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繋がりにくくなった現代で

自宅へ帰ってきた。鳥たちの鳴き声が無限に聞こえてくる。この朝に耳が慣れてしまっているから、他所で迎える朝は静かに思える。鳥の鳴き声はなかなかのボリュームだけど、自然と身体の中へ入ってきて全く嫌な感じはしない。最近窓を開けると会えるようになった猫たちにもご挨拶。

洗濯物を干していると、お隣さんちの屋根の上に猫がたくさんいるのが見えた。よく見ると子猫も3匹いて、みゃーみゃー鳴いている。ご近所さんが言っていた、最近生まれた子猫というのはアレのことか。するとお隣さんが2階の窓から屋根へ出てきて、子猫たちを救出。どうやら親猫が屋根上へ上げて、そのまま放置してしまったらしい。周りの猫たちはその様子をじっと見守っていて、大変そうな光景だけどもそれがなんとも微笑ましかった。お隣さんちへ行き、子猫たちを見せてもらった。今まで存在していなかった命が増えるのは、本当に尊くて美しい。

いつもの珈琲屋さんへ向かった。よくいる店員さんに豆の焙煎をお願いする。毎回注文してから焙煎をしてくれるから、買ってみたら実は豆が古くて残念みたいな気持ちには絶対にならない。店員さんとはもう顔馴染みだから、以前よりもやり取りがスムーズ。「いつもので」と注文できる日もそう遠くない。このワードに対する憧れは、単なる常連感を出したいのもあるのだろうけど、自分の居場所が増える感覚もある。自分のことを知ってくれている場所があると、心が安心するのだと知った。むやみやたらにたくさんの人たちと繋がろうとしなくても、本来であれば小さな居場所がいくつかあれば充分なのだろう。現代人の私たちは繋がりやすくなりすぎて、むしろ一人の人間と繋がりにくくなっていると感じる。

次は干物屋さんへ向かった。メニューデザインをしたことで、お店の人たち全員と顔見知りになっている。世間話をしながら干物をまとめ買い。毎日魚を食べているから健康になれている気がすると伝えると、昔の日本人は肉より魚を食べてきたから魚の方が体質に合っていると聞いて腑に落ちた。昔に刻まれた遺伝子が喜んでいるのかもしれない。最近は新しく作っている干物を見せてくれることも多く、頭から骨まで丸ごと食べられる小さなサバを教えてもらった。これがまたすごく美味しかった。

帰り道の最後にある急な坂道は、クロスバイクを押して登る。漕いで登れないこともないけれど、荷物がたくさんある時は厳しい。坂の途中で外にいたご近所さんにご挨拶。温泉で何度も会い、かなり早い段階で顔見知りになった人だ。あそこに引っ越して来てたんだね〜!と言われた。そう言えばまだ自己紹介をしていない。温泉に入っている素っ裸の状態ではなかなか自己紹介をする機会がなく、挨拶を交わす程度だった。この辺りに若者は住んでいないから、どこから来ているのか不思議だったみたい。さらに坂の上で井戸端会議をしているご近所さんたちにご挨拶。この光景を見ると、学生時代に校門前でたむろして喋っていたのを思い出す。何でもない話ができる人たちが側にいることは、人が生きていく上で結構大事なことだと思う。繋がりやすすぎて繋がりにくくなった現代では、その部分をAIが代わりに担っているのだろう。静岡弁が通じないという話をして、私は家へと戻った。人と人が信頼し合って繋がるには時間がかかるけれど、ここには確かにAIでは代えられないものがある。

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