【Ouka】 8.雷鳴、再び
父が入院してから、私は心というものについて考える時間がすこしだけ増えた。
わからないことは本で知ることにしていたのだけれど、対峙した相手の心について書かれた本は存在しない。
心理学などの本は読みたくなかった。
どうしても人の気持ちをカテゴライズして分析するような事はしたくなかった。
私は身近にいた父の心のことにすら気付けないでいたのだから。
夜、ナガセが眠る前に私にかけてくる電話が楽しみだった。
用事なんてない。
内容もない。
ただ意味のない冗談を言い合ったり、時には会話すらしない電話だった。
「あ、やばい今一瞬寝てた」とナガセが言った。
「だよね。鼻息が寝息に変わる瞬間聞いたわ」
「え、わかんのそれって」
「なんか、くーっていってた」
「はず」
「ちゃんと布団で寝なね」
「寝るわー。おやすみー」
「おやすみ」
私は電話を切ったあとでもう一度「おやすみ」と言った。
眠るのはナガセだけだった。
うまく眠れなくなっていた。
いつもどこか遠くから、雷の音がする。
それは私を外側から脅かすものだと思っていた。
しかし、どうやらそれは違う。
あの雷鳴は、私の中に存在するものだ。
明け方ごろになってやっと浅い眠りにつくことができる夜を繰り返した。
私はまたちいさく丸くなって眠るようになっていた。
黒いもやもやが部屋の隅でじっと私を見つめていた。
教室のドアを開けたナガセは、制服を前後逆に着ていた。
そして背中側から教室に入ってきた。
「…それはどういうボケ?」
「いや、わかんねぇ」
「行き当たりばったりでボケちゃったの?」
「そうそう、後先考えずに…。あっ」
「あっ」
「「どーもー!後先考えてない人でーす!」って教室入ってくればよかった」
「それなら笑ってた」
「明日やっていい?」
「あたし記憶失えばいい?」
「ちょっと、なぐるね?」
「やだ!」
「制服直してくるわー」
そう言って、ナガセはトイレに行った。
授業中、私はナガセに揺すられて目が覚めた。
「おーい、起きなー」と、ナガセはちいさな声で言った。
それを見ていた教師が、
「ほっとけ。寝るようなやつのことなんて」と言った。
ナガセはちいさな声で、
「ほっとけはひどくない?」と呟いた。
「あんた最近ちゃんと眠れてる?」
昼休みにナガセにそう言われた私は、すこし動揺した。
「え、なんで?」
「なんか最近、ぱっさぱさだよ?」
「ぱっさぱさ?」
「萎れた猫みたい」
「しおれたねこ」
「なんかあったの?」
「いや、なんでもない」
「なんでもないのに眠れてないほうがアレだからね?」
「あぁ、そっか。そうだね」
「どしたん」
「んー、うまく言えない」
「あたしにも?」
「そっか、そうだね。ナガセには話したい」
「じゃああとであれな、面談な」
私は午後の授業でもうたた寝をした。
いつものマクドナルドのいつもの窓際の席で面談が始まった。
ポテトとナゲットはふたりの中間に置かれ、それぞれの手元にはシェイクがあった。
「はい、じゃあね、面談のほう、はじめて行きたいと思いまーす」
「よろしくお願いします」
「で、どしたの。しょんぼりちゃんなの?」
「あっもうなんか、設定終わりなのね」
「なんかあんた、前もちょいちょいあったよね」
「そうかも」
「なんか話せそうなことあったら、言ってみな」
「うん」
「どんだけ時間かかってもいいし、キーワードだけでもいいし」
「キーワードかぁ」
ナガセはシェイクの蓋を開け、ポテトを突っ込んでからそれを口に運んだ。
「雷…いや」
「ポテト突っ込むならバニラにしておけばよかった…」
「うちの父親が入院してから、なんか、人の心ってわかんないなぁって」
「えっ超能力の話?」
「むずかしいなぁって」
「人の心なんてわかんないのが当たり前だし、わかりたくもないけどな」
「そうかなぁ」
「ミハイのフローモデルって知ってる?」とナガセが言った。
「え、知らん」
「こういう、こんな感じのチャートがあってね」
ナガセはそう言いながら、テーブルの上にポテトを放射状に並べた。
「たぶんあんたは、あらゆることを知ろうとしていて、不安なんだと思う」
「うん」
「強く生きるために必要なスキルを必死で集めてるように見える」
「うん」
「不安っていう状態は、挑戦してるときにしか発生しないのね」
「うん」
「チャートの上方向が挑戦レベルで、右方向がスキルレベルね」
そう言いながら、ナガセは私から見える方向に矢印の形でポテトを置いた。
「んでここが「不安」。この「不安」の隣になにがあるかというと、「覚醒」なんだ」
「覚醒?」
「そう、覚醒。不安の隣は覚醒」
「へぇ」
「あんたは今、覚醒と紙一重の場所にいるんだと思う」
「むずかしい」
「あとは覚醒のトリガーを見つけるだけ」
「ナガセってさ」と、私は言った。
「ん?」
「なんなの?」
「え、怒られてる?」
「あ、違うくて。バカだと思ってたんだけど」
「それはひどくて笑う」
「あ、それも違うくて」
「バカだよ。いろいろあったバカ」
ナガセはそう言って、チャートポテトをむしゃむしゃ食べた。
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