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人に触れる

「・・・ありがとう。」なぜか私はお礼を言った。
「どういたしまして。」と彼は笑った。
私は今、彼に触れた、と思った。1ヶ月近く同じ所に住んでいて、初めて彼に触れた。

「キッチン」吉本ばなな


人に触れる。
物理的ではなく、心理的に。
読みながら過去の記憶がパッと浮かんだ。

数年前、付き合っていた人の家で一緒にお酒を飲んでいた。
珍しくお酒が進んでいたことが気になった。
話をしているうちに、家族の話。
彼女の父は離婚している。
母は再婚して、新しい父と一緒に彼女は暮らしていた。
実父は一人で暮らしていて、
性格や仕事柄、身寄りや友人が少ない、ということもわかった。
先日会ってきたらしい。
自分ばかりが誰かと一緒に暮らしていいのか、
一緒に居ていいのか。
父のことを考えると、とても不安で寂しい気持ちになると泣いて話してくれた。
話を聞いたその後、彼女は父に電話をした。
真夜中だったが、話ができた。
聞こえてくる話は他愛もない内容だったように思う。
次の日の朝、パンパンに腫れた顔を忘れられない。


あの時、「人に触れた」ような気がした。
人の深いところは、楽しい・面白い時間の共有だけではわからないと思ったりする。

好きなものやハマっていること、興味のあるもの。
他人との共通点を見つけ、つながりになっていく。
その人を知るための手掛かりになる。
けれど、その後ろに何かを持っている。
悲しさ、辛さ。
もどかしさ、嫉妬心。
見えない、見せたくない暗い部分。

明るい部分だけの片側だけでなく、
暗い部分に本音があることが多い。
と思いつつも、人に触れない方が楽でもある。
触れて欲しくない相手だっているし、
触れて欲しくない自分だっている。


一か八か、たまには踏み込んでみるのもアリではないか。
なかなかできることでは無いけれど。


「キッチン」を読みながら、自分の過去と今を投影する。


そうだ、隣の席でコーヒーをすすり、
貧乏ゆすりが止まらないこの人にも、何かが後ろにあるのだ。
そう想像をして、心を少し、少しだけ、穏やかにする。