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皇族の結婚

 皇族の結婚については、ここに語るよりずっと大きな問題があって、それはいずれ日本中が考えなければならない問題となるかもしれないが、今はそれとは別に

 眞子様おめでとうございます。どうぞ末永くお幸せに。


プレスの身勝手

 小室氏も眞子様も、共に30才という大人であるから、もし一般人でも、ここまでつきあって、結婚したいという意志が固ければ、他がとやかく言うような状況ではない。特に小室氏は就職も決まったことだし、ここからは2人で手を取り合って頑張るという事が順当であろう。

 どちらかが大きな資格得て、職を得たいという希望があったとき、それが叶うまで結婚を待って支えるというのは、一般にもままある話だ。それがようやく果たされて、晴れて結婚にこぎ着けたと考えれば、きわめておめでたい話である。

 もしこれが一般人であれば、他人の結婚に陰口をたたくなど、公にすべきことではない。もし知人に結婚する人がいて、その2人について、門出を汚すようなことを大声で言う事は、憚られると考える方が普通だろう。それが良識のある大人の対応だ。

 そして結婚後は、他人の家庭のことに首を突っ込まないのが良識だ。

 一般人ならそれで他人の意見をシャットアウトできる。それでも首を突っ込んでくる輩は、むしろそうした輩の方が常識を逸脱した人間であって、攻められるのは、こうした輩の方だ。

 決して結婚する当事者ではない。

 一般人であれば、それを貫くことが一番正しい選択だ。

 となれば、結婚に際して、マスコミに情報を流す必要があるだろうか。

 もし私が同じような問題に見舞われたとしても、当然それを改善するためにしなければならないことはあるが、その中に関係のない他人に情報を垂れ流すことは入っていない。

 マスコミは、情報を流すことで飯を食っているのだから、当然何一つ情報が出なければ困るのである。だから情報を欲する。欲することは勝手だが、出すかどうかは当事者の判断による。ところが、マスコミはあらゆる手を使って情報を取ろうとする。

 私はよくTBSを見ているのだが、主要テレビ局の解説委員と称する人たちの中に、まるできちんと会見してこちらの質問に答えることが正しいかのような発言が散見される。彼らは、まるで自分たちが一番正義のような顔をしている。決して自分たちの飯を食うために情報が欲しいとは言わない。

 今回、結婚後の記者会見に質疑応答がなくなったという点で、当初は主要テレビ局の解説委員なり、皇室担当なりの人間は、質疑応答がないことがまるで悪いかのような発言を繰り返していた。ところが今回は全く質疑応答していないわけではなく、ただ口頭の返答がないだけで、文書での丁寧な返答は存在した。それだけでもずいぶん親切な返答だと思うし、皇族という特殊な立場にあった人なので、しなくてもいい我慢をここでも強いられているわけである。

 ところが実際の文書による返答を見ると、小室氏と眞子様側が、記者会見での口頭の返答を断ってきた原因となりそうな質問というのが、週刊誌側からの質問であったことが発覚した。返答を読む限り、その質問が質疑応答を文章にしたいとした原因である事はほぼ明らかだ。

 ところがその事実が出たとたんに、主要テレビ局は手のひらを返したように、週刊誌の質問を叩き始めた。まるで質疑応答がなくなったのは自分たちのせいではなく、週刊誌のせいだと責任転嫁をするかのように。

 実際には、記者会見などなくていいのである。

 ただ、皇族の結婚後は、結婚式後にさらっと会見をするのが普通だから、それをここでもという希望をマスコミの側から求めていたのだが、本来はそれすらも応じる必要はなかったと思う。そもそも結婚後の記者会見などする必要はない。大きなお世話だ。だが、芸能人と同じだが、皇族は多くの人の関心の的だから、ある意味、皇族側のかなりの配慮の結果、記者会見するのが通例となってきた。しかしこのときは暗黙の了解があり、質問は、幸せな結婚を祝う内容でなければならない。その場で結婚の当事者が不快になるような質問をしてはならない。

 一般人が誰かの結婚式に呼ばれて、相手が不快になるような発言をしたら、その人間の方が式からつまみ出されても文句は言えまい。

 マスコミ側もそういう不文律は守るのが当たり前だ。

 今回の記者会見も同じである。今回の記者会見も、小室氏と眞子様の結婚を祝って、「これからどのような生活をしたいですか?」とか、「今のお気持ちは?」とかの質問で良いのである。幸せそうな2人の笑顔を映して終わりでいいのである。

 2人に、「迷惑かけてごめんなさい」みたいなことを、この場で言わせる必要はない。どうしてそんな必要があるのだろうか。

皇族はもう人間です

 日本は第二次世界大戦で負けたときに、皇族のあり方に大きな変化が起こった。現人神であった天皇は、人間宣言をして、『人』であることが公式に決められた。その後天皇は、現代の象徴天皇のあり方を模索し、先に上皇陛下が会見によって語られたように、現代の象徴天皇とは、国民に支えられてこその天皇であり、それは天皇自らの行動によって判断されるという考えが深められている。

 これは、普通の人間と同じだと言うことだ。

 一般人は、人間である。基本的人権がある。基本的人権とは、自分の生まれ育ち、血縁にかかわらず、自分の存在価値を認められ、自分の行動と業績によって判断される存在であるということだ。

 だが現在の皇族はそうなっていない。

 皇族だけが、日本の法律の中で血統によって正式にその地位を定められる。そのことが大きな影響となり、人であるはずの皇族は人として扱われない存在になっている。

 日本人は、結婚の自由も、職業選択の自由もある。もし働けなくなったり、何らかの理由で困窮すれば、政府はその国民を助けなければならない。日本にはそのための制度もある。それは裏返せば、自分の人生を自分で決められると言うことだ。

 国民の多くが気づいていないかもしれないが、我々は多くの人が税金を払っているが、我々が税金によって助けられたり援助されたりするのは、税金を払っているからではない。日本国民であるからだ。日本という国は、働ける人が働いて税金を納め、働けないときにはそこから助けてもらうという制度になっている。中には一生働けない人もいる。歳取って働けない人もいる。しかし等しくそうした人たちが国からの援助をもらえるように制度を作った。それはそうした方が社会全体が良い形で維持されるという事を知っていたからだ。

 皇族は一般人に比べてもかなり働いている。しかも能力もあり収入を得る手腕も持っている。しかしそれを駆使して金儲けをすることは出来ず、独自の財産もほとんど認められない。よって税金より生活費や活動費が支給されている。皇族を「税金によって喰わしている」と称する人がいるが、それは逆である。日本は皇族にかなりの仕事をさせているが、そのために彼らが自らの裁量で資産を得ることを禁じている。その代わりに、国から生活費や諸経費を与えている。つまり国歌が潤うために、皇族を働かせ、皇族個人が自由に職業を選択し資産を得ることを妨げている。

 この状況を『喰わしてやっている』とは言わない。『喰えないようにしている』『無理矢理働かせている』と言った方が真実に近い。『搾取している』とも言えるかもしれない。

 皇族がこの先どうなるか

 個人的には、総理大臣より皇族の方が日本に貢献していると思っているので、できれば現在の皇族がこのまま存続してくれることを願っているが、現皇后陛下が、皇太子妃であった時代に、長くメンタルの病気を得ていたという事実、また今回は皇族に生まれ育った眞子様が、やはりメンタル的にかなり苦しい立場に置かれ、病名がついていたと言うこと。それを考えるに、少なくとも皇族の女性には、かなり精神的に厳しい状況が存在していると言うことが明らかになっている。

 この状況は異常であり、この異常は改善されるべきだが、このことを考えたとき、皇族がこのまま存続することが良いのかどうか迷うところはある。

 皇族という存在に国民としてかなり頼るところがあったと思うし、日本の文化面から見ても、皇族はとても貴重な存在ではあるのだが、そのどれを取っても、人間がそのために自由を奪われ、心を病んでいい理由にはならない。

 皇族は人である。

 役割として皇族にあるだけだ。

 ならばその役割をしてくれる人たちは、もっと守られていいはずなのだが、残念ながらそうはなってはいない。

 やがて皇族が途絶え、日本からいなくなったとしても、それは仕方がないのかもしれないし、残念に思えど、悲しむような事ではないのかもしれないとと思うようになっている。

 

 

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