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私の乳ガン物語  4話 【癌になったことを親に報告した日】

ガン宣告をされ、家に帰る。
待っていた彼が心配そうに出迎えてくれた。

なんて言えば良いのか分からず

 「やばい。乳ガンだった!」

とだけ言い、
スタスタ玄関を過ぎていくわたしの背中を見て、
冗談だと思ったのだろう

 「ウソでしょ?ウソだよね!?」

と聞いてきた。わたしは彼の質問には答えず、
携帯を取り出しベットに腰掛けて電話をかけ始めた。


 私「ママ。私、乳がんになっちゃった。」


 
 ママ「え、本当に?どうしたの?」

 

電話越しに親の声を聞き、
不安と緊張の糸が切れたのか、
一気に涙が溢れてきた。

ママは今までの私の胸の経緯を何も知らないんだから落ち着いて、簡潔に話さなきゃ!と思い努力するのだが、嗚咽でなかなか喋れない。

深呼吸をして、
異変を感じて2年前に初めて健診に行ったこと、
そして今さっき先生にガン宣告された経緯を話し、
今は驚いている場合じゃなくて
大きい病院を見つけて早く治療しなければならないと伝えた。

聖路加国際病院の予約を取っていることも伝えたが、
一度自分たちで非浸潤性乳がんについて、
どこの病院に任せるのが良いか、調べよう。
と話し電話を切った。

隣で聞いていた彼氏は、
今の会話で全ての事情を把握したらしく、
それ以上質問してこなかった。


ママと話し、ひとしきり泣き電話を切った私は、
スッキリしていた。

これからわたしに何ができるだろう。


 その日は、
夕方からはJUJUさんのテレビ収録に
ダンサーとして出演予定だったので、
乳がんについて詳しく調べる時間も病院を調べる時間もなく、
夕方には準備をして家を出なければならなかった。

家で支度する間に、
”乳ガンを克服してやってみたいこと”
”なったからには何かしらの活動を起こしたい”

と、思いついたアイディアをどんどん彼に話していた。話しているうちに、

ガンになっちゃった。これからどうなるんだろう。
という気持ちから
ガンを乗り越えて、何をしていこう。
と乳ガンであることを受け入れ、前向きになっていく自分を感じた。


テレビ収録でダンサーの先輩や友達と会ったが、
乳ガンの事は全てが終わるまでみんなに言わないでおこう。と決めた。
きっとみんな心配するし、
予備知識のないまま相談するのも何か違うな。と思ったからだ。

その日から時間の許す限り
非浸潤性乳ガンについて調べはじめた。

西洋医学だけでなく東洋医学の治療法も
ネットや本を読み情報を集めた。

その結果、先生の言っていた通り
非浸潤性乳ガンの治療法は、全摘出か部分切除が一般的なようで、
浸潤している場所によって部分切除の選択肢のない人がいることを知った。
どちらの手術を選んでも術後一ヶ月間は安静にしなくてはいけないらしい。

神様のいたずらなのか、
私はもともとセブ島に語学留学するつもりで
1月中旬から3月上旬まで仕事を入れずにスケジュールを空けていた。

乳ガンの発覚を知り、申し込んでいたセブ島の学校をキャンセルしたので
1月に摘出手術をしたら丸々ヶ1月休むことができる。


春から始まるJUJUさんのツアーダンサーの仕事が決まっていたので、
3月からスタートするリハーサルまでには
踊れる身体に戻っていなければいけなかった。

手術時期は早いに越したことはないし、
先生からは手術しても4月からのツアーには間に合うと言われていたので、
ツアーを諦めずに済むことが嬉しかった。

しかし、
一番良いと思う治療法を毎日親と話し合っても、
いろいろな情報に左右されなかなか術式を決めることができなかった。



教訓:周りを不安に巻き込まない

乳癌のことを知らない友達が今まで通りに接してくれたことで癌を忘れる時間が保てました。思考は現実化するのでネガティブなことばかりに時間を取られずに心地よい時間を過ごすことがとっても大切です。


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