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【解説】多田武彦作曲「梅雨の晴れ間」について

今度の音楽祭で「梅雨の晴れ間」という曲を歌うのですが、私なりの解説を書いて同級生に共有する、という仕事が降ってきました。内輪で回し読むだけでは少々勿体ないので、noteで公開しておきます。
私の所属している3年4組の皆さんは、ぜひ一読して内容を吸収した上で練習に臨んでください。それ以外のフォロワーの皆様は、こいつは普段このような物の考え方をして、このような文章を書いているのか、と適当に見て行っていただければ幸甚です。


歌詞全文

廻せ、廻せ、水ぐるま、
けふの午から忠信が隈取紅いしやつ面に
足どりかろく、手もかろく
狐六法踏みゆかむ花道の下、水ぐるま…………

廻せ、廻せ、水ぐるま、
雨に濡れたる古むしろ、圓天井のその屋根に、
青い空透き、日の光、
七寶のごときらきらと、化粧部屋にも笑ふなり。

廻せ、廻せ、水ぐるま、
梅雨の晴れ間の一日を、せめて樂しく浮かれよと
廻り舞臺も滑るなり、
水を汲み出せ、そのしたの葱の畑はたけのたまり水。

廻せ、廻せ、水ぐるま、
だんだら幕の黒と赤、すこしかかげてなつかしく
旅の女形もさし覗く、
水を汲み出せ、平土間の、田舍芝居の韮畑。

廻せ、廻せ、水ぐるま、
はやも午から忠信が紅隈とつたしやつ面つらに
足どりかろく、手もかろく、
狐六法踏みゆかむ花道の下、水ぐるま…………

楽曲について

「梅雨の晴れ間」は多田武彦作曲の組曲『柳河風俗詩』の最後の曲です。
元になったのは北原白秋(1885-1942)が著した『思ひ出』という自伝を兼ねた詩集で、収録された膨大な詩の中から、作曲者が4つを選んで組曲にしています。多田武彦は生涯で700を超える曲を書いているのですが、この『柳河風俗詩』は彼が世に出した最初の組曲です(当時彼は弱冠24歳、京大を出て銀行員として働き始めたばかりでした)。

現在の柳川市 (PD)

作詞者の北原白秋は、福岡県の柳河(現在の柳川市)の出身です。海から3kmほどの位置にある美しい水郷で、今でこそ舟下りで有名な観光地になっていますが、当時の柳河といえば、城下町だった土地が明治維新によって廃れ、どこかうらぶれた雰囲気の漂う町でした。白秋は裕福な酒屋の家に生まれ、貧しくも美しい柳河の人の営みに触れながら成長します。19歳の時、父親に無断で旧制中学(=現在の高校)を中退して上京し、早稲田大学に入学。文芸活動に明け暮れたのち、26歳で著したのが『思ひ出』です

白秋の実家は彼が16歳の時に火事に遭ってから徐々に傾きはじめ、23歳の時には遂に一家破産の憂き目に遭います。時を同じくして町も人々も様変わりし、彼の記憶に焼き付いた故郷の景色は昔語りの彼方へと消えていったのです。こうした背景のもと、懐かしい実家と故郷に捧げられた詩集『思ひ出』の中に、「梅雨の晴れ間」を含む「柳河風俗詩」という一章があります(S先生の現代文の授業で似たような話が出てきましたね)。

(筆者撮影)

「柳河風俗詩」の最大の特徴は、在りし日の柳河を生きる人々の何気ない日常を、一歩引いた第三者の視点から描いている点です。静かな言葉のタッチの中に登場人物の感情が滲み出ている様は、さながら絵画のような美しさがあります。「梅雨の晴れ間」も同じです。歌詞を一見して想像される「皆で力を合わせて水車を回そう!」といった趣旨の歌ではなく、「私たちの記憶の中にある日常の一コマの中で、水車を回す人たちのシルエット」を歌っているのです。楽譜の指示に沿って曲に起伏をつけるのも大切なのですが、この辺りの背景まで意識すると、一段違った演奏ができるのではないかと思っています。

※青空文庫に全文があります。名文なのでぜひ読んでみてね


フレーズごとの解説

はじめに

「梅雨の晴れ間」で歌われているのは、いわゆる「農村歌舞伎」の舞台を取り巻くワンシーンです。現代の歌舞伎は豪華な劇場で観るちょっとインテリな趣味(?)のようになっていますが、近世以前の歌舞伎はもっと庶民的で、当時の人々にとって貴重な娯楽の一つでした。
一部の地域には常設の農村舞台が今も残っていますし、それ以外の地域でも、休耕中の畑に芝居小屋を組み立てて、地べたに座って観るような事例は全国にあったようです。そんな小さな「地歌舞伎」に関わる人々の姿を軽妙に描いているのが、この「梅雨の晴れ間」になります。

長野県上田市にて筆者撮影。これは神楽殿ですが、歌舞伎舞台もこんなイメージです。


廻せ、廻せ、水ぐるま、

「水車(すいしゃ)」というと「水を上から下に落とすことで動力を得る道具」ですが、逆に「水車(みずぐるま)」というのは「動力を加えることで水を下から上に運ぶ道具」を指します。移動式で人間の背丈くらいの高さがあり、人が羽根の部分に登って踏み続けることで用水路から田圃に灌漑をします。この詩の場面では、芝居小屋の前の畑に長雨で水が溜まってしまったので、公演が始まる前に水車(みずぐるま)で水を掻き出しています
特に最初の4小節では小さく丁寧に声を出して、どこかから水車を回す音が聞こえてくるような静かな風情を歌うことで、「これから何かが始まるぞ」という印象を聴き手に与えることができます。

みずぐるま。竹の棒につかまり、羽根に乗っかって踏む。 出典(CC)


けふの午(ひる)から忠信(ただのぶ)が隈どり紅いしやつ面に

義経千本桜』という歌舞伎があります。源平合戦後に都落ちした源義経と、彼の行く先で出会う生き残った平氏たちの姿を描いた物語で、庶民の間では定番といえるポピュラーなものです。忠信は『千本桜』の中の「狐忠信」という段に登場する佐藤忠信という武将で、義経から信頼を置かれる忠臣なのですが、実は狐が人間に化けた姿だったという物語です。
「隈どり」は歌舞伎役者が目の周りを赤色で装飾する化粧のこと。「しゃっ面」とは「他人をののしって、その顔を悪くいう語」とあります。忠信役の役者をコミカルに描いているわけですね。

隈取をした歌舞伎役者 (PD)


足どりかろく、手もかろく
狐六法踏みゆかむ花道の下、水ぐるま…………

忠信に化けた狐は姿こそ人間の姿をしているのですが、ふとした時に思わず人間離れした動きを見せてしまいます。これを狐六法(六法or六方=歌舞伎における典型的な歩き芸)とよび、人間の役者が狐さながらの身のこなしを披露するのが「狐忠信」の最大の名物です。要するに、客の方も芝居の筋書きを知っていて、忠信の正体が狐であると理解した上で上演を楽しむのでしょう。
続く「足取りかろく、手もかろく」は、狐六法と水車を踏む動きの両方に掛けて軽やかさを表現しているものと思われます。歌い手はこの軽やかさを表現するために、Pianoとスタッカートを守って演奏します。(ここで大きい声を出したら軽やかさも**もありませんよね!)
ちなみに、水車を踏んでいるのが忠信(役の役者)本人であるという解釈もあるそうですが、私はこれには何となく否定的です。

左側が狐忠信。狐のポーズをして縁側から跳んでいます (PD)

 

廻せ、廻せ、水ぐるま、
雨に濡れたる古むしろ、円天井のその屋根に、

原典『思ひ出』の一節に「野の隅には粗末な蓆(むしろ)張りの円天井が作られる。その芝居小屋のかげをゆく馬車の喇叭(らっぱ)の懐かしさよ」とあります。円天井には青空(=天井が存在しない)という意味もあるそうですが、ここでは本当に円形をした天井と解釈するのが妥当でしょう。野の隅に組み立てられた芝居小屋の粗末な屋根のむしろが、梅雨の長雨で濡れているわけです。
先ほどまでは状況説明に終始していた詩の視点が、芝居小屋の方にクローズアップされてきましたね。遠くから眺めるだけでは感じ取れなかった、水車を踏む力強いパワーが見えるようになりました。曲もこの辺りから盛り上がってきます。Forteを意識して歌いましょう

(水車は案外大きいので近くだと結構迫力があります。水車を回す動画▽)

 

青い空透き、日の光、(日光の)
七宝のごときらきらと、化粧部屋にも笑うなり。

この部分、原典では「日の光」となっていますが、曲では「日光の」と歌われています。作為的ものなのか単なる勘違いなのか分かりませんが、タダタケ(作曲者の渾名)は結構頻繁にこの手の原作改変をやってきます。しかも自信満々にアクセントまで付けていますから、ここは作曲者に便乗してビシッと決めてしまいましょう。
次に、七宝の原義は「仏教の経典に説かれる7種の宝石のこと」。要するに宝石ですね。屋根のむしろの上の水滴が日の光を受けてきらきら輝いている情景です。この水滴の儚さ・きらきら感を出すために、作曲者はここにスタッカートを付けています
続く「化粧部屋にも笑うなり」も恐らく主語は日の光のままで、化粧部屋(的な空間)に光が差す様を「笑う」と表現しているのではないでしょうか。ここでの視点移動、そして「笑う」ような日光の柔らかさを表現するために、ここは一転してMezzo Pianoで曲調を変えています。よく見ると「きらきらと」の2つめの「きらと」にはスタッカートが付いていませんが、これも、続く「化粧部屋」の曲調に備えるためです。

水滴、こんな感じですか? 出典(CC)

 

廻せ、廻せ、水ぐるま、
梅雨の晴れ間の一日を、せめて楽しく浮かれよと

ここでいう梅雨の晴れ間は、単なる天候の話ではありません。城下町・柳河は明治維新で衰退の憂き目にあい、どこか陰鬱な雰囲気の漂う土地だったことは既にお話ししました。それに加えて、明治初期の農村は娯楽も乏しく、貧しさ、そして病や死というものが今より遥かに身近にあったわけです。そんな厳しい生活をひと時忘れ、皆で集まって田舎芝居で盛り上がる、そんな束の間の非日常(民俗学的な言葉でいえば「ハレ」)の一日こそが、この歌に描かれた「梅雨の晴れ間」の世界観なのです。
そう意識して模範演奏を聴くと、単純な楽しさや開放感だけではなく、どこか切なさを含んだメロディーに聞こえませんか? この辺の感情まで表現できれば傑作です。そして、この間にも水車は回り続けます。

檜原村にて筆者撮影。画像は獅子舞ですが、ここから「ハレの日」のイメージを掴んでください

 

廻り舞台も滑るなり、
水を汲み出せ、そのしたの葱の畑のたまり水。

廻り舞台は回転を利用した舞台の転換装置の一種です。農村歌舞伎というのは常設タイプ・組立タイプの両方があったそうですが、どちらかは分かりません。一方客席の方はというと、休耕中の畑に適当にむしろを敷いて客席代わりにするのが普通でした。ネギは春先(調べたところ、西日本でネギというと専ら葉ネギを指すそうです)に収穫するので、ちょうど梅雨の時期は休耕になります。そこを利用して芝居をやろうとしたところ、長雨で水が溜まってしまったので、さあ汲み出せといった感じでしょうか。
曲の中の水車はここで一休みしたのち、また静かに回りだします。このあたりの動静や強弱、そしてどこか物寂しい和風のオシャレ和音をうまく表現していきましょう。

歌舞伎の廻り舞台 出典(CC)

 

廻せ、廻せ、水ぐるま、
だんだら幕の黒と赤、すこしかかげてなつかしく

上下の掛け合いによって、再び少しずつ水車が回り始めます。「だんだら模様」は山形のギザギザ模様を指す意味もありますが、上方言葉では主に「平行縞の繰り返し模様」を指すそうなので、ここは歌舞伎でお馴染みのあの幕(定式幕)と解釈するのが妥当でしょう。とは言っても現代の歌舞伎座のような大仰なものではなく、畑の隅にそれこそ「すこしかかげて」雰囲気を出す程度だったのではと想像しています。
なお、古語の「なつかし」は過去を思い出すニュアンスだけでなく、単に現在の様子を見て「心ひかれる」「親しみがもてる」の意味でも使います。砕けた言葉で訳せば「それっぽく」といったところでしょうか。

「中村座式」とよばれる、黒と赤のタイプの定式幕 (PD)

 

旅の女形(おやま)もさし覗く、
水を汲み出せ、平土間の、田舎芝居の韮畑。

女形とは歌舞伎において「女性を演じる役者」のことです。この時代の農村歌舞伎には2種類あって、村の人が化粧をして演じる形式の他に、「買い芝居」といって、近隣の町から巡業してくる役者集団を招いて上演を行うこともありました。それだけ、歌舞伎は当時の農村にとって貴重な娯楽だったのです。
平土間というのは昔の芝居小屋の客席にあたる部分で、地べたに腰を下ろして芝居を観ます。今回の場合は休耕中の韮畑がそれに当たるわけです(結局 葱か韮かどっちなんだ、という話ですが、先述の通り西日本の葱は葉ネギの意らしいので、「あんな感じの野菜」だと思ってください)。巡業の役者も女形姿で顔を出して準備万端、さあ後はこの水浸しの客席を何とかするだけだ! といった具合で、曲の盛り上がりは最高潮を迎えます。ここの和音が決まったら格好良いですね。

長野県の農村歌舞伎のようす 出典(CC)

 

廻せ、廻せ、水ぐるま、
はやも午(ひる)から忠信(ただのぶ)が紅隈どったしやつ面に

再び水車が回り始めます。各パート別々に回して、一旦弱くなった後、今度は全員でパワーを込めて回していますね(Fortissimo+アクセント。いたずらに叫ぶのではなく腹を使って声を飛ばしましょう)。
この部分は『柳河風俗詩』でよく出てくる、曲の最後に視点を戻してもう一度冒頭のフレーズを繰り返す手法です。歌の途中で情景を接写して登場人物の複雑な心情を描き、歌い手も聴き手も思わず感情的になりますが、もう一度 一歩引いて見てみると、先ほどと同じ風景が広がっているのです。農村の日常はこうして淡々と続いていきます。曲の盛り上がりや変化を意識しつつ、冒頭の大切さを忘れずに歌いましょう

 

足どりかろく、手もかろく
狐六法踏みゆかむ花道の下、水ぐるま…………

いよいよ曲の最後。ここでも狐忠信の「足取りかろく、手もかろく」を表現するためにスタッカートが付いていますが、冒頭と異なり「狐六法」には付いていないところに注意です。違いをはっきりさせるために、前に進むようなフレーズ感を意識して歌いましょう。
最後の「水ぐるま…………」は、原典にも同じ数の三点リーダーが付いています。「水ぐるま。」でも「水ぐるま!」ではなく「水ぐるま…………」なのです。明治の農村を生きる人たちの悲喜こもごもの感情が、ここに凝縮されて余韻として浮かび上がってくる気がしませんか? 楽譜の指示通り曲の終わりを盛り上げるのは構わないのですが、この余韻を味わうために、羽目を外しすぎずに最後を飾ってくださいね

余談

ここは完全に余談になるので読み飛ばしても構わないのですが、原典『思ひ出』には「梅雨の晴れ間」に続いてもう2つ、芝居小屋に関する詩があるので紹介しておきます。

韮の葉

芝居小屋の土間のむしろに、
いらいら沁みるものあり。
畑の土のにほひか、
昨日の雨のしめりか。
あかあかと阿波の鳴門の巡禮(礼)が
泣けば…………ころべば…………韮の葉が…………

芝居小屋の土間のむしろに、
ちんちろりんと鳴いづる。
廉(やす)おしろひのにほひか、
けふの入り日の顫(ふる)へか、
あかあかと、母のお弓がチヨボにのり
泣けば…………なげけば…………蟲の音が…………

芝居小屋の土間のむしろに
何時しか沁みて芽に出づる
まだありなしの韮の葉。

括弧内は筆者注

旅役者

けふがわかれか、のうえ、
春もをはりか、のうえ、
旅の、さいさい、窓から
芝居小屋を見れば、

よその畑に、のうえ、
麥の畑に、のうえ、
ひとり、さいさい、からしの
花がちる、しよんがいな。

味わい深いですね。「柳河風俗詩」とはこういう世界観です。

おわりに

気の赴くままに書き散らしているうちに、なんと6000字も書いてしまいました。
私の勝手な解釈が含まれるところも多く、「勝手に色々書くな!」と怒られるかもしれませんが、芸術というのはこうやって後の人間が色々好きにいうことで完成されるものだ、という持論を以て言い逃れをさせて頂きます。

最後に、私が推している梅雨の晴れ間の音源を貼ってお終いにします。

長々とお付き合い頂きありがとうございました。最後の音楽祭、頑張っていきましょう! 

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