空気の流れに身を任せて
東京へ来ている。街ごとに変わる空気の違いが面白い。都会は人がたくさん動いているから色んな空気が混ざり合い、忙しなく不規則に流れてくるのが人間の生活を感じさせる。伊東は人が動かない代わりに自然が動かしていて、いつもふんわりとした空気に包まれているようで力が抜けてしまう。
都会へ来たら雑貨屋さん巡りをするのが最近の楽しみだ。伊東には干物屋さんや温泉はたくさんあるけれど、オシャレなお店はあまりない。家にあるほとんどの物が都会やネットで買ったもの。だからそれぞれの場所であるものとないものが明確に分かれていて、それぞれの街に役割があると感じる。
買い物ついでに風景画も描こうと思い、紙とペンを持って街へ繰り出した。引っ越したばかりの頃は、人の多さのギャップに参っていたけど慣れてきたみたい。皆んなどこかの目的地へ向かっている。用事もないのに海でぼーっとしている人や、玄関前に座ってぼーっとしている人たちばかりを普段は見ているから、私の目にはYouTube2倍速再生のように忙しなく映る。空気の違いは目的地がある人たちが集まっているか、そうではない人たちが集まっているかなのかもしれない。
特に買いたい物が決まっていなくてもお店を回るようになったのは、目的がないことの楽しさを知ってからだ。この物を買って楽しんでいるというよりも、何かを見つける時間を楽しんでいる。だから別に見つからなくても構わないし、見つかった時はサプライズ。
イスとテーブルが置いてあるいい感じの広場を見つけて、ここで風景画を描くことにした。キッチンカーで販売していたお兄さんのコーヒーは、近くのお店のコーヒーより100円高かったけど、一人で頑張っているようだったからお兄さんのコーヒーにした。お金をどこに払うのかを考えるようになったのも、自分の時間を大切にするようになったからなのだろう。
そのコーヒーを飲みながら風景画を描いた。頭の上では大きな木の葉が揺れている。身体が自然と緑があるところへ引き寄せられるらしい。隣に座っている人の電話のやり取りや、後ろで農産品を売っている声や、通行人のお喋りが聞こえてくる。全然集中できない…!昔からカフェで勉強できないタイプだったけど、どうやら絵でも難しいらしい。周りにある情報を全てキャッチしてしまう。海の音だけで十分な情報量なのに、街となるともう情報渋滞だ。
ほとほどに描いて、帰りがけに頼まれていた珈琲豆を買いに行った。種類がありすぎてしばらく悩んでいると、「そのリュック素敵ですね」と知らない女性に話しかけられた。私は嬉しくてありがとうございますと答えた。さらにどこで買ったのかを聞かれたから、お店や値段、他にもカラーバリエーションがあることも伝えると、帰り道にその店があるから寄ってみますと嬉しそうに去って行った。おそらく普段から知らない人に話しかけている人なのだろう。私も最近では話しかける人になってきているから、他からも話しかけやすい空気に変わってきているのかもしれない。ちょっとだけでも話しかけてみると、何かしらのエピソードが生まれることを知った。日常の彩りは、本当に小さなきっかけから生まれてくる。
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