

もう…治せません。

一日なんてそうしてたらすぐ終わります。
そして朝になるとまた食べ始めるのです。
世の中から逃げてるのかもしれませんね…自分は。


周りに迷惑かけるぐらいなら、命を落とす方が良いです。


#143 痩せることに執着したせいで
人間関係、お金、夢を全て失いました

拒食を経て、現在過食中。

体重は相当増加し、測ってはいません。

双極性障害と診断され、入院、リワーク、そして一応復職しましたが、生きながらえているだけです。

入院もして、精神科の仕組みもわかり、いろんな患者さんの話を聞いたり、みたりして、今の医療現場(精神科)では、なかなか患者さんに寄り添えないのでは?と思います。

というか患者さんが多すぎて、治療は作業に近く、また人と人、状態をケアする、お医者さん看護師さん、カウンセラーさん、心理士さんいますが、結局その場しのぎに。

根本に残った何かを変えなければ、薬を飲んでも完治には近づけないのかなと、最近は思ってます。

長くなりましたが、今、私は鬱で寝たきりだったり、逆に躁転して散財したり、毎日生きるのがやっとです。

摂食障害は、鬱状態を自分でなんとか回避しようと、体が起こしたものと本で読みました。

でも、いつか全部受け入れられたら、自分の言葉で人を助けられるような形にしたいです。

だから、映画製作活動を応援しています。力になりたいなと思いました。

摂食障害、双極性障害2つの診断を受け、治療してきたことで見えてきたことがあります。

それは、まず自分の状態、心境、環境を、悪くても、辛くても、受け入れなければならないということです。

それは辛いけど事実だから、お金がない、太った、食べたい、彼氏に振られた、家族に理解してもらえない、全てそうです。

私も、まさか自分が精神科に通うなんて思ってなかったし、拒食で痩せれた自分が、制限できないくらい食べてしまうなんてって思ったし、今でも思います。

でも、その自分も自分だから、そんな自分をゆっくり受け入れてあげることが、自分に優しくすることなんじゃないかなって思います。

そして、誰もが自分のことしか考えていないということ。

それは、一見、悪いように聞こえますが、私なんて、こんな惨めで、太ってて、これも自分しか見えてないし、考えていないと言うことです。

人の3大欲求は良くいわれていますが、1番は承認欲求だと思います。認めてもらいたい。そんなことがどんな形であれ、根本にあるんだと思います。

まだ、勉強途中ですが、愛着障害もそんな感じなのかな?と感じます。

SNSがそうだと思います。いいね、登録者数、フォロワー。全て人から認められたい、そんな欲求の塊だと思います。

だから、みんな個性を出すのではなく、きっとどこかで真似をする。すると流行が生まれ、時代に周りについていくには、こうあるしかない、という思考が生まれるのではないかなと思います。

話がそれましたが、私は現在自立支援を受けながら、生活してます。

もし、未来が明るいものだったなら、変えることができたなら、この手で同じ辛い経験をした人たちを、どんな形でも、言葉でもいいから、寄り添いたいなって思います。


#144 学校の実習帰りに飲食店を
ハシゴしてそれでも止まらなくて
一人泣きながら家まで帰った

私は19歳の頃ダイエットがエスカレートした結果、摂食障害になりました。

摂食障害になってみて初めて、周りに摂食障害の子が多い事に気づき、少しでも皆の心の支えになれればと、YouTubeを始めた事があります。

今は一つの動画を残して消去してしまいましたが、思いの外多くの方に「心の支えになった」と言って頂けて、もっとこの病気を世間に広めたり、痩せを美とする日本の風潮を変えていきたいと、強く思いました。

摂食障害のドキュメンタリーが制作されると聞いてとても嬉しいですし、実際の体験談を反映されて、多くの摂食障害の方が救われる気がします。

ありがとうございます。


#145 腕や脚が細いことから羨ましがられ
そのプレッシャーからも痩せることに
とても魅力を持っていました

現在過食嘔吐克服中の4月から新社会人になる者です。

昔から体型にコンプレックを持っていましたが、同時に食べることが大好きなので、なかなかダイエットが成功することはありませんでした。

お酒が飲めるようになって、飲み過ぎたある日吐いてしまうと体重が落ちていたのが始まりです。飲酒していない時に、ほんの軽い気持ちで喉に手を突っ込むと食べたものが出てきました。

そこから次第に、食べる量も、食べる物も気にせず、その分吐くようになり体重が減少しました。

ですが普通の食事が出来ず、何か食べるとトイレに行きたい気持ちに駆られること、食費だけで収入の殆どが無くなることが続き、治したいと思うようになりました。

ピーク時は週数十回嘔吐していたものが、最近は月1、2回に落ち着いて、だいぶ楽になっています。


#146 中学生の頃から極端に
カロリーをとらないダイエット

感染症の期間で非嘔吐過食に移行。

最初1ヶ月は指吐きでしたが、体重が増加し、醜くなった自分が嫌で、すぐチューブ吐きになりました。

克服したいとは思いますが、カショオが習慣・依存みたいになってしまってなかなか、、といった感じです。


#147 隣に立つのが恥ずかしくて
足を出すのも恥ずかしくて

高校に入ってから同じ初心者から始めた部活(バドミントン)で、ペアの子が体質的にどんなに食べても太らなくて、同じ身長なのにとても痩身で、比べると自分の方が上回っていました。

そこから最初は、部活と全く食べないダイエットをしていて、チューイングも始めるようになって痩せたのですが、行動がおかしいと病院に連れてかれて、皆と同じ量を食べるようにと、無理やり食べさせられるようになりました。

そこから反動で過食に走ってしまい、体重は元通り。

むしろそれよりも増えてしまいました。そこでどうしても痩せたくて、色々ネットで調べていくうちに、チューブ吐きと言うものを見つけました。

私は、体重が重くて、太っていて、惨めで、みっともなくて、どうにかなりそうだったので、その方法を試してみることにしました。

できる人とできない人がいるということで、とても不安でしたが、最初は独学でやってみました。

すると見事成功。数日経つと全部吐けるようになりました。部活も学校で一番ハードと言われていたので、そこから体重はみるみる減っていき、1年後には、ペアだった子に近づいていました。

全部吐ける為、食べる量も増えていき、今は過食しては吐くの繰り返しの毎日。

部活と両立してバイトはしていましたが、感染症の影響でバイトに入れなく、しまいにはお金に困って万引きをしてしまい、一度捕まったこともありました。

それ以降お金に困らないようバイトも頑張り続けています。でも未だに過食嘔吐はなおってません。


#148 ダイエット中の食事制限の
ストレスに耐えきれず

たまにストレス解消でやっていたら、いつの間にか止まらなくなりました。

そのうち普通の食事も、1日2食以上食べてしまった日は吐くようにして、間食ももちろん吐いてます。

指が汚れるのが嫌で、腹筋吐きを練習して覚えたら、吐くのが楽になり、毎日やっています。

1日中食べ物のことを考えています。

食べている時が本当に幸せで、辞められないのが恥ずかしくて、苦しくて恥ずかしくて、逃げるために人生終らせたいです。


#149 スルスル落ちる体重と
先輩を見返してやったぞ、という快感

元教師で休職を経て今は会社員として働いています。

過食嘔吐⇔非嘔吐過食を繰り返しながら克服中です。まだたまに過食嘔吐してしまいますが、大分寛解に近づいてまいりました。

きっかけは職場の先輩からの、体型に関することを揶揄された一言でした。自分ではそうだと思ってなかったので驚き、体重計に乗りました。

標準の範囲内でした。今思えば、痩せる必要もなかったのですが、先輩は標準体重以下で、それをアピールするような一言が忘れられず、肥満なんだ、痩せなきゃ。と思ったのが、摂食障害への一歩目でした。

最初は間食をなくすような、ちょっとしたことから始めましたが、生真面目で、変に完璧主義な性格から、様々な食事法、栄養面まで、色んなことを徹底的に調べるようになってしまいました。

ご飯を測って食べる、給食のパンはあげる、芋類は食べないなど、だんだん極端な事をするようになっていったのですが、成功体験もあって、どんどんより深みにハマるようになりました。

もうあの時の自分は、痩せて自信がついたのか、ハイになって何かに取り憑かれていたような感覚でした。とにかく痩せなきゃ痩せなきゃと、そればかりで、友達との食事も野菜ばかり食べて常にカロリー計算をしていました。

ちょうどその時、職場のパワハラもあり、ダイエットとストレスでフラフラになり休職。体重は標準以下になっていました。

その後、ストレスの糸が切れてしまったのか過食が始まりました。

電車に乗るまでの時間が耐えられず、駅内のコンビニで菓子パンを買い、待ってる間に食べる。家まで待たずに公園で食べる。食べ放題に一人で入り食べまくる。

とにかく食べることが止められなくなりました。この時もダイエットの時と同じように、何かに取り憑かれていたような感覚でした。

あれだけ頑張って痩せたのに、2ヶ月ほどで元に戻ってしまいました。どんどん体重が増加していく自分に耐えられず、また、自分で自分をコントロールできないもどかしさに、毎日泣いてばかりいました。

そんなある時、気持ち悪くなりトイレで吐きました。自分の中の毒を吐き出せたようなスッキリ感があり、そこから過食嘔吐が始まりました。

過食嘔吐で痩せることはありません。むしろ太りました。

でも、過食嘔吐で自分を保っている自分にも気付き、過食嘔吐と上手く付き合いながら摂食障害と共に生きています。


#150 現在家で克服中だけど中々治らない

ダイエットの食事制限から拒食症
その後過食嘔吐(指・チューブ)
閉鎖病棟入院経験有り


#151 病院に行っても治療してもらえなかったです

中学3年から現在の7年?ずっと摂食障害です。

最初はダイエットからだったため、拒食から入り、そこから過食嘔吐に移行し、チューブや、下剤、利尿剤など使いました。


#152 30年間近く患ってるけれど
今が一番の安定期…でもあります

過食→拒食→過食→過食嘔吐からの脱却期なのかな?今は主に非嘔吐過食、たまーに過食嘔吐です。


#153 過食嘔吐、チューイングを繰り返しています

27歳の時にダイエット。半年で大きく落とすが、その後リバウンド。


#154 食事に関して特に何も感じない

なので好きなようにやってます。


#155 歴25年回復後約11年当事者グループ管理者

一昨年くらい?高田馬場カフェの上映会参加しました。


#156 毎日夜に「明日の自分」を演じる練習を
想定して憂鬱な気持ちで学校に

わたしが摂食障害になったのは中学生のころに、当時友達だと思っていた元友達(ここではAさんといいます)との出来事がきっかけです。

Aさんは普段から、自分よりも下だと思う人には見下してものを言うようなひとでした。逆にスクールカースト上位の人達には、笑顔でヘラヘラしてました。

Aさんは、給食の時間のお肉のおかずを、全部わたしに半強制的に食べさせたり、言葉にはしたくないけれど、言われて嫌なことをたくさん言われました。

その時は学校にも行きたくなかったし、「明日」がこわくて毎日泣いていました。けれど学校を休んだら授業についていけないし、周りからも変に見られて噂がたつとおもっていました。

そのようなことがきっかけで太り、そしてある時をきっかけに拒食症になりました。減っていくのは嬉しかったし、もうAさんとも話さなくなり、とても過ごしやすくなりました。

ここで学んだことは、こういう人間とは付き合わないようにしようということでした。

高校からはAさんとも離れ、女子校で優しくてあたたかい人達に囲まれました。いちばんたのしかったです。

大学生になって、またあのAさんと同じ大学になりました。それに加えて課題や人間関係のストレスからか過食症になりました。

いまは落ち着きましたが「治す」ことは出来ていません。

毎日頭の片隅に摂食障害という引き出しがあり、ふと開けては涙を流したり、物思いにふけたりしています。


#157周りはみんな天才で
こんな凡人は自分しかいない

幼稚園〜小学生は標準体型でよく食べる子だった。いつも満腹まで食べていたが、標準の範囲内だった。しかし、親戚などには、容姿について言われていた(輪郭について)。

バレエをしていたこともあり、小学校高学年くらいからはダイエットを意識し始め、中学生頃までは主食を少なめにし、油分や食べる順番を心がける程度の「ゆるゆるダイエッター」だった。

中学2年生の頃、体重が一定の数値になった時、これ以上増えてはダメだ!と感じた。好きなアイドルの体重と同じことを知っていたので、それを超えてはいけないと感じたから。

そして体重をキープしようと、お米は一口程度、お弁当はかなり減らしてもらう、おやつは食べない、修学旅行でもお米には手をつけない、などをしていると、中学3年生の頃から1年ほど、もう少し低い体重を保ち、生理は止まっていた。

その頃から以前よりも負けず嫌いになり、勉強はとても頑張ることができて、高校受験では第一志望に合格できた。

高校に入ると、劣等感や落ちこぼれる恐怖が大きくなり、勉強もダイエットも更に頑張るようになった。ダンス部に所属したが、思うような立ち位置につけず、痩せることでその劣等感を埋めようとしていた。

高1の夏休みあたりが拒食のピークで、部活後も、運動量を増やすためにわざと自転車で遠回りをして帰ったりする日もあったり、一日中練習がある日のお昼ご飯は飴をひとつ、午前練帰宅後のお昼ご飯はゼリーひとつ、夜ご飯はローカロリーのものを少し、などの生活をしていた。

その頃は低体重で、階段を上るのもしんどかったが、しんどいのは痩せているからではなく、運動不足または根性がないからだと思っていた。

栄養不足で、細いのに、足がパンパンに浮腫んで靴が入らないこともあった。

学校に呼び出され、部活を一度休むことになった。

すると、今度は過食が止まらなくなった。学校帰りにスーパーに寄ってパンなどを買って帰り、家にいると常に食べていた。

朝もパンを多く食べて、気持ち悪い状態で学校に行っていて、お昼はその気持ち悪さと「ちゃんとしたご飯」を食べることへの恐怖で、小さなお弁当を完食することもできず、トイレに捨ててしまうこともあった。

回復過食で1か月で大きく増えた。

それから、過食、断食の繰り返す日々で、自分の体型への嫌悪感など精神的には良くなかったが、高2〜大学入学頃まで体重は標準やや低いくらいで安定していた。

今は偏食で標準以下、生理はきていない…というような状態です。


#158 母は毎日泣いてました
私も泣きながら食べてました

初めは、中学校で部活を辞めても食事量が変わらず、高校入学までに体重増加してしまったことでした。

そこから高校入学し、放課後の友達付き合いのコンビニでさらに増加し、家族友人周りから、前は細かったのにと弄られ、最初は気にしてないと思っていましたが、いざ股擦れなどを起こし、痩せよう。と思ったのが始まりです。

友達付き合いのコンビニは自分ではやめられないから、極端に低糖質な食生活、決められた時間以降は何も食べない、筋トレ毎日、バイトは週4、21時までみっちり予定組んで、帰ってきて泣きながら筋トレやってお風呂入って勉強して寝てました。

受験期も拒食で、塾で食べてる振りして食べてなかったです。

急に痩せたので、生理も止まりました。途中から白米、お菓子、ジュースは食べなかったです。大学生になっても変わらず筋トレ生活。体重は標準でも低めの方になっていて、大きく変動していたのに、親からは痩せたねとも、言われず。

さらに新しく会った大学生の友達からは、スタイルいい、脚細い、大丈夫?と、心配されてたのが嬉しくて、これをキープしなきゃとエスカレート。どんどん食べなくなり、親にこれ以上落とさないでよって言われた時には、すでにそれ以下だったけれど、嘘をついて。

そして増量しようと思っても、食べられない日々が続きました。バイトでは心配されるから、食べないといけなかったのですが、感染症の影響でリモートになり、毎日筋トレ、歩数計って拍車かかり散歩。

以前の通学時間はすべて筋トレに回してました。バイトも変え、ストレスもあり低体重に。母はそのことで泣いてました。私もまた。

ある日トイレで吐きました。バレてから、病院予約を取られ、心療内科に通っています。

そこから全く吐かない様になりました。エンシュアで増量しながら、母のご飯を食べて、現在は当時より増加しています。

はじめ、むくみでいきなり大きく増えて、大泣きしましたが、なんとか乗り越えて、現在です。

脂肪は増え、たまに不安になりますが、可愛い服を着たい一心で、もう少し、あと少し増やそうと思います。

まだ食事量、筋トレしない日は怖いですが、折り合いつけて生きています。


#159 自傷行為自体、いつか
手放せる日が来たらいいな

幼い頃から自分の感情を抑えることが多く、気づいたら自傷行為が自分の辛さを表現する手段であり、ストレスコーピングでした。

自傷行為にも様々なものがありますが、過食・過食嘔吐が始まったのは大学生になり一人暮らしを始めてからです。

それからは食べることそのものが苦手で、拒食、安定、過食・過食嘔吐を繰り返しながら経過しています。


#160 拒食症で食をコントロール出来る
自信を得て体重の数値に囚われるようになる

看護師1年目、人間関係、職場や仕事に躓き自信喪失、低体重で実家に連れ戻され今度は過食嘔吐の日々、貯金も底を尽き、欠勤が増え転職を繰り返す。

もはや過食したいから吐くのか、吐きたいから過食するのか分からなくなる。ただ過食したい時に出来ないとイライラが募り精神的に不安定になる。

摂食障害専門の先生がいる病院を紹介され、月に1回通院していたが改善されず。そこで先生に言われた言葉「40歳になって過食嘔吐やってる人はそうそう居ないから」「過食嘔吐は依存症」というもの。

一度…脳が過食嘔吐を覚えてしまうとそれを生活パターンに取り組まないようにするのは、気が狂いそうになるほど辛かった。必ず過食と嘔吐は1セット。

現在は過食嘔吐したい衝動は消え、看護師として働いています。ただ食の拘り、食べ方、下剤の乱用は変える事はできずにいます。


#161 自分でも将来のことを考えると
やめたいなと思うのですが
やめて太るのがすごく怖いです

過食嘔吐になって3年になります。チューブ吐きです。

毎日の習慣になってしまいやめられません。パニック障害や身体醜形障害などもあり、精神科にも通っておりますが、摂食障害については、具体的な治療なども無いので、自分でどうにかするしかありません。

許可食はどんどん増えていってるし、過食嘔吐しない日もあるのですが、きっぱりはやめられません。


#162 30年以上かかって最近ようやく寛解しました

中学卒業と同時に過食症発症。

高校はなんとか卒業するも、大学は過食症状の悪化で中退。

働きながら摂食障害の自助グループと医療につながる。
30年以上かかって最近ようやく寛解しました。


#163 摂食障害を治療できる医者は少なく
苦労したし診察室で泣かされたこともある

中学生の終わり、拒食症が始まった。

きっかけは、クラスメイトの何気ない、体型に関する一言。

私と親の関係は、幼少期から望ましいものではなく、親がエリートの為3歳から英才教育を受けており、親が怖い以外の何者でもなかった。

病院を何軒か回ったが、摂食障害を治療できる医者は少なく、苦労した。

高校受験が終了したころには過食に移っていた。最初こそ、吐けずに体重が激増したが、吐くことを覚えると辞められなくなった。

止まらない。

学校になんていけない。私は食べて吐いてを一日中ひたすら繰り返していた。食べたくないからリスカで代用出来ないかな。そう思って試したが、わたしには何の効果も無かった。

その後閉鎖病棟に2回入院した。その時出会った現在の主治医に変わってから徐々に回復した。この先生は、今までで初めて、出ている症状を抑えるのではなく根本的な問題、つまり家庭環境の改善に踏み込んだからだ。

私の母と父もカウンセリングを受け、少しずつ私も親に思うことを言えるようになった。

過食してもいいが、吐かない。
適度に運動でストレス発散する。


それだけをルールに私は諦めずに戦った。

今でも、過食はもちろんするし、酷い鬱になることもある。

そう言う時はもちろん運動なんてしない、お風呂だって入れない。だけど、自分の症状、ストレスと上手く付き合えるようになったなと思う。それでも、希死念慮は消えなかったりもする。

だけど、親との関係が少し良くなったのは嬉しい。父と母の関係が悪いのは、辛いが仕方がない。


#164 周りには言いにくく、疲れ果てています

ダイエットから過食症になりました。どんなに頑張っても止められず、どうにか克服したいです。


#165 もっと努力しなければと思い
過度な食事制限を始めた

最初はダイエットをしていて、運動をしたりチートデイを作ったりして少しずつ努力していた。

痩せた!と思って友達に聞いてみたら、全く分からなかったと言われ、もっと努力しなければと思い、過度な食事制限を始めた。

それ以降特定の食べ物以外口に入れないようになった。

ある日食べたものを全て吐いたのがきっかけで、吐けばいいんだ、と思うようになり、過食嘔吐に発展した。


#166 現在23歳ですが、始まったのは13歳

はじめまして。前回の作品、拝見しました。私も摂食障害です。ちょうど10年になってしまいます。

1番初めは拒食症でした。もともと標準以上だった私は、少し食を減らしたら、どんどん減っていく体重に喜びを感じました。

そのうち低体重になり入院。

入院中も隠れてご飯を捨てたり、運動したりして、より低体重になりました。それから、体重を増やさなければ退院出来ないと聞き、ある程度まで増やし、退院。

本当の地獄はそれからでした。

高校の頃、抑えていた食欲が爆発し、過食へ移行。高校から今まで過食、過食嘔吐に振り回されました。

体重も一気に跳ね上がり、自分に自信も持てなくなりました。

現在も、完治することなく、食事や体重に葛藤。さらに、食慾を抑える為にと始めたお酒に依存してしまい、摂食障害に伴うアルコール依存症。

生きるって、すごく疲れます。


#167 小学5年生の時に拒食になり

中学3年生の時に非嘔吐過食になり、その後拒食と非嘔吐過食を繰り返し、現在大学1年生で、摂食障害9年目にしてやっと寛解状態になってきました。


#168 過食嘔吐です


#169 大学4回生の時発症
周囲の目からか受診に踏み切れず

約5年前に決心、療養と自己実現と並行して生活。
2018〜療養に専念する。一回につき半年近い入退院を繰り返しています。


#170 身体的虐待されていたので
母親が作るご飯全て吐き気

摂食障害。

食べたフリしては吐いた。

そのうち体重が気になるようになり、カロリー計算するも、食べる=悪になっていった。それは、だんだんエスカレートし、吐くために食べる意識に変わった。

体重は落ちていき、自分の体を気持ち悪いと思うようになり、食べるようになりました。

ただ、ずっとカロリーに気を取られ、高カロリーのものは吐かなければ罪悪感が凄いです。


#171 歯もほぼ無くなりこの歳で
自分の歯は数本しかありません

14歳で拒食症発症。

高校受験終わると同時に非嘔吐過食になり、体重が大きく増加、非登校。

社会人になり、少し体重気にするものの当時お付き合いしてた人のおかげで 、食べ過ぎる事はたまにあっても過食症は落ち着く。ときに食べ過ぎて自然嘔吐することはありました。

25歳の時に、焼き肉食べ放題で食べ過ぎて、ちょっと吐いてみようと思って吐いてみたら、スッキリした爽快感を味わいました。

そこから、今もなお過食嘔吐です。

ほぼ毎日、休日や大型連休は1日ずっと過食嘔吐です。体重は拒食症の時より少しあるぐらいで、歯もほぼ無くなり、この歳で自分の歯は数本しかありません。

痩せている事でしか自分の存在意義を感じられずに、今もなお過食嘔吐を続けています。


#172 毎日過食嘔吐してます

2年前から過食→過食嘔吐→拒食→チューブを使う過食嘔吐になりました。体重は最大からかなり落ちました。


#173 何十年も続いた事が変わるのか
変えられるかわからない

20歳頃から現在46歳までほぼ毎日過食嘔吐。(非嘔吐過食有り)。
双極性障害も。

心療内科に10年以上前から通うが変わりなし。自助団体グループの交流会に一度だけ行ってみたが、手応えが無くその後他の団体も探さず。


現在カウンセリングを初めて2ヶ月だが、どうなるか分からない。


#174 よく吐いていました
いまはこころの病だと認識しています


#175 人生すべてが、あっという間に崩れ落ちた

家庭、夫婦問題に悩み、夫の存在が怖くなり食べれなくなり、食べても吐くようになり、低体重に。

自分で歩けなくなり、立ち上がれなくなり、いつも両親に抱えてもらって歩いていた。息をすることさえしんどくて、水さえ飲めなくなった。

入退院を繰り返して、毎日点滴で生き続けた。夫には痩せた身体を気持ち悪いと言われた。

倒れても、救急車で運ばれても、夫は病院に来ることはなかった。弁護士の協力で離婚をした。

その後は、私の看病で、苦しみやつれていく両親をみて、少しずつ食べるようにした。期待に応えよう、安心させたいの一心で。

すぐに過食嘔吐が始まり、急に非嘔吐過食になり、体重はいっきに増えた。

醜い自分が許せなくて、引きこもりになった。歯がほとんどなくなった。

消えたい。食べたくない。

しんどくてもあの頃の体重に戻りたい。


#176 チューブ吐き止められない摂食障害歴5年


#177 食べてると安心するが
太ってくると自己嫌悪で不安になる

食べ出したら適量がわからず、ポンプのように吐くまで食べてしまうことが多い。食欲ムラが酷い。悪循環。


#178 離婚を期にうつ病を発症
治療中に幼少期より両親から
虐待を受けて来た事を自認する

その他、学校の友達からの虐めが原因で登校拒否も何回かあり。PTSDの後遺症によるものだと言われる。

カウンセリングを勧められ受けていたが、セクシャルアビューズがあった事を思い出し、パンドラの箱が開いてしまった。

物が食べられない、眠れない…と気付いたら拒食症と診断される。

しかし摂食障害の自助グループが合わず、セクシャルアビューズのサバイバー達とシェアリングする事が多かった。

何年も掛かったが、根本的な異性恐怖症状が和らぎ。更に何年も掛かり摂食障害を手放せたと感じている。


#179 数年かけながら自力で克服も

31歳女性、2歳の子あり。

10代の時ダイエットのために少食をエスカレートさせ拒食になりつつ、過剰な運動と「吐かない過食」の組み合わせに変化。

30代で家事や育児のストレスを夜食にぶつけるようになり、吐かない過食が再び始まりつつある。


#180 高校〜今に至るまで
拒食と過食嘔吐の繰り返しです


#181 中学校を卒業した3月頃から
拒食になり、高校中退

そこから現在まで10数年、拒食と過食嘔吐を繰り返しています。


#182 端から見れば幸せにみえているかもですが
私は30年間生きるのがつらいのです

約30年おかしな食生活をしています。

毎日、ほぼ同じものを食べています。
胃の中に入れるのが、怖いのです。
空っぽの方が、調子がいいのです。


しかし、頭の中は食べ物のことばかり。たまにチューイングします。夫も子供もいて、はた目からは理想的に見えるかもしれませんが。

食べることしか楽しみがないのに、自由に食べられない。とても悲しいです。


#183 現在は過食嘔吐で
自己嫌悪に陥る日々を送っています

高校1年生の終わりから拒食、過食、過食嘔吐を繰り返している、摂食障害11年生の27歳の主婦です。

双極性障害とアルコール依存も併発しており、食べていない期間は躁状態、食べてしまう期間は鬱状態になっていることが多いです。


#184 自分や周りを騙し騙し生きています

結婚を機に、拒食症を発症、その後過食に。今現在も進行中。

しかし思い起こせば小学校2年生の時に、給食が食べられなくて不登校児だったのは、拒食症だったのかもしれなくて、子供の頃から摂食障害気質だったのかもと思っています。


#185 虐待や性被害に遭って
自分に自信が持てないです

過食嘔吐歴19年目です。


#186 家族が寝静まってから
過食嘔吐してしまう時も

高校3年に過食嘔吐が始まり、それ以来良くなったり悪くなったりを繰り返しています。

調子が良いと1週間しなくて済む時もあれば、ほぼ毎日何度も、どんな予定があってもやってしまうこともあります。


#187 拒食症12年目


#188 1年と4ヶ月、あの日から
まだ生き延びてしまっています

以前入院していた精神科の主治医から命にまつわる暴言を吐かれたことを始まりに、閉鎖された病棟内で人生を終わらせるにはどうすべきかを考えた結果、痩せ細れば出来るのではないかとの結論に至りました。

その後完全なる拒食や食べ吐き(過食嘔吐)を繰り返すようになり、退院し転院してからおさまっていた症状が、家庭内の様々な要因などをきっかけに再発することになってしまいました。

今はもとより住んでいた場所から遠く離れた地で、友人の元に身を寄せ、1日1食以上や、吐かない事を心がけて、寛解に向け頑張っていますが、壊れてしまった体重の見え方などがどうにもならず、体重測定なども禁止されています。

身体の方が言うことを聞かず、嘔吐してしまうこともしばしばです。

現状の身体の状況から見ると一日の猶予もなく、今、あるいは1時間後に命を落としてもおかしくない状況と(内臓・異常な低血圧等の病変により)、余命宣告を受けました。現在まだ生きています。

現在の信頼を置いている医師の言葉では、若さだけで生きている状況、だそうです。


#189 SNSとかでは回復してそうに
見えるけどこれが私のリアルです

13歳のとき父親から普通の暴力に加えて、性的虐待が始まりました。
14歳のとき給食しかご飯食べれないのに、過食嘔吐を始めました。


痩せていった。保健室の先生が気にかけてくれた。精神科に行ってたから、体重計に乗せられて「これ以上減ったら入院」と言われた。

児童福祉施設に入って、だんだん落ち着いた。

でも、最近、過食嘔吐が止まらない。

体重が増加していると思うと、過食嘔吐スイッチが入る。


#190 もし過食が復活したら電子レンジは凶器だ

非嘔吐過食症。

パン職人ということに時々罪悪感を感じる。

今は過食落ち着いているけど、人生終ってもいいなとは常に思っている。有名人がそれを実行したと聞くと怒りがわく。

私だって頑張って生きてるのに、何勝手に終わらせてるんだ!ずるい!!

世間一般では生きた方が偉いと思ってることに怒りがわく。


自分がLGBTだとわかったときが、一番過食がひどかった。1ヶ月で体重が増加していった。味は関係なく体に悪いと感じるものばかり買って、全部食べきる。

今は気持ちは伝えてないけど、その人が力になってくれて、普通に生きていられる。

でもその人の一言一言に自分の精神状態がすごく左右される。もう離れた方がいいのかと思いつつ離れられない。

過食症の名残はあって、家に食べ物をおいておくのが嫌だ。だから家族とは住めない。電子レンジもおいていない。

家にあるのは調味料とお米くらい。毎回割高でも食べる分だけ買う。

適度な量を購入し、全部一気に料理して、その日はそれだけを食べる。


#191 高校生から拒食症になり
昨年9月から3ヶ月入院し現在は自宅療養中です


#192 クラシックバレエをキッカケに
ダイエットから拒食症に

摂食障害とはもう5-6年の付き合い。今は過食嘔吐、チューブ吐きと拒食症、非嘔吐の過食との闘い。日々生きるのが辛いけど、生きるしかない。


#193 父親は国立大学の副学長
母親は教員免許を持った塾講師

本人は、既婚、国立大学医学部博士課程かつ公認会計師&臨床発達心理士。

だが親も知らない中での、本人は摂食障害歴10年以上。
過食嘔吐は1日数回程度。


#194 4回入院を繰り返し
今は精神科医として細々とやっています

ダイエットはしていないが、精神的な負荷が強くかかると食欲が低下する傾向にありました。

それがなくなると自然と食欲は回復しました。医学部に入り、テストや実習が続き、精神的な負荷が持続するようになり、休まることがなくなってしまい、気付いたら低体重で起き上がるのも困難になりました。


#195 人の気を引きたくて食べずに痩せる道を選び

高校生の時に拒食症でした。そのまま気づけば低体重になっていました。


#196 母を亡くした辺りから
自分の存在意義が分からなくなり

3歳からバレエ漬けの毎日、幼稚園、小、中と言われるがまま受験し、中学で母を亡くし父子家庭に。

中高一貫の為、そのまま高校に、途中でバレエをやめ、大学は指定校推薦で、理学療法の大学へ。

存在意義を見出せない日々であったが、父が毎日お弁当を作ってくれたため、何とか高校を卒業するも、卒業間際にはバレエを止めた解放感から過食に。

大学時代は一人暮らしをし、体重が増加する。食べたいのに満腹、でも食べたい。吐いたらまた食べれる。と思い、嘔吐開始。

意図せず体重が減ったため嬉しくなり、全て吐くようになり、過食嘔吐に。

このときには、希死念慮も強かったため、瀉血も平行しており、ヘモグロビンは低値に。

それから、大学を休学し、貧血治療のため入院、大学は復学せず退学し、家に帰る。またヘモグロビンを低値まで落としたため入院。このときには低体重になりつつあった。

それから、ヘモグロビンは我慢して安定させているものの、体重のこだわりが強くなり、最終的にかなりの低体重まで落とす。

入院し、今はある程度まで回復。納得はいくわけもなく、また下げたい衝動に駆られている。(上記以外にも、低体重、貧血、解離、強迫、低カリウムなどで入院歴あり)

また、解離性障害、強迫性障害、複雑性PTSD、抜毛症などもある。


#197 人生を振り返る。摂食障害と共に生きた記録

■誕生〜発症(高校生)まで■

母の里帰り出産のため、生まれは茨城だが、その後は東京で育つ。幼稚園の時から母にはよく怒られていた。友達のお母さんとの接し方、お行儀についてが多かった記憶。

小学校3年生の時に、父や同じマンションの友達の影響で剣道を始める。週3回の練習、土日は試合、夏休みは九州に遠征を行う。練習の厳しくとても気合の入った先生、仲間、道場だった。

学校では友達沢山、成績優秀だった。学校が終わったら走って帰宅し、道場で剣道。剣道が楽しいというよりも、やっていることで自分を保てていたと思う。

ホントはやめたかったけど、そんな選択肢はなかった。

辛いことに耐え、打ち勝つことが強さ、先生先輩の言う事は絶対、あきらめることは甘え、ダメという思考はここで鍛えられたと思う。

高学年の時から、同年代の剣道仲間の男子から、遊びの延長で性的なちょっかいを出される。ボーイッシュな恰好をしてよく男子に間違えられていたので、まさか私がそんな目に合う訳ない、おふざけだろう、気のせいだろうと、怖かったけど、我慢していた。

このころ、稽古中に倒れて、起立性低血圧の診断を受ける。休みたいと思っていたので好都合だった。

稽古中に倒れて、しばらく休んで稽古再開するというコントロール術を身に付ける。さらに「気持ち悪い」と言う私に対して、仲間の保護者が「口に指を入れて吐いちゃえば楽になれるかもよ」と更なる術を教えてもらう。

これが自己誘発嘔吐を始めて知ったときである。倒れたついでに時々吐いていたが、倒れるので事足りていたので、そこまで嘔吐の術は使わなかった。でも、吐くと体重が減っていたのはすごく記憶にある。

母は私の記憶がある時から年中ダイエットをしていた。テレビのダイエット番組を多く見ていたし、かなり身近にダイエットはあった。

母はダイエットに関する発言をよくしていた。中にはネガティブな内容のものもあった。自分にも他人にも、ダイエット的な視点で厳しかったのかなと思う。

わたしにもその矛先が向くのを恐れていた。ただ「成長期はダイエットしなくていい。剣道している間は体力が必要だからダイエットしなくていい」とも言っていたので、私は剣道辞めて受験気になったら太らないように、ダイエットしないといけないなと漠然とだが、思っていた。

同時に体形を気にしたり、お菓子などには嫌悪感を抱くようにもなった。そこで、母の部屋のクローゼットで見つけた漫画で過食嘔吐について知った。

中学3年、高校受験のため竹刀をペンに持ち替えて塾通い。東京都立の剣道部も全国クラスで頭もいい、まさに文武両道の高校にもう勉強の末に合格。発表時、母が自分以上に喜んでいたのを、冷めた目で見ていた。

受験期で体重増加。自分は太ってしまった。恐れていたことが起きた。高校生活が終わったら、痩せなくてはいけない。 と考えていた。

高校入学、1年からレギュラー入りできて、更なる剣道漬けの生活を送る。顧問の指導方針で、月単位でスポーツアスリートの栄養指導コーチが来ていた。

徹底した栄養指導を受ける。手にジェルを塗って栄養状態を測定する。自分の栄養状態が色で出る。良い状態になるようにコーチの言うことを守った。

守らないことで、自分が弱くなってレギュラー落ちするのが怖かった。部員も多く、レギュラー争いが熾烈だった。

仲良くても心の中では敵だと思っていた。友人に心を開けず、関係に疲れていた。関東大会には行けたが、インターハイには行けずに最後の大会を終える。

高校3年の夏、大学受験勉強を始める。母の強い圧力もあって渋々、かなり仕方なく、看護大を目指す。

やるからには負けたくないと言う気持ちが原動力だった。同時にダイエットを始める。当時流行っていたエクササイズを毎日行う。さらに、剣道部時代の栄養指導で受けたことや、管理栄養士のダイエット本を参考に、独自の食事ルールを設ける。

だんだんエスカレートして、食事量は減り、ルールは増える。

夏から冬にかけて減量。母。学校の友達、今まで話したことなかった人にも痩せたことを、褒められて、羨ましがられて、優越感、多幸感。達成感。

これまで剣道バカだったので、見た目を褒められて嬉しかった。

だんだん、友達に食事に誘われても怖くて行けない、断るようになる。ほんとはすごく食べたい。食欲が我慢していた分大きくなっている。

でも食べたら太る、怖い。どうして自分は食べられないんだろう、よくシャワーで頭を洗っているときに悲しくなって、泣きたくなっていた。これは今でもたまにある。

クリスマス。家族の囲っている豪華な食事、葛藤。「今日ぐらい大丈夫だよ」の誰かの言葉を皮切りにプツンと糸が切れる。過食が始まる。

今まで我慢していたものを、受験勉強の隙を見つけて、過食嘔吐するようになっていた。年明けのセンター試験開始ギリギリまで菓子パンを詰め込んでいた。

一般試験のあたりでは過食弊害で虫歯になる。試験対策より、頭頂まで響く歯痛との戦いだった。

母にはめちゃくちゃ怒られ、自分が情けなかった。大学なんてどうでもよかった。結果、第一志望に合格してしまった。

また乗り切ってしまった。

■大学〜就職■

大学入学して、ここからしばらく過食。

体重はあっという間に増えた。一年でかなり増えたことになる。服は全部着れなくなって、動きにくくもなった。

自分が醜くて、大嫌いだった。容姿を活かして面白キャラになろうと、大学では明るく振る舞った。

何かを口に入れていないと落ち着かなくて、過食しながら通学。痩せたら幸せになれる。今の自分が不幸なのは、過食をコントロールできなくて、管理出来ていないからだって、信じていた。

痩せること=幸せ

そんな夢を見ていた。運動なんか嫌いなのに、ジムに入会しては、行かなくなって会費だけ引き落とされる、の繰り返し。

個別のダイエットジムにも入会だけした。こうなってしまった自分が恥ずかしかった。人生で初めて失敗したと感じた。

冷蔵庫や、母の夜勤用のストックのお菓子、防災用の非常食なんでも食べた。食べ物のことで母に怒られることも増えた。かなり厳しく言葉で責められた。今思い出しても悲しくなることを言われた。冷蔵庫に鍵をかけられた。

自分が惨めだった。


大学のスクールカウンセリング室に行ったり、単発でメンタルクリニックにいったが、自分のことを話せない。

先生から薬やカウンセリングを勧められ、短い診察で終わり。だれも助けてくれないんだ。と何回か通うこともあったが、自己中断。絶望していた。

母にカミングアウトして上記に同伴してもらったこともあるが、責められている感覚がして、心をより塞ぐ。

カウンセリングで言い合いになったこともある。母と言い合いになるとこのままヒートアップして、自分のことをありのままに話したら、見捨てられるんじゃないかって、怖くなって自分から身を引いてしまう。

母からは「どの辺がつらそうなのかわからない、好きなもの食べて飲んで、生活してんじゃん」と言われたのが印象に残っている。

でも確かに、周りからはそうみえるように必死に演じていた。

大学1年の後半から実習、授業、以外の時間は過食費のためにバイトを掛け持ちしていた。

この頃には過食嘔吐にほぼ移行していた。過食だけの時よりも体重が減っていた。それについて、友人や親に褒められて優越感を感じた。

母と妹は私は常にダイエットしていた。誰が一番短期間で痩せられるかを定期的に競っていた。私の携帯には母妹、私のダイエットビフォーのお腹の写真が何枚もある。

体型に関する評価が挨拶のようだった。私は率先してやっていた。

それをバネにもっと頑張ろうと思う。摂食は、早くやめて幸せになろうと毎回誓う。でもやめられない、またこの繰り返し。

いろんなところでバイトをした。飲食が提供されるお店では、客の残した唐揚げやポテトを盗み食いするようになった。自分のセーブがきかなくなりそうな危険を感じて、すぐ辞めた。

雑貨屋では朝まで働くこともあった。自分の生活が過食嘔吐で埋め尽くされるのが悔しくて、大学の友達とたくさん遊んだ。誘われたらいかないと、断ったら孤独になる。と思っていた。

スノボ、ライブ、フェス。楽しい時間もあったが、どこか感じる心地悪さ、無理している感じ、埋まらなさ、結局帰りには過食している。

自分の好きなもので埋めようと服もたくさん買った。もちろんギリギリの生活。親や、妹の財布から現金を抜いていた。

国家試験に合格。試験期間になると過食嘔吐が収まる。試験モードみたいになる。試験が終わるとじわじわ復活する。

こんなに病んでいるんだから、病んでいる人にむけた看護を学べば、自分も救われるんじゃないかと考えて、精神科病院に就職したいと思っていた。

大学付属の病院から奨学金をもらっていて、4年間勤めることが返済なしの条件だったので諦め、別の病院に就職することになる。

■就職■

内科外科混合の個室病棟配属になる。覚えることたくさん、先輩ちょっと怖い、夜勤もある。仕事が終わったら飲み会、そのあとは過食嘔吐の日々。

出来る子だと思われたいから、予習もして、他の同期に負けないようにしていた。

疲れ切った。無理だった。

半年ほどで休職。休職したはいいものの、なにも改善しなかった。どうしたらいいのかわからない。働かなければのプレッシャー。仕事を変えたらいいのかと思って、退職。奨学金は父が肩代わりしてくれた。

爆買いしていたアパレルショップに就職する。初めは新鮮で楽しかった。症状は出なかった。痩せて、着たい服が着れるようになったり、周りに褒められるのが嬉しかった。

慣れてくるとまた過食嘔吐が現れた。一人で締め作業をする時、休憩中に過食嘔吐するようになった。頭はそっちでいっぱいになる。

元の過食嘔吐の生活スタイルに戻る。そうすると看護師の方が稼げるなと。アパレルは3ヶ月でやめ、また看護師に戻ることになる。

ここで、「結局母が言ったように私は看護師に戻るんだな」ってよく思って自分を惨めにしていた。

春、実家の近くの病院に第二新卒で入職一般科に配属、入社式と3日ほど勤務して、行けなくなる。過食嘔吐が行動を止める手段として板についてきている。

夏前、第二新卒としてまた別の病院に入社。看護部長に摂食障害のことをカミングアウトする。それでもいいよって言ってくれたのが嬉しかった。

ここで頑張ろう、生まれ変わろう、と思った。病気を治そうというより、食べ吐きをやめよう。と誓った。

けれど今まで誓ってはダメだったのと、大差ない。自分を苦しめるのは誓いである。

スーパー救急病棟に配属。男性スタッフが多く、独特のノリについていけない。仕事もやることの振り幅が多くて追いつかない。

身体を診ていたときよりも、患者理解に苦しむ。過食嘔吐しながら日々ヘロヘロでも日勤頑張った。実家から車で15分くらいかけて通勤していたが、帰りはコンビニによって、菓子パン食べながら片手運転して帰っていた。

よく交通事故に遭わなかった。働き始めて3ヶ月。夜勤が始まろうとしたころ、限界を迎える。働きたくない、もう無理だったんだと思う。

日勤の日、駐車場について、泣きながらその日の弁当を食べ始めた。車の中で過食して休みの電話をした。

一週間くらい休んで、看護部長と面談。働かなきゃ価値がなくなる。家族に顔向けできない。なんとかして働かないといけないと思っていた。見えないものに怯えていた。

慢性期病棟に移動になる。この看護部長との面談で、摂食障害専門のケアラーを紹介される。

慢性期病棟は比較的落ち着いている患者が多く、スタッフも70代の鉄人のような看護師がいたり、癒されることも多く、楽しく働けた。

うつや、休職経験のあるスタッフもちらほらいて、訳ありの病棟扱いだった。自分の教育担当についてくれた16個年上の先輩が摂食障害だった。

症状について細かく話すことはなかったが、精神的に支えられていたと思う。けれど過食嘔吐の症状は全く無くならず、むしろ悪化していた。

実家を出て、病院の寮、妹と三鷹で二人暮らしをする。これまで何だかんだ親の目を気にしていたが、そのたがが外れる。外に飲みにいくことが多くなった。

酒の量が多くなる。一回の過食に使う金額がこれまで以上に増えた。休みの日で妹がいない時は一日中過食嘔吐していた。

朝起きて、スーパーや、チェーン店、コンビニ行って過食嘔吐して、力尽きて、寝て昼にもう一回して、夕方に飲みに行って、帰りに過食して嘔吐して、力尽きて寝て、次の日仕事。デリバリーサービスの存在を知ってからは、頻繁に使っていた。リボ払いの上限になり、カードは停止。

看護師3年目になって仕事も慣れる。後輩の指導担当になる。職場では自分が役に立っていないと、貢献していないと価値がなくなるという恐怖から、自分から仕事を求めて、他人の分の仕事もしていた。

自分や同期がどんな評価を受けているのか知りたくて、上司のパソコンデータをチェックしていた。他の人とと比べて自分が優位であることでしか、価値を確認できなかった。

職場の偉い人や中心の先輩に媚びをうって、一生懸命できるキャラ、好かれるキャラを演じていた。

飲み会の席では、その後の過食嘔吐にもちょうど良かったので、酒を飲みまくって、盛り上げ役に徹していた。

慣れから、休憩室にある他人のストックしていた食べ物を盗み食いしたり、夜勤中に過食嘔吐するようになる。二人夜勤体制だったので、相方が寝ているときに急いで詰め込んでいた。

限界ガタガタ。

2019年4月末。ロサンゼルスから帰国していたケアラーさんに母と会う。とある病院の入院を強く勧められる。入院なんて信じられない。

自分の勤務する病院にも摂食障害の患者さんはいたが、中庭で見かける程度で、接点はなかった。自分は治療なんて受ける身ではない。自力しかないと思っていたから、そんなに重症なのか?とショッキングだった。

仕事を休む、辞めるなんて考えられない。父に失望されるんじゃないか、とその場で大泣きしたが、強く勧めてくれて、入院することになる。

ベットが空くまで1ヶ月待ちだった。職場に相談。入院するギリギリまで働きたいと希望し、そうなったが、入院していいんだと実感がわいたら急に働きたくなくなる。結局すぐ休職。

1ヶ月待ちのうち3週間は家で過食嘔吐して過ごす。入院の前日まで、沖縄旅行した。旅行どころではなかったが、友人に怒られたくなくて言い出せず、楽しむスイッチをフル稼働させて参加した。

友人の気を損ねない振る舞いをすること、食べ物のことで頭がいっぱいだった。

■入院■

3ヶ月摂食障害専門病棟で入院する。初めは周りの子達のことがとにかく気になった。

見た目で比べたり、年齢、仕事、入院歴、自分なんかが入院していていいのかと、自己嫌悪の感情でいっぱいだった。

開放病棟だが、行動制限があって、診察で相談。1ヶ月単位で行動範囲が少しづつ広がる。最後は半日出掛けられるように。入院仲間と電車でショッピングモールに行ったりした。

決まった時間に、栄養のあるものを食べて。回復に向けて様々プログラムを受けた。自分の中には感情、思考、が駆け巡っていること、頭の考えで自分をコントロールしきるのは無理だっていうことを、身をもって知った。

端っこにすぎないが、今まで摂食障害の症状で頭がいっぱいだった時には気付けなかった。入院して、環境的にも、気持ち的にも、守られていると感じた。治療に専念していいんだって感じられたから、治療、つまり自分に目を向けることが私はできたんだと思う。

たまたまわたしはそういう機会を迎えられた。病棟の看護師さんや先生にかけてもらった言葉に、たくさん救われた。

病気に向き合うことの辛さをわかってもらえて、さらに手放しで応援してもらえていると感じられた。


ここでもう一度生まれたんだよ、ここは第二の故郷だと思っていいんだよ」とか。「一回入院したからって、すぐ治るわけじゃない。でも、何回でも入院していい、失敗じゃない」とか。

退院したら病院のデイケアに3ヶ月ほど通って、いくつかのプログラムをもう一周受けるパターンの子が多い中、私は東京の実家に戻ることに決めた。わざわざ東京から母と妹が来て家族会に参加してくれた。

その後2人が外泊した。北九州から博多まで出かけて、もつ鍋と観光した。その時は元気アピールしてしんどかった記憶。

退院したら、もう完治しました大丈夫です!という白黒思考が何度もやってきては、現実を確認して、それはハードル高いよっていうのを退院まで繰り返した。

入院中の仲間とプログラムでそういう話を共有できたのも良かった。退院するに当たって、家族に向けて手紙を書いた。もう少し休みたいと思ってることや、体型に関する話、ダイエットの話は控えて欲しいこと、その辺のことを書いたと思う。

主治医と同じプログラムの講習を受けてるスタッフがいるデイケア、およびクリニックを紹介してもらう。

■退院■

生活のリズムがだんだん決まってくる。

家族との距離感、特に母の顔色をいかに伺っていたのかが、みえてくる。

家族のために何かしていないと、自分の価値がなくなるんじゃないかと、料理や掃除をすすんでやって出来るこアピールをする。

しかし、母は整形、妹はボディビル、父はトレーニング、それぞれ自由に楽しそうにしていて、わたしがどれだけ家族に気にかけているのか、病気を背負って辛い思いをしている中でも、認められたくてもがいて苦しんでいるのかを、わかってもらえない!!の思いがどんどん大きくなる。

すごく腹がたっていた。

その爆発をデイケアのスタッフさんや、先生、幼なじみ、バイト先のよくしてくれるおばさん、SNS、紙に小出しにぶちまけた。

家族に縛られ、守られて、隠れて生きてきたから、こう思うのも無理ないなと、客観的にみられるようになった。

ペリペリと、自分が母や、家族のかさぶたとして、へばりついていたのが剥がれていく感じがした。
自分は自分として生きていく自由と、寂しさを感じた。

いろんなところに支えがあることも知った。

少しでも楽に生きれるように、隣駅に一人暮らしを始めた。

現在退院して1年5ヶ月。過食嘔吐は一度もしていない。午前中はオンラインでヨガして、デイケアに向かう。昼ごはん食べて、午後のプログラム受けにいく。

摂食障害のオンライン自助グループと、年明けからNABA(自助グループ)に入会してみた。セクシュアルマイノリティなのでは、と思いそちらの自助グループにも参加してみている。

疲れてる時、絶望しているとき、過食嘔吐は頭の中をよぎる。行動しようかと、あれ買って、この順番で〜と脳内で計画することもある。

それでもしないのは、過食嘔吐をしても本当に一時的な気晴らしにしかならなくて、むしろ、何も解決しないし、時間とお金を使って、部屋も汚して仕事が増える。結局絶望することになるから。

絶望の大きな波が小さくなるまで、現実的な地味なコーピングをした方がまだマシだと、知ってしまったから。

最高の効果を持つ、コスパの悪い過食嘔吐を失って、人生がつまらなく感じることが増えた。

寒いのが苦手で、生きるのがしんどい時期。

最近はとにかく絶望している。楽しみや幸せに対してのハードルをもっと下げたい。

■追記■

爆発する。
我慢していたことたくさんあった。
それらが爆発。
取り扱い方がわからなくなって混乱していた。


1週間前から、癒しであったヨガ中にもネガティブな反芻が止まらなくなったり、希死念慮が強まっていた。

こうしないといけない!の思考が溢れていた。過食嘔吐して、終わりにした方が楽だ!とささやく。

過食嘔吐したあと、実行した。

気がふっと抜けて、意識が遠のく感じがした。それまで頭の中がぐるぐるでいっぱいだったのに、部屋がすごく静かになった。

怖くなった。妹と、バイト先の受付のおばさんに電話した。今は実家に連れてってもらい、療養中。

また入院前提でお薬のんでます。


#198 おわりに

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

摂食障害で苦しんでいる人は多くいます。皆、「自らの命」を喰らいながら生き抜いています。

多くの当事者とわたしは、友人関係にあります。

そういうこともあって、本当は、希望に溢れ、未来があり、病気になっても、辛くても、生きていけるよ、と。そんなメッセージを届けたいという思いも。

しかし、現実はそうではない。そうではない現実を歪めて、輝かしく見せることが、この現実を変えていけるとは、わたしは思いませんでした。

人生は続く

ある当事者の友人から聞いた言葉です。病気であろうがなかろうが、それは続いていくし、長く、虚しく、辛いものです。何かを変えることが出来るのだろうか。

そういう思いで映画を製作しています。いつかハッピーエンドで終る作品が撮れるその日まで。

今回の作品においてわたしは「わたしはわたし、あなたはあなた、わたしはあなたじゃない」というセリフを用意しました。

どうか、自身の人生を他者と比べないように。苦しくとも、あるいはうれしくとも、それは間違いなく、あなたの、あなただけの大切な感情です。

映画の公開はもう少し先になりますが、なにとぞ引き続きよろしくお願いします。

DieAter監督
藤本 純矢(ふじもと あつし)

参考note


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