僕はこの国で男性に生まれた。
タイトルの通りですが
低気圧爆裂中でもnoteを書く。古傷(過去に鎖骨を折ってましてね)が痛むなあ。
先日、小田急線で殺人未遂事件が起きた。36歳男性による凶行で、10名の被害者が出たし、それにより間接的な被害(遅延等)を受けた人も多かったろう。事件に合われた方には、改めて心を配りたいと思う。
さて、そんな凶行の動機についてが話題になっている。「幸せそうな女性を見ると殺してやりたいという気持ちが芽生えていた」「大学時代にサークル活動で女性から見下され、出会い系サイトで知り合った女性ともうまくいかず、勝ち組の女性を殺したいと考えるようになった」と供述しているそうだ。
また、実際に最初に狙われたのは目の前に座っていた大学生の女性だった。
詳しいことはあまり分からないし、これについて女性差別という意見や、社会問題からくる歪みだ、と色々な意見がSNSでは出ているが、そういった問題を専門的に扱っているわけではないので、言及は控えておく。
被害者がいて、加害者がいる事件だ。
まずは、どうか司法によって適切に裁かれてほしいし、行政は再発予防に努めてほしいし、まず間違いなくトラウマが残るであろう被害者の方々の心のケアが、順調に進んでほしいと思う。
一方で、事実として「女性属性というだけで、男性属性の加害者から命を狙われた」ことは間違いないと思う。
これについて、以前からモヤモヤと思っていたことを書くのが本日のnoteだ。
僕は男性だからこの国では恩恵をたくさん得ている
日本は男尊女卑のある国、というのはしばしば言われている。
先日発表された、世界経済フォーラムのグローバルジェンダーギャップ指数2021でも、156ヵ国中120位で、相変わらず政治経済分野でのギャップが激しいと指摘されている。
大枠にして難しい問題と考えると、中々ぱっと分からなかったりする。そういえば、医学部の不正入試問題も記憶に新しい。
そして確かに、男性というだけで優遇されている場面はしばしば見かけることがある。雑務を押し付けられたりしないし、花嫁修業はよく聞けれど、花婿修行はあまり聞かない。
だが、事態はもっと深刻なのだ。しかし、それに私は気付けない。なぜなら男性だからだ。
男性属性というだけで、回避できる危機が多い。最初から免除されている危機について、きちんと把握できるかといえば、無理なのだ。
それはどういうことか?
最も顕著なのが、冒頭のくだりである。女性属性なだけで命を狙われるのだ。そんな経験は私は無い。とはいえ属性に関わらず命を狙われることはあまりないので、極例ではあるけれど。
極例ではないものもたくさんある。
女性が犯罪に合う確率がこちらだ。あまりにも多くないか…
「女性属性だけで殺人にあうのなら、殺人事件被害者が男性のほうが多いのはなぜか?」と思うかもしれないが、諸外国に比べると、女性の割合が高く出ている。
殺人には、業務上過失致死傷なども含まれており、明確にターゲット化されていないものも混ざっている。その中で、割合が高く出ているのであれば、意図的に狙われている可能性がしばしば混ざっているのではないか?という話になってくる。
なにより、性被害やひったくりに関しては、圧倒的に女性が狙われている。それも男性からだ。
男性だって受ける!!男性は言いにくいから認知されていないだけだ!!
たまにこういう意見を聞くのだが、それを加味しても多すぎだろ、という話だし、泣き寝入りということなら女性にだって当然あるんだよな。
どう考えても、この国では男性属性の方が安全なのだ。
だって、そうだよ。
夜道を歩くときに警戒しなくてもいいもの。
オートロックじゃないマンションにも住めるもの。
外で普通に洗濯物も干せるもの。
飲み物になにか混ぜられていないか心配しなくていいもの。
エレベーターで男性と二人になっても心拍数を上げなくて済むもの。
道を歩いていていきなりぶつかられないもの。
歩いているだけで暴言を吐かれることもないもの。
電車に乗るときに男性の存在を確認する必要が無いもの。
たぶん、もっといろいろある。勿論、環境要因や、個人の構え方によって、ギャップはあるだろうけれど、少なくとも男性属性なだけで、これらはかなり免除されていると思う。
そんなことはない!男性だからこの心配事が無いわけではない!
と男性が言うことは決して出来ない。なぜなら、実体験に伴っていない。どこまで吠えても我々の意見は「仮説」に過ぎない。
私たちはこの国に男性属性として生まれた以上、女性属性によって感じなければならない不安については、知ることは出来ても、体験することは基本的には出来ない。
私には妹がいるのだが、妹も過去にちょっとした性被害にあっている。泣きながら帰宅した小学生の妹の顔を、今でも覚えている。
恐怖に泣いている人の表情を見る機会は、あまりないのではないか。悲しくて泣くこと、悔しくて泣くこと、感動して泣くこと、そういうものはしばしば見かける。
しかし、恐怖におののき泣くというのは、そんなに見かけるものでは無い。あの時の妹は、恐怖におびえて泣いていた。
幼かった私だが、そのケアをするのは私ではないことはすぐに悟った。それは母親の役割だった。私は怒りを表明するにとどめた。
なぜかって?妹は「男性」に対して恐怖を覚えたからだ。そして私は例え兄妹とはいえ、紛れもなく「男性」だったからだ。
男性属性は有利なのだ
事実としてそのような構造になっていると思う。
しかし、男性属性であるがゆえに、そのことを真に理解できない。理由は前述のとおり体感が出来ないからである。
だが、理解できないからといって、否定する必要は無い。すべての問題が自分の理解の範疇にあるわけがない。むしろ多くの問題は、自分の理解の範疇の外にある。これは、男女の問題に限ったことではない。
そのはずなんだけれど、どうにもこうにも「否定したがる男性」が目についてしまう。そんなことは無いのかもしれないけれど、私が単純に女性から話を聞く機会が多いからかもしれないけど、あまりにもおかしな言動が聞こえてくることが多い。
夫婦の話。何度も聞いたことなのだが、「家事・育児」は“女性がするもの”と今でも信じ込んでやまない男性がしばしばいる。普通に分担してやるものだと思うのだけれど(その結果どちらかが10割負担になるケースがあるとは思う)。
当たり前にやってもらえると思い込んでいる人が多いし、いざやるとなったら“やってあげてる感”を出す男性が多いように思う。
なんでなんだろう(笑)
それについてを相談したら“自分には仕事がある”とか“俺より稼いでみろ”とか、平気で言う男性もいるらしい。その理論も謎だし、扶養に入っていればむしろ稼がれると困るはずだし、男性のほうが収入を得やすいという現実も存在している。
自分で手にしたわけではない「属性による有利性」を掲げて、本来負うべき責任から逃れるというのは、どういうことなのだろう。ちょっと、よく、わからない。
この現状を、女性軽視と呼ばずして、なんと呼べばいいか私にはちょっとよく分からない。
もちろん、女性属性であるがゆえに得られるメリットみたいなものも、恐らくあるとは思う。それも当然のことながら、私は体感できないので、言及は出来ない。
時々言及している人を見かけるけれど、それは「男性の感想」に過ぎないと思う。まあしっかり研究している男性が述べたとしても、「しっかり研究した末に出した統計的な感想」とかになると思う。
男性の生きづらさについて
さて、私も男性であるがゆえに、男性属性において存在する生きづらさに関しては言及が出来る。
男らしさを求められる、同調圧力のようなものは本当にしんどかった。
私は昔から体も強くなく(握力18Kgとかなんですよ)、インドア派でもあったので、小学校位から始まる「男の子は元気いっぱいお外で遊びなさい圧力」とか、「男は泣くな!たくましくあれ!圧力」みたいなものは、かなりしんどかった。
このような統計がある。“日本男児的”な生き方を強いてきた結果のひとつだと思う。また自死についても、男性は女性の2倍程度というデータがある。
女性からバカにされて、それも男性であることで卑下されて、傷ついた経験のある人も、そりゃあいるとは思う。そういう話を聞かないわけではない。
でも、それは全部、女性にも言えることなのだ。
この男性の生きづらさは、別に男性に限らず「性別という属性を押し付けられることによる生きづらさ」であり、同様の悩みが、対する女性にも存在している。
前述の問題を加味すると、男性は「女性属性の存在によって生きづらさを感じること」はそれほど多くないと思う。女性は「男性属性の存在によって生きづらさを感じること」が、確実にあるのだ。
繰り返すが、男性属性である以上、夜道を歩く危険性を感じることは殆どない。女性属性の方がそれを感じるのは、同じ女性から受ける行為ではなく、男性から受ける行為によって感じている。
そういったことが多く存在している。
生きづらさの解消を外注してきた
さて、そういう訳で男女に限らず「属性による生きづらさ」は間違いなくある。
そしてその問題は、各々で解消しないとならない場面もあるし、時には意見交換による摩擦も必要かもしれないし、協力が必要なこともあるだろう。
そのはずなんだけれど、男性の私として感じるのは、男性は「生きづらさ」の解消をずっとずっと“外注”してきたように感じる。
女性側の状況は分からない。私が男性属性だから。
同じように外注している女性の方もいるのかもしれない。少なくとも、自分の属性に関しては体感的に分かることが多い。
傷ついた心を、飢えた承認欲求を、女性に求める男性が多いように感じる。
過去に非常に仲良くしていた友人がいたが、彼もまた決して悩みを私に打ち明けることは無かった。その弱音の殆どを、女性に預けていた。
なんなら私はその女性たちから間接的に彼の弱さを聞いてばかりいた。自分は無力だなと思ったものだ。近くにいる大切な友人のことも分かってやれないのだ。もっと、話を、するべきだった。
彼に限らず、多くの場所で、男性同士が悩みを打ち明ける機会は少ないように思う。そして、どちらというと競争になるような話を互いにしあっている。
誰がどんな女性を抱いたとか、どのくらいお金を持っているかとか、そういう話。最近落ち込んでいるんですよね~と話せば、お姉ちゃんのいるお店でも行こうぜ!と慰められる。私は求めていないけれど…
そういう話は、私の心を何も埋め合わせてはくれなかった(それでいい人もいるんだろう)。
幸せそうな女性に加害したり、最初からある男性属性を使ってマウントを取ってみたりするのも、自尊心の外注に過ぎない。自分たちで何かを解消しようとしている様子は、あまり見かけない。
もし男性属性による不当を感じているのであれば、時に怒りを表明するべきだ。そしてそれは当たり前だが「女性に向けるもの」ではない。自分が不当に扱われている、と声を上げる時に、別に他責をする必要は無い。
こう扱われ、こう感じた、だから怒っている、と正当に声を上げればいい。
女性に虐げられたから、女性に腹が立っている!という主張も、そこに明確な差別が生じていれば、それほどおかしな主張にはおそらくならない。ただそういう状況は、恐らくほとんどない。
怒りで表明するのではなく、癒しを求めるならば、仲間と手を取って打ち明ければいい。悲しみは、誰かと分かち合ってしか消せない。その時に、属性は関係ない。
もし「男らしさ」を求められたことにより、プライドが邪魔をして同姓には言えないというのであれば、それは「自分の問題」である。
それを解消してから「男らしさ」を求めてきた社会に怒ればいい。その矛先が「女性」になることは、おおむね矛盾の中にあると思う。
こういう態度でいたいなと思っている。
最後、なんだか言語にするのが難しいので図にしてみた。
女性の尊厳を守るために、女性が怒りを上げることは当然だと思う。それについて、同じ男性属性にも関わらず、非難をするのは加害性を認めていないことになると思っている。それは、違うと思う。
かといって、わかるよ、わかる~と言って当事者の男性を責めて、女性の味方でいようとすることも私は違うと思う。だって私たちは男性だ。女性が訴えっているのは、男性属性によって尊厳を踏みにじられたことへの怒りのはず。
ここで味方になろうとすることは、やはり加害性を認めていないことだと思うし、自尊心の外注でもあると思う。
私が望んでいるのはこういう状況だ。
この問題は、我々が男性属性で生まれた以上、決して放置してはいけない、見捨ててはいけない問題だと思うからだ。
当事者の彼は、いつかの自分かもしれない。過去の自分かもしれないし、これからの自分かもしれない。自分では無くても、未来の家族の姿かもしれないし、友達の姿かもしれない。
そういう状況は目の前にあるのに、そこから目を背けていくことは、違う。まして責任を転嫁するのは全く違う。
今までこういうことをやってこなかったツケでしかない。我々男性属性を生きるもの達は、思慮深い対話をお互いにやってこなかった。
もちろん全員ではなないと思うけれど、これほど有利に発展させてもらっていながら、お互いに助け合い、仲間を癒していくという文化を全然育てられずにきた。
この責任は、我々男性属性のなかにある。
そのことを女性から責められるのが快くないとは思うかもしれない。本来ならば、一様に責められるのはおかしいからだ。でもそれは本来機能すべき点がまったく機能してないからにすぎない。なによりそのことを、怒っているのだ。
本来は同姓同士で、時に厳しく責めたり怒ったりしながら、しっかりと解決してこないとならなかったことだと思う。
もしかしたら私だった人と友達でいられるかなあ
長くなったけれど、以上、モヤモヤしてたことを言葉にしてみた。
改めて思うけれど、非正規雇用で色々なことがうまくいかなかった36歳男性という肩書は、なにぶん自分とそんなに大きく変わらないような気もする。
どこかで同じ道を辿っていた可能性は全然ある。在り得ないと否定出来るほどの環境が、十分にあるとは言えない気がする。
彼は「もしかしたら私だった人」だ。
そんな彼と、仲良くできるだろうか。いや、仲良くしたいなと思う(もちろん今となってはそうもいきませんが…)
いま、仲良くしてくれているすべての友人のおかげで、自分は今日も理性を築けているに過ぎない。
自分の出来ることを、少しずつ、少しずつ。
私の意見が必ずしも正しいとは別に思わないけれど、私はそういう人でありたいとは思う。
かしこ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?