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■8月2日(日)奇跡の扱い方に悩む~手技練習1日目~

晴天。娘の手技練習(経管栄養等)のため病院へ。

日曜日なので一般客はおらず、平日の喧騒は嘘のように、静寂に包まれた病院。小児科に訪れると、どこか漂う無機質な壁、そこに不釣り合いなかわいらしい手作り動物の張り紙、カーテンで仕切られた病室、そこで生活する『映え』とは程遠い、髪も野ざらし、寝間着に近い姿で生活感溢れる人々(自分含め)。テレビドラマで見る病院は、無機質感が強く、なんなら「スタイリッシュ」とさえ思ったりもするが、実際の病院は全ての要素がちぐはぐで、何かが噛み合っていない、異様な空間に感じてしまう。

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看護師に案内され、妻のいる病室へ。6名の相部屋だが、付き添い入院する保護者が男女入り乱れているせいか、各ベッドに設置されたカーテンは鉄壁。「音」以外の、プライベート空間は相当確保されている。

いよいよ訪れる娘と数度目の逢瀬。元気そう。抱きしめると、変わった匂いが鼻につく。「これが乳臭いってやつか」と思い妻に尋ねると「お医者さんがビタミンの匂いがするかもって言ってた」とのこと。乳臭い、より確かに、ビタミン臭、の方がどこかしっくりくる。デカビタCを煮詰めに煮詰め抽出した感じのような匂い。初めてしっかり抱きしめた娘は、ビタミンの匂いでした。

娘に先日買った帽子を装着。が、でかい。ぶかぶかだ。イマイチ娘のサイズ感が掴み切れていない。が、カワイイ気配は。カワイイ気配はプンプンする。もう少し大きくなったら!ベタベタでブリブリな耳つき帽子被らせて!愛で!倒す!のだ!

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僕のためにわざわざ出勤してくれたらしい女性の理学療法士さんより、抱っこの仕方を教わる。寝た状態からの抱っこは初体験。どこからどう手を入れて、腕の中でどれだけの壮大な組手を経て、『素敵抱っこ最終形態』になるのかがわからず四苦八苦。

ところでこの理学療法士さん。恐らく赤ちゃんを落ち着かせるためのテクニックなのか、娘と触れ合う際、娘の眼前まで顔を寄せ、蚊の鳴くような小さくやさしい声で「こんにちは…。大丈夫…?抱っこするからね…」と語りかける。雑に形容するなら『囁き声でメンチを切る』。思わず笑ってしまった。

抱っこについて、なにに苦労したか考えてみると、どこまで繊細にやるべきなのか、どこまで力を入れてOKなのかの匙加減がわからず、どこまでも丁寧にやろうとした結果、こちらがガチガチに緊張し、動きのスムーズが爆散していたのだと思う。

ということで、囁き理学療法士さんの丁寧な手ほどきで抱っこの仕方を教えて貰い(ほんとにすごく丁寧に教えてくれた)、無事、抱っこはなんとなく習得。

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その後は、担当医師よりチューブ交換指導。動画などで予習はしていたため、我ながらスムーズにできた気がする。のと、直前に教わった抱っこの「どこまで力を入れていいか」の経験が生きた気がする。おっかなびっくりやりすぎると、こちらも身体が固まり時間がかかる。ぶっこむときは一気にぶっこむが吉。チューブぶっこミストの経験談です。

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そんなこんなで2時間ほどの練習と滞在で、病院を出る。しかし娘。やたらかわいい。小指の動きすら愛くるしい。呼吸すら愛おしい。

だからこそ、なのか。帰りの車では色々考えてしまう。

奇跡は奇跡自体よりその過程に、奇跡を見ていた時間にこそ価値があるのかもしれないね(tweetより)

愛くるしい娘。障害と病気。現在と未来。
何を希望に、今を生きるのか。
『奇跡』の扱い方に悩んでる。

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