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自然と暮らす

大人になってから自然に触れる機会が減った。たまに山登りをしたり、海を見に行ったりすることはあっても、生活の隣に自然がある感じはしない。近くにあっても、もっと遠く、なんなら遠ざけていた気もする。子供の頃は蝉や毛虫を素手で鷲掴みして、草履を脱ぎ捨て裸足で鬼ごっこしていたのに、大人になってからは部屋へ虫が入ってくるのを嫌い、コンクリートで固められた日当たりの悪い部屋にずっとこもっていた。人工物に対して憧れみたいなものでもあったのだろうか。

海の街で暮らすことになった時、私は自然を求めていた。自然の中でも海が好きだから海の近くの家をチョイスしたけど、大枠で言えば自然の近くで暮らしたかった。ずっと遠ざけてきた自然に不思議と心惹かれている自分がいて、どんなに遠ざけたところで人間も所詮は動物で、本能的な部分で自然に帰りたくなるのかもしれないと思った。

私の今の家は海の近くなのはもちろん、伊豆半島ではよく見られる山の斜面に沿って建てられている。高台だから津波の心配はないけれど、土砂災害危険区域だから下からよりも上からの心配がある。それは覚悟の上でこの場所に決めた。自然の近くで暮らすなら、何かしらの覚悟は必要だと思っている。言ってしまえば高層ビルが立ち並ぶコンクリートの中で暮らすのも同じことで、いつ地震が来て崩れ落ちてくるかは分からない。コンクリートがいいか、土砂がいいかの違いなだけであって、タイミングは選べないけど、場所はある程度選んでおける。

そんなハザードマップ真っ黄色の場所に古い軒並みがあり、私の家は築50年も経っている。当然木造建築で、一部の部屋は畳に障子と言った昔ながらの作りになっている。木があるだけで何だか安心する。ダイニングテーブルやブラインドを本物の木で作られたものにしたかったのは、それが理由かもしれない。築50年にもなると色んな場所に隙間があって、虫が侵入してくる。最初はギャーギャーと大騒ぎだっけど、流石に見慣れてきた。隙間は見つけ次第埋めている。最近は暖かくなってきたからか作業部屋によくハチが入ってくるようになり、その大きな隙間を埋めるのに躍起になっている。そろそろ隙間埋めのプロになれそうだ。周辺には多くの野良猫が暮らしていて、よくベランダや玄関前で遊んでいる。その子たちとの縄張り争いなのか、他所から来た野良猫にフンをされて、2回ほど掃除させられた。あんまり書くと自然の近くで暮らしたくなくなってしまうかもしれないね(笑)ベランダにリスがいたり、アマゾンかって思うほど日の出と共に鳥たちが鳴き始めたり、とにかく生き物が多い。そうした環境の中で暮らしていくうちに、いつからか地球上には人間しかいないような錯覚を起こしている自分がいたことに気がついた。人間とその他の生き物の割合で言ったら、圧倒的に人間の方が少ないにも関わらず、人間は地球を我が物顔で陣取っている。自然がなければ人間は生きていけないのに。私は観葉植物を育てているけど、とても不思議な行為だなと思っている。外で生えている植物を、自然のない部屋にわざわざ持ってきて育てている。やはり人間は自然が恋しいのだろう。


海の波の音を聞いて、空を眺めて、土を触って、鳥の鳴き声を聞いて、動物たちを見て、自分は自然のほんの一部分なのだと実感する。一部分でいられることに安心する。自分が自分らしく、人間として人間らしくいられる感じがするからだろうか。人間はとても弱い生き物だから、服を着なければ、家に住まなければ、群れを作らなければ生きていけない。そうやって生存競争を勝ち抜くうちに、自然を遠ざけすぎてしまったのかもしれないと思った。あまりにも遠ざけすぎて、ついにはバーチャルの世界で暮らし始めようとしているけれど、私はこの自然と共に暮らす方が肌に合っているらしい。まだまだ初心者だからこれから大変なこともたくさんあるのだろうけど、私も自然の一部として受け入れていきたい。

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