第7歩 「何度も何度も」

 (※2018年10月ハチモットで連載た記事の加筆修正版となります)
 
長くなりましたので、簡単に振り返ると〜
高過庵に出会ったのが2004年、その魅力に取り憑かれササッと長野へ移住。
骨髄バンクのドナーになったこと、低過庵のWSに参加した事がきっかけで、
私は藤森建築で宿をやりたい!も〜それしかない!
との思いを募らせ・・・
遂に!遂に!企画書という名のラブレターを、藤森さんに手渡しました。
 
ラブレターの内容を簡単にまとめると、こう。


藤森建築で宿がやりたい。
たくさんの人に藤森建築を楽しんでもらいたい、
地域の新しいシンボルとなる事。
お金はないから、設計してもらえるとなれば、いろんなところに掛け合って資金調達します。
どうぞ、どうぞ、宜しくお願いします。


この企画を藤森さんに手渡したのは2010年。
この日から今まで、この企画を誰かに話すときに一番(必ずと言っていいほど)質問される事・・・それは
「お金はどうするの?」
そして・・・答えはラブレターにもありました。
「ないよ、頑張って資金調達するの」
 
藤森さんは著書の中でこんな事を書かれています。
「興味と共感がなければやらない」
そう、私にとっても興味と共感してもらえるか?が重要なのです。
藤森さんが「あなたの企画に興味ないよ」と言ったら、泣いて諦めるけど、
お金の事じゃ~諦めません。
私にとって資金がない事はチャレンジしない理由にならない。
だって、私が私の人生を後悔したくないから。


さてさて、そんな企画書を藤森さんはどんな気持ちで読んでくれたのでしょうか?
ドキドキソワソワ、告白の返事を待つ私。
次の日!!!
電話はならず、メールも来ず。
その次の日!!!
電話はならず、メールも来ず。
そして、次の日も次の日も・・・
いつ!何時!藤森さんから連絡が入るかわかりません。
携帯を肌身離さずもち歩き、メールもまめまめにチェック、
眠るときも着信音MAX(笑)
電話が鳴って、着信画面に“実家”とでれば、
「なんや、母さんか・・・」と失礼な気持ちになり。
着信画面に、知らない番号が表示されると、
「もしもしー?」とちょっと高めの声で応答するのでした。
そして数日、数ヶ月がたち藤森さんからはなんの音沙汰もありません。
・・・しょぼん。
「おかしいな」(別におかしくは無いのだけど)
この想いが藤森さんに伝わらないなんいて!
う~ん (どうしよう?)
ぽん! (閃き!!)
 
あなた(藤森建築)が好きです、と遠くから言ってても説得力ないよね、
そこで、藤森さんの故郷である茅野に引っ越して“入り待ち作戦”に切り替える事にしたのです。
次は茅野や!行くで!藤森さん。(笑)
 
こうしている間にも、新しい出会いがありました。
働いていた穂高養生園では東屋を建てる計画があって、そのお手伝いに来ていたのが今の旦那。
かずくん(旦那)は世界一周旅行中に養生園の大工さんと出会います。
パタゴニアで一緒にアースバックハウスを建てて帰国したあと、養生園でもアースバックハウスを建てる事になり声がかかりました。
そして暫くしてお付き合いがはじまります。

 
かずくんは私の夢を知り、その後、本格的に大工さんになる為に高山の職業訓練校で日本建築を学びます。
有難や~有難や~。
腕のいい大工になるんやで~。
 
そして、もう一つの出会い。
念願の愛車!

自由を手に入れました!
これこれ、これさえあれば!
フットワークが軽くなった私は、藤森さんの講演会情報をキャッチしては出向き手土産と、手紙を渡すのでした。
手紙の内容はいつもこう。
「私の気持ちは変わってません、時間のある時にお話聞いてください」
何度も、何度もラブレター(笑)
 
さて現在、我が家には一人息子がいます。
お友達にされた質問
「創介にはどんな大人に育ってほしい?」
私の答え
「やりたい事、なんにでもチャレンジできる人」

だから私は子供に背中を見せまくっているのかも、諦めなければ必ず夢は叶うと胸をはって伝えてあげたい。
いつか創介がこの背中を思い出して、勇気が湧いてくるように。
子供達みんな、大人にだって勇気が湧いてくるように。
当時3歳の息子に夢を聞いてみると、
少し考えて、まっすぐな瞳ではっきりと答えました。
「消防士の、おばさん」
頑張れ!お母ちゃんはどこまでも応援するよ(笑)
さて、次回は茅野への移住!「追っかけ入り待ち」です。


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