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出会いの線引きをしない

朝、観葉植物のお世話をする。土の渇きを見て水をあげたり、葉水をしたりするのが毎朝の日課だ。私にとってはペットのような、子供のようなものかもしれない。最近植物の数が増えたから、気を使う量も増えた。それぞれの土が乾くペースも、必要な日照時間も違う。初めて迎えたパキラが枯れてしまった時は本当に悲しかった。植物たちと会話をしながら、今日の体調を教えてもらう。

それから海へとクロスバイクを走らせた。夏が近づいてきたから、買い物などは午前中か夕方に済ませないと暑すぎて辛い。それでも名古屋のじめっとした夏よりはマシだと感じるけど(笑)海岸沿いを走っていると、散歩しているいつものおじいちゃんに会った。散歩の時間帯が早い。やはり暑いからだろうか。展示会行くよと言ってくれた。先日たまたま持っていたチラシを渡しておいたのだ。もう何度も会っているけれど、自分の正体を明かしたのはその時が初めてだった。そこで驚いたのが、実はおじいちゃんの家族が展示会に直接ではないけれど関係している人たちで、一緒に連れて来てくれるそうだ。こんな偶然ってあるのかとしばらく信じられなかった。でも特にこの街へ来てからはこんな偶然あるのかってことばかりで、それらはきっと偶然なんかではなく、私が些細な出会いやきっかけを見落とさなくなっただけなのかもしれないと思った。以前までの私なら、海岸沿いを散歩している人は自分の人生には関係ないと思い、通り過ぎていただろう。だけど目的があって関わっている人より、圧倒的にそうではない人の方が多く存在している。出会いがないと感じるのは目的意識を持って排除してしまっているだけで、レジの店員さんや、道端ですれ違う人のように、出会い自体は毎日の至るところで連続して起きている。あとはそれに自分が気がつくか、気がつかないかだけだ。

それから海岸沿いをひたすら走り、道の駅マリンタウンへ向かった。対岸には新井が見える。ここからの景色がとても好きだ。展示会のチラシの風景画にも描いている。今回の目的だった、東京へ行った際に渡すお土産を買った。ついでに自分用にも買った。ここの石鹸がお気に入りで、普段から愛用している。

それから日陰になっているベンチへ座って休憩した。だけど早く帰らなければ太陽が昇りきってしまう。日向がジリジリし始めているのが見てとれる。するとスズメが近くへ降り立った。近すぎる。人慣れしているようだった。仲良しなのか3匹でチュンチュンと戯れて、エサがもらえないからかやがて遠くへ行ってしまった。植物や虫、動物など、人間以外の生き物との距離はグッと近くなったと感じる。大体の悩みの種は人間関係だ。人間は人間をコントロールしたがるから、人間とばかり接しているとコントロールできないことに対して不満を抱きやすい。だけど実はほとんどがコントロールできないことで、人間以外の生き物と接しているとそれを実感できる。人間関係も、生き方も、明日の予定も、人生も、そもそもコントロールするものではないのだと。

また海岸沿いを走って家へと戻り、車庫の掃き掃除をした。強風の日があると、車庫の中へ落ち葉が入り込んで溜まってしまう。すると、ご近所さんがご近所さんを訪ねようと外へ出て来た。今度、新井で行われるお祭りのことで話があるようだった。新井には夏と冬にお祭りが2回ある。冬の方は神輿を担いで海の中へ入るという大掛かりなものだから、人手が足りなくなりできなくなってしまった。夏の方は海には入らないけど神輿は担ぐらしく、歌いながら踊るなんちゃら(忘れた)というのをやるらしい。2DAYSあって、出店もある。めちゃくちゃ楽しみだ。中学生までは盆踊りでダンシングヒーローを踊っていたけど、あれは名古屋だけの文化だと知った時はカルチャーショックを受けた。学生が火のついたトーチを両手に持ち、音楽に合わせて振り回すパフォーマンスも名古屋だけらしい。名古屋はおかしいと東京の人に言われた(笑)それぞれの土地に独特の文化があって面白い。

午前中だけですでに色んな出来事が起きて、充実した一日の始まりだった。午後も色々あったけど、長くなるからやめておく。色々あったけど、色々あったと思えるのはおそらく、出来事に線引きをしなくなったからなのだろう。観葉植物と会話するのも、海岸でおじいちゃんと会話するのも私にとっては全部同じ位置にある。お祭りがあっても、何も予定がなくても全部一緒。どれが特別で、どれに意味があるとかは一切考えていない。だから何が起きても楽しいし、毎日がドラマチックに感じられるのだろう。人生はいかに退屈しないようにするかだ。私の日々はしばらく退屈せずに済みそう。

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