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おだやか生きてていいんだ

免許更新の時、たまたま献血車が止まっていた。

お笑い芸人の蛙亭イワクラさんが、
献血によく行くことを思い出した。
「私って生きてていいんだと思えるから」行くらしい。
自分も生きてることの肯定感が欲しい。

終了の間際に申し込み。
自分以外参加者はいない。

問診は年配の医者だった。
バッグから本が見えた。
英語のタイトル。古くて小さい。
問診が終わり、そのまま降りようとしたが、逡巡して、
せっかくだしと思い、
「その本、なんですか?」ときいた。

「アロースミスの生涯っていう本。
 原文のは古くてね、やっと見つけたんだ」
「へーそうなんですね」

帰って「ドクターアロースミスの生涯」という本を見つけネットで買った。
アメリカで初めてノーベル文学賞を受賞した作家、シンクレア・ルイスという人が書いた、らしい。



本を読み終わった頃に、
また献血に行こうと思った。
別の献血ルームに行く。
優しく話してくれるスタッフがいるのが、献血の良いところ。

応対してくれた女性に
「前回、本を持ってた方に話しちゃいました」と言った。
「そうなんですね、私の父も医者で」
まさか、と思った。
「ドクターアロースミス読んでらっしゃる?」
「え?」と声を合わせた。

本を紹介してもらった方の娘さんだった。
落ち着きを取り戻しながら、血を抜いてもらった。
偶然に驚いた。こんな偶然があるかと。
こういうことか、生きてる肯定感とは。




という妄想を2回目の献血中に考えた。
すべて普通に終わった、何事もなく。
現実は甘くない。
偶然を頼るな自分。


その日のために生きてきた、と感じることもあるだろう。
偶然の出会いに人生が変わり、生きててよかった、と思うこともあるだろう。

たった2回の献血だが、
生きてていいんだ、と実感したような気がした。

生きてる肯定感を「高める」までいかないところが味噌かもしれない。

この「高める」までいくと、
どうしても前回との比較や前進しているかとか、
意識の高さ、意欲、度合い…
なんかどうも色々が混じってくる。


血液型の貴重さや行く頻度で差はあるが、
人の為になる質と量に、
どんな偉人でも自分のような人間でも、
ほぼ差はない。
献血はどんな人にでも等しく接する。


差がないからこそ「生きてていいんだ」という穏やかな肯定を生んでいる。すごく平和。

というわけで、また行こう。