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無痛分娩で産みたかった私の出産レポート

出産をしてから、ちょうど一ヶ月が経った。産まれたての頃にはどう見てもガッツ石松にしか思えなかった娘も、このところはくちばしのように尖った唇や低い鼻、奥二重の瞼が私に似ているような気がしてきた。なにが嫌で泣いているのか分からなかった新生児期に比べて、「お腹が空いたのか」「眠いのに寝付けなくてイライラしてるのか」など、なにを訴えてきているのかも少しずつわかるようになってきている。

もちろん毎日の育児は大変なのだけれど、早くお腹から出したくて泣いていた日々や、想像以上の苦しみだった陣痛を思い返せば、今のこの日々はなんと穏やかで平和なのだろうと思う。妊娠・出産の経験は、間違いなく私の人生最大のドラマだった。

できれば出産の思い出を詳細に残したいと思い、何度かnoteに記そうと思ったものの、出産を終えたその日の夜に半泣きで書いたメモの勢いを越えることができなかったので、思い切ってそれをそのまま載せてみることにした。“ここまでのあらすじ”以降の文章はほとんど8月14日の夜に書き綴ったものだ。産後ハイの状態で書いたものなので拙い文章ではあるけれど、興味がある方にはぜひ読んでみてほしい。

ここまでのあらすじ

採血が嫌で健康診断の前夜に号泣したり、別の病気で入院した際にはカルテに「痛がり」と書かれるほど痛みに弱い私は、7年前に手術した網膜剥離の再発の懸念もあり、妊娠がわかってからすぐに無痛分娩が可能な産院を探し、実家のすぐ近くにある産院での出産を決めた。

その産院は無痛分娩の費用が比較的安かったものの、「38〜40週の平日、日中に陣痛が来た場合のみ無痛分娩での対応可能」と条件がかなり厳しかった。にも関わらず謎のポジティブさを発揮し「私は絶対無痛で産める」と信じていた私は自然分娩や帝王切開になった場合のことはまったく想定せず、妊婦生活を謳歌していた。

しかし8月6日の予定日を目前にしても子宮口がほとんど開いておらず、ついに「このままでは無痛どころか自然分娩で産むことすら難しい」と言い渡され、残り少ない妊婦生活を暗澹とした気持ちで過ごすことになったのだった。

産後すぐに書いた記録

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8月13日、予定日から1週間目の深夜1時。最後の検診で「15日に入院、16日に分娩誘発剤を使ってお産に持ち込み、それでも子宮口が開かなければ帝王切開」と言われていたので、不安と恐怖に包まれながらもすることがないので仕事をしていた。

定期的なお腹の張りはそれまでにもあったけれど、仕事が終わり、入浴する頃にはこれまでにないほどの強い張りを感じるようになっていた。そういえば朝におしるしのような出血もあったため、なんだかきょうあたり陣痛がくるんじゃないかな、なんて思いながら、東京の自宅へ帰ってしまった夫へ「陣痛がくるかもしれない」と連絡を入れてから眠る。すると微弱ではあるものの陣痛らしき痛みがあって目が覚めてしまい、カウントしてみると規則的ではないものの1時間に6回程度起こっていたので、病院へ連絡することに。隣の部屋で眠っていた母に車で送ってもらい、朝5時、病院に到着。感染防止のため家族は立ち合いも面会もできないため、母とロビーで別れて陣痛室へ。

陣痛室は4人部屋で、破水したらしい妊婦さんが1人と、帝王切開後2日目の産褥婦さんが2人いた。部屋の中は静かだったものの、遠くの部屋(今思えば分娩室)から断末魔のような絶叫が聞こえてくるので、「私はまだ声が抑えられないほどの痛みですらない。これはまだまだかかるかもな」と思う。

案の定、朝食を食べ終える頃には陣痛の間隔は広くなってしまっていた上に、子宮口も指一本分しか開いていなかったので、昼食を食べたら一旦家に帰るように言われてしまう。私は産院に食事をしにきたのだったろうか?

とはいえ、定期的に痛みがあることは変わりなく、間隔は一定でないにせよ痛みが遠のくこともないので、家に帰っても陣痛に苦しむことになる。規則的な間隔にはならないものの5分以内に起こることが多くなり、夜には声を上げないと耐えられないほど強い痛みに変わっていた。

両親が「なにもしてあげられなくてもどかしい」と言いながら、痛みに耐え続ける私を労ってくれる。病院ならひとりでじっと痛みの間隔が規則的になるまで待たなければならなかったと思うけれど、自宅では母が腰をさすってくれるし、異常事態を察したらしい猫たちが寄り添ってくれるので、一度帰ってきてよかったかもしれないと思いながら、湯船を掃除して(子宮口を開かせるのに風呂掃除がいいという説を思い出しての涙ぐましい努力)入浴。

入浴後、温まったからか痛みはますます強くなり、叫び声をあげながら痛みに耐える私をみかねた母が再び産院へ連絡。21時半ごろ、再び入院することに。


陣痛室ではなく、案内されたのは分娩室。分娩ベッドに寝かされ診察されるも、「子宮口はまだ指二本分しか開いてない」と言われる。「うまくいけば明日の日付で産めるかしら」と言われ、「もう20時間も陣痛に耐えているのに、まだそんなにかかるの!?」と思い暗澹とした気持ちになる。分娩室の電気を消され、「とりあえず陣痛の合間に眠るように」と言われるが、陣痛で起こされてしまうのでどんどん体力を消耗してしまう。ゆうべだってあまり眠れていないのに。

陣痛を逃すときには、トランペットを吹くつもりで声を出さずに息だけ吐き続けろと言われ、ベッドの向こうのカーテンに向かってバカみたいにブーブー息を吹き続ける。そのあいだ、どんどん強くなる腰の痛みと向き合わないように、風に吹かれてさらさらと輝く稲畑や、義母に撫でられてご満悦のアルくん(義実家の犬)の姿なんかを思い浮かべながらやり過ごす。となりの分娩室の妊婦さんはもうラストスパートを迎えているようで、苦しそうにいきむ声が何度も聞こえてきて、思わず「がんばれ……」と呟く。おそらく日付が変わる頃、隣の分娩室の妊婦さんが無事出産。おめでとう、お疲れ様、がんばったね、と労う助産婦さんたちの声と元気な産声が聞こえてきて、「いいなあ、あの人はもう陣痛に耐えなくていいんだ……」と心底うらやましく思った。

隣の分娩室が静かになった頃、6分間隔になっていた陣痛を、暗い部屋でたったひとりで逃し続けることにいい加減嫌気がさし、ナースコールを押す。よく覚えていないけれど、たぶん「もう無理です」とか「お腹を切って出したいです」とか泣きながら言ったと思う。ナースステーションで仕事をしていた助産婦さんがそこからつきっきりになってくれ、陣痛の間腰を温めたりさすったり、「あなたらなら大丈夫」と励ましたりしてくれる。この助産ふさんには、比較的余裕があるときに「ひとりじゃ耐えられませんでした。そばにいてくれてありがとうございます」とお礼を伝えた。

しかし朝になっても陣痛の強さも間隔も変わらない。6分間隔の合間に気を失うように眠るけれど、体力はみるみるなくなっていく。8時ごろのシフト交代の際、「子宮口は6センチ開いていて、とてもやわらかいし高位破水もしているけど、陣痛がなかなか強くならない。あなたは今とても陣痛に苦しんでるけど、お産のときの陣痛はその3倍くらいは痛いの」と説明され、完全に心が折れる。

朝の担当の助産婦さんと女医さんがあらわれて「午前中に陣痛促進剤を使いましょう」と説明されるものの、この体力で今よりも強い陣痛に耐えることはとてもできないと思い、「帝王切開で産ませてください! もう本当に無理なんです! お願いします! ウワーーーーン」とみっともないほど泣きながら懇願する。助産婦さんも先生も苦笑。「帝王切開はそんなに簡単に始められないから、準備のあいだ結局今の陣痛に耐えてもらうことになる。それでもいいの? お産に持ち込める陣痛を起こして、早く産まれた方がいいでしょう?」と説得され、それはそうだと思いしぶしぶ同意。「パパに連絡して」と言われたので、夫に電話。寝起きの夫と少し話したあと、女医さんから促進剤投与の説明をしてもらう。夫は疲労感のにじんだ私の声に驚いたらしく、とても動揺した声で「疲れてるね、かわいそう……」と言われた。

電話を切った後、促進剤を点滴で投与された途端、今までよりも強い痛みが短い間隔でやってくるようになる。もう声を抑えることなどとてもできず、唸りながら痛みをのがす。本当につらい。マジでつらい。人生でこんな痛みは感じたことがない。

そうこうしているあいだに子宮口は8センチまで開き、「あとは赤ちゃんの頭が下りてくるだけ」と言われるけれど、それまでにあと何度この痛すぎる陣痛を耐えればいいのかと思うと気が狂いそうになる。助産婦さんがなにかを取りに行こうとナースステーションに戻るとするたび、子どものように「離れないで! そばにいて!」とごねて、なるべく付き添ってもらう(申し訳ない)。

10時ごろだったと思う。それまで腰をくだかれるような痛みに苦しんでいたのに、突然お腹の張りが信じられないほど強くなる。痛いというよりも、自分自身が風船のようにパン!と破裂してしまうんじゃないかと恐ろしくなるような感覚。「もういきんでいい」と言われたので、思い切り息を吸って、よくわからないながらも全力でいきんでみる。例えるなら、まったく肛門から出ない大量の便もしくはガスを思い切り出そうとしている感じ。実際にはたぶん漏らしてしまってたと思うけど……(怖くて聞けなかった)。

もう信じられないくらい苦しいしつらいし体力も使うので、だんだん意識が朦朧としてくる。痛みの間隔はもはや1分程度に。「あと何度やればいいの?」「どうして出てこないの?」「もう無理!」と合間に叫びながら、自分でも聞いたことのない獣のような唸り声を上げていきむ。助産婦さんが思い出したように「リモート立ち会い(ビデオ通話でお産が観れる)希望でしたよね?」と確認してくれるも、今家族の声を聴いたら逆に気が散ると思い「いい! いい! 気が散るーーーーーッ」と言って断る。このせいであとから両親や夫から「お産がはじまるのをずっと待ってたのに」と文句を言われることになるのだが、今となっては断ってよかったと思う、百年の恋も冷めると思うもの……。

私があまりにも不満を叫ぶので、助産婦さん2人がかりで、子宮口を刺激しながらお腹を押して赤ちゃんをなんとか出そうとしてくれる。「頭が見えたよ! 鏡で見る? 触ってみる?」と声をかけてくれたのに、もう一刻も早く終わらせたかったのでまたしても断る。我が子にもうすぐ会える!という喜びは微塵もなく、とにかく早く痛みから逃れたいという思いだけでいきんでいた。

11時ごろ、女医さんが再びやってきて、吸引器で赤ちゃんを引っ張り出そうと提案される。「それでもいい?」と助産婦さんが気遣わしげに聞いてくれるけれど、私は食い気味に「助かります!!!!!」と承諾。会陰切開し、吸引器を入れ、お腹の上から助産婦さんが赤ちゃんを押し出すというワイルドなスタイルでお産することに。「やっと終わるんだ! 絶対にすぐに出してやる!」と思いながら、がむしゃらにいきむ。2度目のいきみで、「下を見て!」と言われ見てみると、引き上げられる赤ちゃんの姿が見えた。

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8月14日午前11時24分、娘誕生。陣痛が始まってから34時間、分娩室に入ってからは14時間が経っていた。

娘もとても苦しかったらしく、泣き声が弱々しい。「赤ちゃんの声が聞こえますか?」と聞かれるも、私の泣き声の方が大きくて聞こえない。娘が出てきた瞬間、すべての苦しみから解放されるような感覚があり、途端に元気が湧いてきた。もう痛みも感じない。あれほど逃げ出したかった陣痛の感覚もどんどん遠のいていく。

予定日を8日も過ぎていたから、いったいどんな巨大児になっているのだろうと思っていたけれど、体重はわずか2722グラム、身長は48センチ。37週で生まれてきた私とさほど変わらない。こんなに待たせたくせにー!と思いながら、愛らしくて涙がとまらない。抱かせてもらうと手足は少し冷えていたけれどとてもあたたかくて、小さくて、儚い。これが私たちの子ども、これが私のお腹の中で育っていた子ども。

しかし、これまでに味わったことのない感動と達成感に満たされながら、下半身の縫合処置の痛みに悶える。麻酔されていたのに、糸に引っ張られるような地味な痛みが不快だったのだ。あんなに信じられないような痛みに耐えたのに、こういう地味な痛みもそれはそれでやっぱり痛いのか、と変なことを思う。

とにもかくにも、出産が終わった! もう数分ごとにやってくる痛みを感じることもない! 私は自由だ! そしてきょうから、母なんだ!

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