小説:あさのよる

妻が認知症になってから、僕は大麻を吸うようになった。
一種の防衛本能のようなものなのかもしれない。
僕のことを時々忘れる妻を寝かしつけてから、居間のソファで柔らかな思い出の湯舟に脳を漂わせた。

僕たちに子供はいない。
ずっと昔、不妊治療というのも試してみたけれど、悩めば悩むほどみじめになっていくような気がして、やめた。
ある夜に思いが溢れて、妻に泣きながら謝った。
妻は少し考えてから、
「悲しいことにわざわざ目を向けて、わざわざ悲しみにいくのって、なんだか馬鹿みたいじゃない?私はあなたと楽しく生きてきた思い出がある。これからあなたと生きていける楽しみもある。それだけで幸せなんだけれど、それじゃだめかな」
と言った。
それから僕も、わざわざ悲しむことをやめた。

僕は居間のテーブルの上で、二本目の大麻を巻き始めた。
ペーパーをローラーにセットして、ビニールのパックからすでに刻んである花冠を乗せた。なかなかいい大麻だ。そこらへんのチンピラが売っている粗悪品とは違う、カンナビスカップで上位の品種を指定して購入したものだ。

猫カフェに行ったね。花火を見たね。動物園に行ったね。美術館に行ったね。牧場に行ったね。クラシックコンサートに行ったね。車で何時間も抱き合ったね。頭を撫でたね。手を握ったね。キスをしたね。狭い布団でクスクス笑ったね。君を怒らせたね。君を泣かせたね。君を泣かせたね。君を泣かせたね。君を泣かせたね。君を泣
ふと居間のドアの方を見ると、妻が立っていた。
声をかけようとしたが、妻の表情を見てとどまった。
なにもわからなくなっているときの顔だ。
しかしそれでも、僕の顔を見つめながらなにか心配している。
そこでやっと、僕は自分が号泣していたことに気が付いた。
大麻の酔いも醒めず、僕はなにも言葉が出てこなかった。
僕も妻も、原始的なレベルまで判断力が無い状態で、長い間無音で見つめあった。

僕が誰かも、自分が誰かもわからないはずの妻は言った。
「連れて行って。悲しみのない場所に」


幸せは、目指すものではない。

ただ、そこにあると知るものなのだ。

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